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SIGNAL 有限会社 シグナル

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お知らせ
2017年7月26日

高齢歩行者の横断中の事故防止のポイントと、70歳以上のドライバーの免許証更新手続きの概要をまとめた新版チラシ「高齢者向け交通安全新聞」好評発売中!

2017年7月26日

高齢者の歩行者・自転車利用者・ドライバーの安全通行・安全運転のポイントを簡潔にまとめた新版リーフレット「元気な毎日は交通安全から!」好評発売中!

2017年6月30日

商品価格の見直しを行い、平成29年7月1日より、一部の商品について価格を改定いたしました。

2017年6月19日

各免許で運転できる自動車の車両総重量などの上限が一目でわかるクリアファイル「わかっていますか?あなたの免許で運転できる自動車の範囲」好評発売中!

2017年6月 5日

ドライバー・自転車利用者・歩行者など家族全員の交通事故防止に役立つ情報を盛り込んだ新版チラシ「2017年・夏の交通安全家庭新聞」好評発売中!

2017年6月 1日

運転免許の「点数制度」などの解説に加え、「各免許で運転可能な自動車の範囲」を新規収録して増ページ・改訂した冊子「運転免許を大切に」好評発売中!

2017年4月17日

平成29年3月12日施行の一部改正(準中型免許の新設、高齢運転者に対する認知症対策の強化)を収録した「普及版 道路交通法〈改訂第24版」好評発売中!

2017年4月17日

高齢ドライバーが加齢に伴う心身機能の低下を自覚し、事故防止のために実践すべきポイントをまとめた新版冊子「安全運転 10の心得」好評発売中!

2017年1月20日

「交通の方法に関する教則」一部改正(今年3月12日施行)を機に、夜間の「上向き」ライトの活用を呼びかける新版チラシ「上向きが基本!」好評発売中!

2017年1月 6日

お話を通して正しい(安全な)横断方法を楽しく学ぶことができる絵本形式の新版教材「ちからもちのおじさん」好評発売中!

最終更新日:2017年7月26日

企業理念 交通安全を確保するための情報活動を通じて安全第一とする社会づくりに貢献します。

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交通安全インフォメーション

シグナル交通安全雑記

【2017年7月20日更新】

■これでいいのか、企業等「組織」の業務上過失致死傷罪は無罪放免?・・・

★先月6月12日、最高裁第2小法廷は、2005年4月に発生、乗客106人もの死者を出した尼崎JR脱線事故(JR福知山線脱線事故)(※「雑記子」注・・・朝日新聞、神戸新聞、サンテレビは愛称の「JR宝塚線」とし、それ以外のマスメディアでは正式名称の「福知山線」としている)で、「業務上過失致死傷罪」で強制起訴されたJR西日本の歴代3人の社長に対し、一、二審での判決を支持し「無罪」としましたが、検察官役の指定弁護士が期限内に異議を申し立てなかったため、6月20日午前0時の時点で無罪が確定しました。無罪が確定した3人とは、事故現場を急カーブに替えた1996年から事故までの間に社長を務めた井手正敬元相談役(82歳)、南谷昌二郎元会長(75歳)、垣内剛元社長(73歳)のことですが、「100人以上が死に、500人以上が負傷した大事故で、誰の責任も問えないなんて残念で情けない、と無念さをにじませた」等と新聞・テレビ等では遺族らの落胆の声を報じたほか、20日午後、大阪市で記者会見を開いたJR西日本の真鍋精志会長は「『裁判で誰も責任を取らないのか』という遺族や被害者のやり場のない気持ちに対し、事故を起こした当事者として申し訳なく、心よりお詫び申し上げる」と謝罪、共に出席した来島達夫社長も「責任の重さを痛感する」と語り、深々と頭を下げたことも報じていますが、これで「一件落着!」というには、遺族や被害者ばかりでなく、一般市民の多くが到底納得しがたいことだと思います。
★しかし、6月14日付の日本経済新聞の記事によると、「『誰ひとり刑事責任を負わないのはおかしい』と思うのはもっともだが、個人の責任追及は厳格に考えなければいけない」。3社長の一審の裁判長は判決読み上げ後、遺族らに語った。日本の刑法は個人の刑事責任しか問えず、たとえ結果が重大でも、多くの部門や社員が複雑に絡む事案で個人の有罪を立証するのは難しい。最高裁は一、二審の妥当性を慎重に検討したが、一審の裁判長と同じく厳格な姿勢を崩さなかった」と解説し、「今回の事故は過密ダイヤなど様々な要因が絡み合って起きたとされており、経営幹部個人に過失はなくても、企業として事故を防げた可能性はある。企業活動が社会の中心となる中、個人の刑事責任しか問えない現行の刑法が時代に合っているかを問いかける司法判断ともいえる。英国では重大な事故などを起こした法人を罰する法人故殺法が導入された。日本でも安全管理体制などに不備があれば、企業を罰せられる法整備が必要だ」という同志社大学の刑法の専門家・川崎友巳教授のコメントを載せています。また、6月21日付の北海道新聞では「刑法対象個人のみ『組織罰』求める声も」という見出しのもと、今度の裁判で浮き彫りになった大企業の業務上の事故で個人の刑事責任を追及する難しさについて解説記事を載せています。裁判の経緯・問題点等を分かりやすく解説していますので、少々長くなりますがその全文を以下に紹介してみましょう。
(すなわち、今度の)裁判で争われたのは刑法の業務上過失致死傷罪の成立。立証するには、個人が事故を具体的に予測でき、未然に防ぐ義務を怠ったという一連の事実を明らかにしなければならない。1982年に起きた東京・永田町のホテルニュージャパン火災の場合、オーナー社長だった被告が、消防当局からスプリンクラー設置を求められていたのに怠っており、(それが)立証可能だった。一方、(尼崎JR)脱線事故では、自動列車停止装置(ATS)の設置義務が当時なかったことなどから、有罪とは認められなかった。そもそも大企業が起こした事故の場合、「多数の人物が事故に至る過程に関わるため、個人個人の役割や責任は限られてしまい、刑事責任の立証は難しくなる」(ベテラン裁判官)のが実情だ。刑法は個人だけを処罰対象とする。企業の業務上の事故でも刑事裁判では、個人単位の過失責任を追及するため、組織的、構造的な問題の解明につながらないとの指摘は前々からあった。このため脱線事故の遺族の一部は2016年4月、「組織罰を実現する会」を正式結成。最終目標は、個人の有罪無罪にかかわらず、法人の責任を法廷で問い、罰することができる法の整備だ。実現する会によると、欧米の複数の国には、過失罪で法人を罰する規定がある。代表例が英国の「法人故殺罪」。約190人が死亡したフェリー沈没事故を契機に制定を求める声が高まり、2007年に創設された。日本での可能性はあるのだろうか。元検事の村上康聡弁護士は「企業の活動が委縮するほか、事故を起こした企業が刑事罰の罰金を納付し破産すると、被害者への支払いができなくなる事態も生じうる」とマイナス面を挙げる。一方、実現する会事務局の津久井進弁護士は「個人を罪に問えるほどの過失でなくても、組織内で積み重なれば有罪に値する。福島第一原発事故を起こした東京電力がまさしくそうだ」と指摘する。※(  )内のアンダーライン部は「雑記子」が補足挿入。
★以上が6月21日付の北海道新聞の「組織罰」に関する記事のほぼ全文ですが、日本での「組織罰」の創設制定の最大のネックになっているのは、この記事の中でも紹介されていますが、元検事の村上康聡弁護士が指摘している「企業の活動が委縮するほか、事故を起こした企業が刑事罰の罰金を納付し破産すると、被害者への支払いができなくなる事態も生じうる」という点でしょう。確かに、そうした懸念はありますが、だからといって、企業等の存続や営業活動に優先権を与え、安全管理義務や事故を起こした場合の責任追及を曖昧にして良いという論理は、事故の遺族・被害者はもちろん、一般市民感情からしても断じて認め難く容認するわけにはいかないもので、圧倒的多数の社会活動が企業や行政の活動を中心として行われ、事故等による人災の多くがそうした活動に関連して発生している現実を踏まえるとき、そうした状況にある今こそ、言い古されてきた「安全第一」の理念を正しく再生・確立し社会の隅々まで浸透することが急務だと思います。そのためには、尼崎JR脱線事故の遺族・被害者らがその実現を目指しているイギリスの「法人故殺罪」等に類する「組織罰」の新設制定も必須の課題ではありますが、その「組織罰」の新設制定に当たっても拙速を避け、現状の問題点を総合的にしっかり洗い出し、妙な偏向・不平等がないものにしなければなりません。
★妙な偏向・不平等というのは、イギリスの「法人故殺罪」等に類する「組織罰」がない我が国においては、周知のように、企業等が引き起こした人災事故等は、刑法の業務上過失致死傷罪が適用できるか、できないか、という点で争われるケースが多いのですが、尼崎JR脱線事故など巨大企業や行政機関にかかわる人災事故等では、「業務上過失致死傷罪」で起訴まで持ち込まれるケースがもともと少なく(尼崎JR脱線事故も当初は神戸地検が嫌疑不十分で不起訴とされたが、近年に新設された「検察審査会」の議決に基づき強制起訴された)、また、裁判に至ったケースでも業務上過失致死傷罪が適用され、有罪とされたケースは極めて少数しかありません。しかも、有罪とされたケースでも、JRや行政機関等の巨大組織がかかわったものはほとんどなく、比較的小規模の企業や、いわゆるワンマン社長が統治し、そのワンマン社長が安全管理義務を怠ったことが明白な場合に限られるという傾向が認められます。例えば、1982年2月発生の「ホテルニュージャパン火災」では社長が有罪、1991年5月発生の「信楽高原鉄道事故」では、運転主任ら3人が有罪、2001年7月発生の「明石花火大会歩道橋事故」では明石警察署の地域官ら5人が有罪となりましたが、有罪とはいっても、「業務上過失致死傷罪」の刑罰は最高刑でも「懲役5年」ですから、「ホテルニュージャパン火災」の社長は禁固3年の実刑判決、「信楽高原鉄道事故」の運転主任らは2年ほどの禁固刑・執行猶予3年、「明石花火大会歩道橋事故」の明石署地域官ら2名は禁固2年6月の実刑、明石市の担当者3名は禁固2年6月・執行猶予5年、という程度の処罰ですんでいる一方、1985年8月発生の「日航機墜落事故」では当時の運輸省や米ボーイング社の幹部ら30人が不起訴、1996年2月発生の「北海道・豊浜トンネル崩落事故」では開発局幹部ら2人不起訴などの例にみられるように大企業・行政機関等の巨大組織の幹部らはもちろん、組織それ自体が有罪とされたことはほとんど皆無です。ですから、今や、もうあり得ないことですが、仮に、JR西日本の歴代3社長に対し有罪の判決が出され、最高刑が科されたとしても「懲役5年」ということにとどまります。乗客100人以上が死に、500人以上が負傷した未曾有の大事故にもかかわらずです。
★しかし、その一方で、たとえば、まだ多くの人々の記憶にも残っていると思いますが、2014年7月に北海道・小樽市の海水浴場出入り口通路で発生した「飲酒ひき逃げ死亡事故」(海水浴帰りの女性4人がひき逃げされ、内、3人が死亡、1人が重傷を負った)の被告(34歳の男性運転者)には「自動車運転死傷行為処罰法」の「危険運転致死傷罪」が適用され、かつ、道路交通法上の「救護義務違反」が併合され、今年2017年4月に最高裁が被告の上告を棄却し「懲役22年」の判決が確定しました。また、2015年6月に北海道・砂川市の国道で発生した飲酒・暴走ひき逃げ死亡事故(「砂川一家5人死傷事故」)の被告(28歳、男性運転者)にも「自動車運転死傷行為処罰法」の「危険運転致死傷罪」等が適用され、やはり今年2017年4月に、札幌高裁が一審・札幌地裁判決を支持して被告の控訴を棄却、被告が上訴権を放棄したことで「懲役23年」の刑が確定しましたが、いずれも、業務上過失致死傷罪の最高刑「懲役5年」と比べれば、格段に重い刑罰です。換言すれば、「業務上過失致死傷罪」の刑罰は、事の重大性に鑑みても、「自動車運転死傷行為処罰法」の刑罰に比べればあまりにも軽すぎる、と思わざるを得ません。というよりも、なぜ、自動車の死傷事故だけが格段に厳罰化され、その他の「業務上過失致死傷罪」の軽すぎる刑罰や限定的すぎる刑罰の範囲等の見直しは放置されたままなのでしょうか・・・、この点で大きな疑義を感じざるを得ません。
★周知のことと思いますが、2001年(平成13年)12月以前までは、飲酒運転等人身交通事故のすべても「業務上過失致死傷罪」によって裁かれ処罰されていました。したがって、飲酒・ひき逃げ事故等、いわゆる「悪質・危険運転」によって複数の人命を奪った事故の被告であっても、「懲役5年」が最高刑の限度でした。そのため、事故被害者の遺族らからは、結果的に殺人(犯)と変わらないのに、遺族らの心情にも反するあまりにも軽すぎる刑罰だ―との批判の声が次第に高まってきたことを受け、2001年(平成13年)12月に刑法の一部改正が行われ、最高刑を「懲役15年」とする「危険運転致死傷罪」が新設・施行されました(※2005年(平成17年)に「20年」に引き上げられた)。しかし、この「危険運転致死傷罪」は、飲酒運転等で、「正常な運転が困難な状態」で運転した場合や「制御困難なハイスピードで運転した」など特定の「危険運転」による事故に限定して適用するもので、しかも、その「危険運転」の定義にあいまいさが多く、かつ、その立証がきわめて難しいため、「危険運転致死傷罪」で起訴されるケースは希にしかなく、結局、圧倒的多数の交通(死傷)事故は、従前通り「業務上過失致死傷罪」によって裁かれるという状況になってしまいました。この結果、「危険運転致死傷罪」の刑罰(最高刑「懲役20年」)と「業務上過失致死傷罪」の刑罰(最高刑「懲役5年」)との間に格差がありすぎるという批判が高まったのを受け、2007年(平成19年)6月に、これを是正するためとして「自動車運転過失致死傷罪」が新設・施行されました。しかし、その最高刑は「懲役7年」ですから、従前の「業務上過失致死傷罪」の最高刑「懲役5年」と大差なく、「危険運転致死傷罪」適用の範囲も従前通りですから、「危険運転致死傷罪」と「自動車運転過失致死傷罪」との量刑のギャップは依然として大きく、「危険運転致死傷罪」の適用拡大、適用ハードルの引き下げを求める被害者遺族らの声は収まることなく、むしろ、一層大きくなりました。そうした世論等の動向を受けてか、「危険運転致死傷罪」と「自動車運転過失致死傷罪」を刑法から分離独立させた新法「自動車運転死傷行為処罰法」が2013年(平成25年)11月公布、2014年(平成26年)5月に施行され、いわゆる「危険運転」の適用範囲が一部拡大され、その「危険運転行為」によって人を負傷させた者は「15年以下の懲役に処する」とし、また、その行為によって人を死亡させた者は「1年以上の有期懲役に処する」と規定されました。この結果、自動車事故の加害運転者に対する刑罰は、従前の「業務上過失致死傷罪」での処罰よりも明らかに、確実に厳罰化されました。
※一般的には「危険運転行為」による死傷事故は「最高刑懲役20年」と解されていますが、これは、刑法第12条の「有期懲役は1月以上20年以下とする」という定めに基づく結果です。
★確かに、「危険運転」により、かけがえのない人命を奪われた被害者遺族らの心情に思いを寄せ、「結果責任」の観点からすれば、「危険運転」による死傷事故の刑罰の厳罰化の潮流は当然のこととも思います。しかし、その一方で、たとえば、尼崎JR脱線事故や東電・福島第一原発事故のように、誰ひとり刑事責任を負わないで済まされているというのは、そうした事故がもたらした人的被害や社会に与えたダメージの大きさを思えば、その「結果責任」の重大性や犯罪性は、「危険運転」による死傷事故のそれよりも軽いとは到底思えません。また、被害者遺族らの心情に思いを寄せても、何らの差があるものでは決してなく、にもかかわらず、先にも紹介したように、尼崎JR脱線事故の遺族らが結成した「組織罰を実現する会」のように、法人の責任を法廷で問い、処罰することができる法整備を求める活動はありますが、飲酒運転等による死傷事故に対する厳罰化を求める動きに比べれば、世論の関心も格段に低く、マスメディアの反応も小さい、というのが実情だと思いますが、なぜ、自動車の死傷事故だけが格段に厳罰化され、尼崎JR脱線事故や東電・福島第一原発事故のような大企業等の組織がその業務遂行上で発生した死傷事故については、その組織自体の刑事責任をも厳しく問う法整備は放置されたままなのでしょうか・・・、再び、改めて問い直さざるを得ません。先ごろ、国会では「改正組織犯罪防止法」が野党はもちろん、日弁連や多くの識者らが「テロ対策」という衣を被った「共同謀議取締り法」だとして反対し、多くの一般国民も政府の説明責任が不十分だとするなか、圧倒的多数の与党勢力を頼り、異例の手続きで採決・成立しましたが、「組織罰を実現する会」などが求めているのは、これとはまったく異なるものであることは言うまでもありません。しかし、この「改正組織犯罪防止法」も、結局は権力の強化に繋がるもので、もしかしたら、社会全体が権力強化の流れが強まっているのを敏感に感じ取り、やむなく「長いものには巻かれろ」の風潮に従わざるをえなくなり、その反動で、知らず知らずの間に「弱いものいじめ」に陥り、何の特権や力を持たない個人の過失による犯罪、なかでも非難しやすい「危険運転」による死傷事故の処罰だけに「結果責任」を際立たせ、厳罰化し、鬱憤を晴らしているのではないか・・・とさえ思いたくなりますが、これが「雑記子」の思い過ごしであることを願うばかりです。200717

 

【2017年6月16日更新】

■「自動運転車」の実現化、そんなに急いで大丈夫なのか・・・

★今年の3月21日付のこの「雑記」でも紹介しましたが、政府(高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部)は、昨年2016年5月に「官民ITS構想・ロードマップ2016」を策定し、今年2017年には「遠隔操作による無人運転の公道実験」を実施し、2020年までには「遠隔操作による無人バスやタクシーの実用化を目指す」という計画目標を明示していましたが、今年の2月には、政府の成長戦略をつくる「未来投資会議」の5回目の会合が首相官邸会議室で開催され、運転者が不要な「完全自動運転車」の一部を2020年度に実現するための「実行計画」をまとめました。それを報じた新聞各紙の記事からすると、その「実行計画」等の概要は、まず、「2020年までに運転者が乗車しない自動走行車の導入によって、地域の人手不足や移動弱者を解消する」ことを目途として、(1)過疎地など地方での無人自動走行による移動サービスの実験を2017年度内に行う、(2)2018年1月からは、先頭車と複数の後続車両(有人)のトラックの隊列自動走行の実験を高速道路で行い、(3)2019年1月からは後続車両が無人のトラックの隊列自動走行の実験を高速道路で行い、(4)2020年度には高速道路の隊列走行と地方での無人自動走行による移動サービスを実用化する―というものです。
★しかし、現行の道路交通法では、自動車(車両)の運転はあくまでも運転者による運転を前提としているため、公道での遠隔操作による無人運転等の実証実験は違法となる、という大きな障壁があり、「自動運転車」の開発・実用化の激しい国際的競争にさらされている自動車メーカー等からは、この障壁の早期解消を願う意向が高まっていました。警察庁では、こうしたニーズ・意向を受けて、公道での遠隔操作による無人運転等の実証実験を実施可能とするための方策を有識者を交えて検討していましたが、現行の道路交通法第77条の「道路使用」条項の「都道府県公安委員会が定める行為」(都道府県公安委員会規則)を改正し、公道での遠隔操作による無人運転等の実証実験を都道府県公安委員会による「道路使用許可」の対象行為とすることで実証実験の実施を可能とする意向を固め、この6月1日付で、その許可基準(「遠隔型自動運転システムの公道実証実験に係る道路使用許可の申請に対する取扱いの基準」)を公表しました。その許可基準は(1)使用する無線通信システムが原則として途絶えない場所であるなど実験車両を安全に走行させるために必要な通信環境を確保できる場所であること、(2)一般の道路利用者の通行に特段の著しい支障を及ぼす場所や日時でないこと、(3)遠隔監視・操作者が、映像および音により、通常の自動車の運転者と同程度に、実験車両の周囲および走行する方向の状況を把握できること、(4)交通事故等の場合に、警察官が必要に応じて、実験車両の原動機の停止等ができるよう、原動機の停止方法その他実験車両が交通の障害とならないようにするための措置の方法に係る資料を警察に提出していること、(5)遠隔監視・操作者が常に法上の運転者としての義務および責任を負うことを認識させるための措置を講じること、(6)実験車両の正面、背面および側面に遠隔型自動運転システムを用いて走行している旨が表示されていること、さらに(7)実証実験実施以前に、警察官又は運転免許試験の試験官等の警察職員が実験車両に乗車するなどし、順法かつ安全に実験車両を走行させることができることを確認すること(事前審査)などが定められており、今夏(6月中)には各地の警察で許可申請の受け付けを開始するとしていますが、早くも6月3日付の日本経済新聞では、愛知県のアイサンテクノロジー社(3次元地図事業者)が全国初の公道実験に乗り出すことが内定した、ということを報じています。安全面の配慮からアメリカ・IT企業等に比べ、無人運転(車)には比較的慎重な姿勢を取ってきた日本の自動車大手メーカーにおいても、公道実験の基準が明確化されたことによって、「無人運転」の技術開発やその公道での実証実験実施への動きが急速に活発化する状況になってきたことは確かで、この点では「2020年までには遠隔操作による無人バスやタクシーの実用化を目指す」という政府目標も達成可能のように思われます。
★しかし、この特例的な「許可基準」(遠隔型自動運転システムの公道実証実験に係る道路使用許可の申請に対する取扱いの基準)にも、運転者の存在を前提とした現行の道路交通法に照らして十分な整合性が取られているとは言い難い重大な問題点が残されています。すなわち、遠隔監視・操作者が常に法上の運転者としての義務および責任を負うことを自覚して遠隔操作に当たっていても、万一、事故が発生した場合には直ちに事故現場に急行できず、現行の道路交通法上に規定されている「危険防止措置」や「救護措置」の義務が果たせないことが少なくない、という点がそれです。こうした問題点を残したままでの見切り発車的な特例的措置としての「許可基準」の導入により、現行の道路交通法下での「遠隔型自動運転システムの公道実証実験」を可能としたのは、ひとえに、「2017年には遠隔操作による無人運転の公道実験を実施し、2020年までには遠隔操作による無人バスやタクシーの実用化を目指す」とした政府目標(「官民ITS構想・ロードマップ2016」)に合わせるための急場しのぎの苦肉の策だとの印象が拭いきれません。仮に、この急場しのぎの苦肉の策としての措置は、公道での遠隔操作等による無人運転走行の実証実験を加速するためにはやむを得ぬ措置だと認めるにしても、2020年までに公道での遠隔操作等による無人運転走行を実用化するためには、たとえ、実証実験等により「無人自動運転(車)」の技術開発が実用化のレベルに達しても、現行の道路交通法をはじめとする関連法令の抜本的改革が為されなければ「無人自動運転(車)」の実用化は「絵に描いた餅」になってしまいます。もちろん、政府等もそのことを十分に承知しているはずで、「完全自動走行の実現に向け、どのような法令を整備する必要があるかをまとめた大綱を今年度中に策定し、安全基準に関する規定や事故があった場合にだれが責任を負うべきかなどを規定する関連法の改正案を2018年にも策定する方針を表明している」(2017.5.7付毎日新聞『クローズアップ2017』)とのことです。しかし、「関連法の改正」というレベルで、しかも、1年足らずの年月で「整備する法令の大綱」を策定し、その後、1年以内に「改正案を策定する」という性急すぎるタイムスケジュールでの関連法の整備で、果たして本当に「無人自動運転(車)」の実用化社会に対処しきれるのか、大きな懸念を抱かざるを得ません。
★改めて確認しておきたいのですが、「無人自動運転(車)の実用化」は、これまでの「クルマ社会」の基盤を覆す自動車史上の大革命です。したがって、現行の道路交通法など関連法令の単なる一部改正や一部付加などの小手先的整備で、その革命的事態に対応するというのはあまりにも安直すぎて、はじめから「2020年までに公道での遠隔操作等による無人運転走行を実用化する」という政治的目標を優先させた「帳尻合わせ」の粗雑・杜撰(ずさん)な対応で、それでは必ずや早々に様々な問題が発生し、社会的混乱や思わぬ被害をもたらすことになるだろうと懸念するのです。繰り返して確認しておきますが、「無人自動運転(車)の実用化」は、これまでの「クルマ社会」の基盤を覆す自動車史上の大革命です。それ故にその革命的事態に的確に対応するためには、全く新たな道路交通法など関連法令の体系を策定構築・施行するべく腰を据えての取り組みが必要不可欠だと考えます。さらに付言すれば、その新たな法体系の検討・策定構築に当たっては、関係当局者のみならず有識者を交えた然るべきプロジェクトチームを立ち上げてその作業に当たるべきことはもちろん、そのプロジェクトチームでの議論等を逐次公表し、問題点を明らかに示しつつ、広く国民世論の関心と理解を高め、またその意見等にも謙虚に配慮しながら、大多数の国民が賛同できる法体系を構築していく、というオープンな過程を踏むことも必要不可欠なポイントだと考えます。なぜなら、「無人自動運転(車)の実用化」の実質的担い手になり、その恩恵を受けるのも一般国民であると同時に、予想外の様々な制約や負担・被害を強いられることになる可能性もあるのが多くの一般国民だからです。だからこそ、広く国民世論の意向を確かめつつ、その理解と賛同を得ながら「無人自動運転(車)の実用化」を推進すべきだと考えますが、現状ではそうした広報的活動が為されないままに、政府の意向だけが優先され、一般国民の理解や意向は度外視され、あまりにも性急に事を推し進めているように思えてなりません。
★確かに、「無人自動運転車」の導入が実現すれば、交通事故の減少や交通渋滞の解消、また、運送業界の人手不足や過疎地域等の移動弱者の解消にも役立つ可能性はあります。しかし、そのためには、「無人自動運転車の導入の安全性」が十分に担保されたものでなければなりません。もちろん、「無人自動運転車」の導入を促進している政府や自動車メーカー等もそのことは十分に認識しており、その安全性に自信を持つからこそ、早々の実現化を促進しようとしているのでしょう。だが、しかしです。どんな先進技術・ハイテクにも「絶対安全」などはあり得ません。むしろ、未知の先進技術・ハイテクだからこそ、想定外の未知の危険が隠れ潜んでいるものだ、ということを、これまでのあまたの先進技術・ハイテクの産物が証明してきているのは厳然たる事実で、3・11東日本大震災で「原発の安全性」の「神話」が崩壊したのがその典型でしょう。しかし、それにもかわらず、「廃炉」に向けた道筋や日々増加し続けている「核ゴミ」の処理方法も未解決のまま、目先の利益を優先し、「再稼働」を良しとする一握りの存在が実質的決定権を発揮している我が国において、あまりに性急すぎる「無人自動運転車の導入」の安全性がどれほど検証され、担保されるのか、大いなる疑念を抱かざるを得ないのです。
★なお、「雑記子」は、「無人自動運転(車)の実用化」を成し遂げる上で必要不可欠なのは、これまでの「クルマ(自動車)社会」とは全く次元の異なる新次元の「クルマ(自動車)社会」に見合う全く新たな法体系の構築だと考えます。しかし、政府等では、既存の関連法体系の単なる一部改正や一部付加というような短絡的整備で済むべく考え、かつまた、広く一般国民の理解を高め、その意向等を確かめることも不十分なまま、単なる一部改正や一部付加的すぎる法整備を性急・短絡的に進めている、という観点から「無人自動運転(車)の実用化」の安全性に大きな危惧を抱くものですが、奇しくも、去る4月3日の日本経済新聞にイギリスの日刊経済紙「フィナンシャル・タイムズ」(2015年12月から日本経済新聞の傘下となっている)のコラム「アルファビル」の担当記者イザベラ・カミンスカ氏の手になる「自動運転技術の落とし穴」と題するコラムが掲載され、「自動運転技術」そのものの危険性を指摘していますが、これは「無人自動運転(車)の実用化」を「安全第一」で推進していく上で決して見過ごすことができない重要な指摘だと思われますので、以下に、そのコラム記事を抜粋して「自動運転技術の落とし穴」の概要を紹介しておきましょう。
★まず、カミンスカ記者はコラム記事の冒頭で「(自動運転車は)安全性を高める技術とされている。だが、開発段階にある現時点でそう考えるのは非常に大胆といえる。何しろ、安全性の向上を確認する科学的根拠がまだないのだ」と、根源的な疑義を表明しています。そして、「(自動運転車の)技術が向上しているのは間違いない。しかし、たとえ、技術的な課題が克服できても、社会に予想しないような大きな悪影響がもたらされる事態(負の外部性)はおそらく防げないだろう。例えば、米ライドシェア最大手ウーバーテクノロジーズの自動運転車が、米アリゾナ州で最近起こした事故だ。試験運転中のウーバーの車両に過失はなく、相手の車の運転手が道を譲らなかったのが原因だ。安全な自動運転の普及に向け、道路上での人間の運転手とのやりとりは大きな課題だ。人間が行動する動機はアルゴリズムの動機と大きく異なる。基本的に、ほとんどの運転手は自身や他人を守ろうとする。アルゴリズムではそれが保証されない。・・・略・・・(また)自動運転車はハッキングされれば、いとも簡単に凶器となる。・・・略・・・(また)プログラマーに信頼を置けるかという問題もある。・・・略・・・、自動運転車はプログラマーが設計し維持管理する。人数が多く説明責任を追及されにくい彼らは、常に適切に動機づけされていると言い切れるだろうか」等々、というように、自動運転車の技術上に潜む根源的な危険性を指摘しています。
※「雑記子」による註、アルゴリズムとは、「定式化された手順による問題解決法」というような意味・概念で、コンピュータープログラム等がそれに該当する。
★日本はもとより欧米各国の自動車メーカーやIT企業等がその技術開発にしのぎを削り、技術的には実用段階にあるとされる自動運転車も、冷静に考えれば、イザベラ・カミンスカ記者が指摘するように、その技術的「安全性」が科学的に証明されているわけでは決してないことは確かです。その上、「雑記子」も懸念してきたように、「自動運転車の実用化」に伴う関連法の整備等も拙速すぎる状況にあります。にもかかわらず、なぜ、「自動運転車の実用化」を急ぐのでしょうか・・・。繰り返しになりますが、確かに、「無人自動運転車」の導入が実現すれば、交通事故の減少や交通渋滞の解消、また、運送業界の人手不足や過疎地域等の移動弱者の解消にも役立つ可能性はあります。しかし、そのためには、「無人自動運転車の導入の安全性」が十分に担保されたものでなければならない、この最も肝心な点を決して疎かにしないでほしいと、関係当局(者)に強く強く訴えて今回の「雑記」の結びにしようと思った今日6月15日、テレビニュースでは早朝から「共謀罪」の構成要件を改め「テロ等準備罪」を新設する改正組織犯罪処罰法案が、国会の野党はじめ日弁連や日本ペンクラブ等の有識者らも強く反対の声を上げ、かつ、国民の多くもその詳細等をよく理解できないままに、14日からの夜通しの参院で、同法案の廃案をアピールする市民グループが国会を取り巻く中、委員会での採決を省略して本会議で採決するという異例の手続きにより可決したことを報じていましたが、そのニュースを視聴しながら、なぜか、拙速すぎる「自動運転車の実用化」の動きと、「内心の自由」等という基本的人権が犯される恐れがあると懸念されている「テロ等準備罪」を新設する「改正組織犯罪処罰法」が強引に可決されたことが相まって、何となく「危なっかしい世の中・社会」が近づいているような嫌な予感を抱いたことを付記して稿を閉じます。160617

 

【2017年5月23日更新】

■「高齢者講習」や「認知機能検査」の予約を取るのが大変だ!?・・・

★5月3日(水)の読売新聞(朝刊)の読者の投稿欄(「気流」)に掲載されていた「認知機能検査、予約いっぱい」と題する投稿を読み、「やはりね、案の定か・・・」と、かねてからの懸念が一層拡大しました。まず、その読者の投稿というのは、75歳の免許保有者のもので、去る3月に施行された道路交通法の一部改正により「免許更新時における認知機能検査」の検査対象者になったので、さっそく最寄りの自動車教習所に検査の申込を行ったところ年内は予約でいっぱいとのこと。別の教習所にも電話したが、同じ回答だった。さらに友人も予約が取れないでいるという。「いったいどうなっているのでしょうか。」というものです。冒頭に記したように、この投稿は今年の3月に施行されたばかりの新たな「認知機能検査」の予約が取れないで困っているというものですが、実は、改正以前から実施されて70歳以上の免許更新者に義務づけられている「高齢者講習」や75歳以上の免許更新者に義務づけられていた「認知機能検査・高齢者講習」でも同様の状況が少なからず発生していたのです。
★まず、雑記子自身、5年前、初めての「高齢者講習」を受講する際、期限日の4カ月以上も前に申し込んだにもかかわらず、取れた予約受講日は、雑記子の希望とはかなりかけ離れた免許証の有効期限の1カ月ほど前というあわただしいものであった―という経験をしています。また、それ以後には、友人・知人などから「高齢者講習の受講予約がなかなか取れない、更新期限も迫っているし、どうすればよいのか・・・」という焦りの相談を受けたことが少なからずあります。つまり、こうした事態、すなわち、「高齢者講習の予約が取りにくい」、「認知機能検査の予約が取れない」という事態は、今度の道交法一部改正の施行によって新たに生じた問題では決してなく、以前からも同様の状況があり、だからこそ、冒頭に「かねてからの懸念が一層拡大しました」と記したのですが、今後は、75歳以上となる免許保有者数が年々増加していくことが明確ですから、読売新聞の投稿者のように、「認知機能検査の予約が取れない」と困惑する人はもちろん、70歳以上の免許更新者に義務づけられている「高齢者講習」でも、その受講日が予約しにくいという事態に遭遇する人がこれまで以上に増えてくることでしょう。なぜ、そうした事態が生じるのか、以下に、その理由・背景等について考えてみることにします。
★周知のことと思いますが、「高齢者講習」や「認知機能検査」は、都道府県によっては例外的に運転免許センターで行っている場合もありますが、そのほとんどは都道府県公安委員会が委託した自動車教習所で行われているというのが実情です。そして、「高齢者講習」や「認知機能検査」を行っている自動車教習所でも、ほぼ毎日実施している所もある一方、週に曜日を限定して実施している所もあるというように、一律ではありません。また、雑記子の体験や取材結果からすると、さまざまな視機能検査機器や運転シミュレーターは数台以上用意している所も少なくありませんが、講習や検査に携わる教官数は2人から3人程度という場合がほとんどですから、結局、受講者や受検者は1人1機種ずつ、一度にせいぜい2人から3人の受講者・受検者しか指揮・指導することができませんし、特に実車走行講習(検査)では、1台の車に教官が1人乗り込み、1人の受講者がハンドルを握り、後部座席に2人の受講者が乗って同乗待機する形で、せいぜい2台から3台の車で実車走行講習(検査)を行っているのが多くの実態です。したがって、一回当たりの受講者数や受検者数は、せいぜい数人から10人前後に限られるということになっており、「高齢者講習」や「認知機能検査」の受講・検査予約日がなかなか取れない、取りにくいという苦情が多く聞かれるのは、結局、「高齢者講習」や「認知機能検査」の受け入れ現場のこうした状況、つまり、「高齢者講習」や「認知機能検査」の講習や検査に携わる教官数が少ないなどのキャパシティ、すなわち、受け入れ容量が小さすぎる―というのがその最大の背景要因になっていると考えられます。
★なおまた、ようやく予約が取れて受講・検査を受けても、以下のような苦情も多く聞かれます。たとえば、今年3月の道路交通法一部改正以前の70歳以上75歳未満の「高齢者講習」は講習時間が3時間で、受講料標準額は¥5,600(※この標準額を基に都道府県公安委員会が決定するため、都道府県により差がある。また、¥5,600は何度かの一部改正によって値下げになったもので、当初の標準額は1時間当たり¥2,100だった)となっていましたが、「¥6,150もする受講料とその内容に腹立たしさを覚えた。講習は、テキストの座学が約30分、ゲーム機のようなシミュレーターによる反応テストが約20分、コース内の走行テストが約10分。予定の3時間のうち残りはほとんど待ち時間だった。行政側は、どのようにして内容の伴わない受講料を算出したのか、示してもらいたいものだ。(・・・略・・・)少子化による先細りの教習所や、免許関係者の天下り先確保に協力させられているのではないかと危惧するのは老人のひがみだろうか」(※2007年9月4日付毎日新聞・読者投稿欄『みんなの広場』所載)とか、「2度目の高齢者講習を受けたが前回とまったく同様の内容だったので、あまり役立たなかった」というような講習内容や受講料に関する疑念や苦情がそれで、そうした疑念や苦情はあまり表には出ていませんが、少なくとも、雑記子の周辺ではよく聞かれるものです。せっかくの「高齢者講習」や「認知機能検査」にこのような疑念や苦情が出てくるのは、先に紹介した毎日新聞の投稿者が危惧しているような、少子化による先細りの教習所を救済するためでも、免許関係者の天下り先確保に協力するためでもなく、端的に、「高齢者講習」や「認知機能検査」を受託した自動車教習所の目線で言えば、当初の思惑に反して、ビジネスとしては収益性に乏しく、増大する需要に応えられる教官・検査官等の人員を配備することができない―というのが問題の根源と思われます。
★もちろん、数千円という受講料は、大半の高齢運転者にとって相応の負担となる金額で、決して「安い」と言えるものではありませんし、一度の受講者が10人前後とはいえ、2人から3人程度の人員を配して3時間程度の講習等で数万円もの収入になるのですから、自動車教習所にとっても結構なビジネスになるのではないか・・・とも思われます。しかし、その業務を受託するに当たっては、さまざまな視機能検査機器や運転シミュレーター等を配備しておかなければなりませんが、そのための先行投資額は短期間に回収できるほど安価なものではありません。しかし、教習所によっては「取らぬ狸の皮算用」で視機能検査機器や運転シミュレーターを数台以上も購入して設置したところもありますが、これらをフルに活用するためにはそれに付帯する教官・検査官等の人員をも配置しなければならず、人員の人件費や機器材の償却費や更新費用を総合的に考えると、一度の講習・検査に割ける教官・検査官等の人員は、せいぜい2人から3人程度ということになり、したがって、一度の受講者数は10人前後に限られ、故に、受講・検査予約が取りにくく、かつ、受講時にも「待ち時間」が出てくる、そういう状況になっているのではないかと考えられます。
※なおちなみに、「高齢者講習」や「認知機能検査」の受講料・検査料は、その全額が現場の自動車教習所の収入になるわけではありません。都道府県によって若干の例外がありますが、受講料・検査料は都道府県の「証紙」で支払う、つまり、いったんは、都道府県税として納入し、講習・検査現場の教習所等には、改めて都道府県から委託費として支払われますが、その委託費は、手数料等の名目なのか、定かではありませんが、一定額が差し引かれ、受講者が支払った額の8割から9割の額が講習・検査現場の教習所等に支払われるというのが実情です。
★以上は、あくまでも雑記子の「私見」にすぎず、他に真なる事情があるのかもしれませんが、受講者が支払う数千円という受講料は決して「安い」と言えるものではありませんし、運転免許の継続を希望する高齢運転者にとっては避けることのできない関門なのですから、「高齢者講習」以外の通常の免許更新時講習と同様に、受講者が希望する日にスムーズに予約が取れ、かつ、結構な金額に見合う内容、待ち時間等の無駄がない講習が行われて然るべきだと思うのは当然のことでしょう。にもかかわらず、それが出来ていないのはなぜなのか、当局者は早急に現状を把握し、問題点をしっかり洗い直し、然るべき改善策をきちんと実現して、多くの高齢運転者の苦情・疑念を一日でも早く解消してもらいたいと切望しておきますが、問題は、「予約が取りにくい高齢者講習」だけではありません。
★周知のように、今年の3月には、高齢運転者の、いわゆる「認知症対策」を強化する道路交通法の一部改正が施行され、「認知機能検査」の結果、「認知症のおそれがある」とされる「第一分類」と判定された場合、旧制度では、過去1年以内に「信号無視」や「一時停止違反」、「逆走」など規定の交通違反をしていた場合や、免許更新後に同様の交通違反をした場合にのみ専門医の診断を受けることが義務づけられていましたが、一部改正後に「第一分類」と判定された場合は、それら交通違反の有無にかかわらず専門医の診断を受けなければならないことになりましたので、専門医の診断の対象となるドライバーの数は、これまでの年間4,000人程度から、その10倍以上の約5万人に増えると見込まれています。しかし、その専門医は全国で1,500人ほどしかおらず、しかも、地域的に偏在しているため、専門医の診断を受けることが至難なことになるということです。このため、一部改正では専門医のみならず「主治医」やかかりつけの医師の診断でも可とするとともに、警察庁は認知症の診断書のモデル書式を一部簡略化し、専門でない医師でも診断に応じやすくするため、認知症の判断をする上で必要な項目に絞り込み、各都道府県警が地元の医師会などに協力を要請し、現在、全国で3,000人余の医師が協力を承諾しており、各都道府県警ではこれらの医師を紹介することにしているとのことですが、地域によって医師の偏在がまだあり、引き続き協力依頼を続けていくとしています。また、日本医師会では認知症の正確な診断に役立つ独自のマニュアルを作成したとのことです。しかし、認知症診断は運転免許の停止や取り消しにつながるだけに医師の責任は重く、「主治医」やかかりつけ医の中には、診断経験が豊富でない等の理由でドライバーの受け入れを躊躇する者もいることは否定できませんので、果たして必要な診断体制が十分に整備できるのか、懸念が残ります。
★そもそも、2015年1月に警察庁が「認知機能検査の強化」のための道路交通法一部改正の試案を公表した直後の2月、精神科医ら約1万6,000人でつくる公益社団法人・日本精神神経学会は、「認知症と危険な運転との因果関係は明らかでなく、この道路交通法改正は拙速だ」として、「道路交通法の改正より前になすべきことがたくさんあり、今回の改正は見送り、当事者(家族)団体、医療関係者、関係学会、司法関係者、有識者で構成される検討会を開催し、十分な検討を強く望む」という意見書を出しています。すなわち、「(安全運転上の)欠格とされているのは介護保険法に規定する認知症であり、医学的意味での認知症全般を指すわけではありません。(警察庁の)改正試案で、その混同をあえてしており、用語の使用法という観点からしても不適切」、「認知症の診断は短期記憶の障害を重視しますが、これは医学的に妥当なことですが、記憶障害それ自体が運転に与える影響は小さい」、「医師はその疑いがある者も含めて病気と診断する傾向にあり、これも健康維持という観点からすれば妥当なことですが、運転能力が残されているにもかかわらずそれが制限されてしまう者を生じさせる可能性がきわめて大きく、診断場面や検査で適切な方法が現在存在しない以上、安易な診断書作成には協力できない」、「平成25年中に認知機能検査で認知症のおそれがあると診断された者は34,716人という多数に及ぶことが明らかにされているが、こうした多数の者を診断する医師をどのように確保するのか、その方策が全く示されていない」等々の問題点を指摘し、「道路交通法の改正より前になすべきことがたくさんあり、今回の改正は見送り、当事者(家族)団体、医療関係者、関係学会、司法関係者、有識者で構成される検討会を開催し、十分な検討を強く望む」と提言したのです。こうした専門家の貴重な提言があったにもかかわらず、それに耳を傾けることなく、既定の行政日程に従って公布・施行されたのが今回の「認知機能検査の強化」策ですから問題が発生することは当初からわかっていたことでもあります。それだけに、施行後の今日、いまさらながら問題点を指摘するというのも、忌々しい感を禁じ得ませんが、当局においては、少なくとも、医学専門家からみて、危険な運転との因果関係が必ずしも明らかでない「認知機能検査」によって「認知症のおそれあり」とされる「第一分類」と判定された高齢運転者に義務づけられる医師の診断が、「主治医」やかかりつけ医ではなく、認知症の専門医によって厳格に行われるための体制を早急に構築するために必要な対策を確実に実現するべく真摯に取り組むことを切望しておきましょう。230517

 

【2017年4月21日更新】

■「人対車両」の事故と「歩行中」の事故との違いについて考える・・・

★4月6日(木)から15日(土)までの10日間、毎年恒例の「春の全国交通安全運動」が実施されました。運動の「重点」はこれまた毎年恒例化しているといっても過言ではない「歩行中・自転車乗用中の事故防止」、「シートベルト(チャイルドシート)の正しい着用の徹底」、「飲酒運転の根絶」の3つですが、この「重点」の一つ、「歩行中・自転車乗用中の事故防止」に関連して、警察庁は、「運動」に先立つ3月23日、そのホームページ上で、過去5年間(2012年から2016年)に全国で発生した「歩行中」の交通事故死傷者の「年齢」別発生状況を分析した結果を公表しました。そして、新聞各紙やテレビ各社がこれに基づき、3月24日以降、「歩行中の死傷者7歳が最多」などと題したニュースを報じました。そこで今回の「雑記」では、まず、警察庁が3月23日にそのホームページ上に掲載した交通事故統計の分析結果を改めて検証し、その概要を紹介してみようと思います。
★まず、新聞各紙の記事によると、過去5年間(2012年から2016年)に全国で発生した「歩行中」や「自転車乗車中」の交通事故死傷者の「年齢」別発生状況を分析した結果、「歩行中」は7歳、「自転車乗車中」は16歳が突出して多いことが分かった―という報じ方をしていますが、警察庁のホームページを検証してみると、その分析結果は「子供等の交通事故について」と標題されており、警察庁の分析目的は、「歩行中」や「自転車乗車中」の交通事故死傷者の「年齢」別発生状況ではなく、子供等の交通事故死傷状況を明らかにすることにあったと思われます。というのも、毎年恒例の「春の全国交通安全運動」は、「次代を担う子供のかけがえのない命を社会全体で交通事故から守ることが重要であるにもかかわらず、通学中の児童が死傷する交通事故が発生するなど、依然として道路において子供が危険にさらされていること(・・・略・・・)に的確に対処するため」(※「平成29年春の全国交通安全運動推進要綱」の「運動の基本」から抜粋)のものである故に、小学校等や幼稚園の新入学(園)時に当たるこの時期に実施されているのであり、「子供の交通事故防止」がそもそもの大目的になっていたからです。しかし、近年は、「少子高齢化」により、特に子供の交通事故死傷者数は大幅に減少し、代わって高齢者の交通事故死傷者の増加が大きな課題になり、なかでも、年間の交通事故死者数の半数以上が65歳以上の高齢者で占められるという状況になってきましたので、高齢者の交通事故(死)とその防止がクローズアップされるようになり、近年の「春の全国交通安全運動」では、「子供と高齢者の交通事故防止」を運動の基本に据えるようになっています。なお、ちなみに、「歩行中」の交通事故死傷者の「年齢層」別発生状況をみても、子供(15歳以下)の「歩行中」の交通事故死傷者数は、実数においても、人口当たりでみても明らかな減少傾向をたどっているのに対し、65歳以上の高齢者の「歩行中」の交通事故死傷者数はこの数年、減少化の傾向をたどりはじめたとはいえ、「子供(15歳以下)」、「若年層(16歳から24歳)」、「青年層(25歳から39歳)」、「壮年層(40歳から64歳)」、「高年層(65歳以上)」という年齢層区分でみれば、「高年層(65歳以上)」が31%以上を占め最多となっており、特に「歩行中」の事故「死者」に限ってみると、65歳以上の高齢者が70%前後を占め圧倒的に多いという状況にあります。
★そうした状況の下、この度、警察庁が敢えて「子供等の交通事故について」と標題した交通事故統計分析結果を公表したのは、近年、「集団」登校中の小学生の隊列に暴走した車が突っ込み多数の子供たちを死傷させるという悲惨な交通事故が相次いで発生、たとえば、昨年だけでも、3月には群馬県高崎市の市道で、登校中の児童の隊列に乗用車が突っ込み、小学1年生の男児が死亡、10月には横浜市港南区の市道で、集団登校中の児童の隊列に軽トラックが突っ込み小学1年生の男児が死亡したほか6人が重軽傷を負うという事故が発生、11月には千葉県八街市の国道で2トントラックが登校中の児童の列に突っ込み小学2年生から5年生の男女4人が重軽傷を負うという事故が発生しており、登校中の子供たちの安全通行の確保が社会問題化していることがあってか、従来まで一般的であった交通事故死傷者の「年齢層」別発生状況分析に替えて、「1歳以下」から「98歳以上」まで1歳刻みの年齢ごとに「歩行中」や「自転車乗車中」の事故死傷者発生状況を分析した結果、「年齢層」別発生状況では見られなかった意外な結果、すなわち、「歩行中」の事故死傷者では7歳が、「自転車乗車中」の事故死傷者では16歳が突出して多いことが判明したからではないかと思われます。また、「子供」の死傷状況に関しては、小学生を1年生から6年生まで、中学生を1年生から3年生まで学年ごとに区分して分析し、その結果を公表したことも今回の分析の特徴の一つですが、その分析結果では、「歩行中」の事故死傷者では小学1年生と2年生が圧倒的に多く、「7歳児の事故死傷者が突出して多い」ということを裏づける結果になっています。
★ただし、「歩行中」の事故「死者」の「年齢」別発生状況をみると、81歳が突出して多く、これを含めた65歳以上の高齢者が70%ほどをも占めており、交通事故「死者」の減少対策では、やはり、高齢者対策が重要課題であることには変わりありませんが、これまで、ともすると「死者」の減少だけに目を奪われ、死傷者全体の状況把握が見逃されがちであったことを考えると、「子供等の交通事故について」と標題し、「歩行中」や「自転車乗車中」の事故「死傷者」の「年齢」別発生状況を分析し、公表した今回の警察庁の取り組みは大いに評価できるものであり、これを機に「次代を担う子供のかけがえのない命を社会全体で交通事故から守ることが重要である」ことを改めて確認し、関係各位がその課題解決に向けて真摯に取り組むことを期待したいものですが、この4月6日から15日までの10日間に実施された毎年恒例の「春の全国交通安全運動」の実施状況を見る限り、期待しているような新たな展開はほとんど見られず、毎年恒例の「行事」として定着していることだから型どおりにであれ、ともかく実施しなければならない・・・というような風潮で形式・形骸化しているようにみえるのは残念の極みです。そこで、敢えて付け加えますが、「登下校中の子供の安全確保」は、交通安全の確保のみならず、「防犯」とリンクさせて取り組むことで新たな展開の可能性が拡大すると思いますので、関係各位はそのコンセンサス(共通認識)構築に尽力し、「次代を担う子供のかけがえのない命を守る」ため、まずは「登下校中の子供の安全」を総合的に確保する新たで効果的な取り組みについて、早急に広く知恵・知見を集めて検討し、具体化して実施してほしいと切に願うものです。ちなみに、「登下校中の子供の防犯」というのは、たとえば、去る3月26日に発覚し、4月の14日に至ってようやく容疑者が浮かび上がった千葉県我孫子市でのベトナム国籍の小学3年女児の登校途中での拉致・殺害事件のような無残な事件を防ぐということですが、近年は、こうした登下校中の子供が拉致・誘拐され、殺害されるという悲惨な事件が頻発しているという印象を強く感じていますが、こうした事件を絶つためにも、「交通安全」と「防犯」とをリンクさせた「登下校中の子供の安全確保」の新たな展開策を早急に構築すべきだということです。
★さて、話題が大きく転換することになると思いますが、上記で話題にした「歩行中」の交通事故というのは、一般的に「歩行者事故」と言い慣らされているものですが、警察の交通事故統計上の事故「類型」では「人対車両」の事故として区分されているものと重なります。しかし、「歩行中」の事故または「歩行者事故」と「人対車両」の事故は必ずしもまったく同義・イコールではありませんので、以下では、このことについて改めて解説してみることにします。まず、警察の交通事故統計上の「事故類型」というのは、交通事故の第一および第二当事者がどのような行動関係にあったのか―によって交通事故を区分するものですが、まずは、「人対車両」、「車両相互」、「車両単独」、「列車(踏切)」の4つに大別されています。そして、今回、話題にしている「歩行中」の事故というのは、この4つの類型中の「人対車両」の事故にほぼ該当しますが、ここに言う「人」とは、道路を通行中のいわゆる「歩行者」だけではなく、路上作業に従事中の者や路上で遊んでいた者(路上遊戯中の者)、また、何らかの事情で路上に寝転んでいたり、佇んでいた者も含まれ、これらを「一般歩行者」として区分しているほか、身体障害者用の電動または手動の「車いす」や「小児用の車」、ローラースケート・スケートボードや一輪車に乗っていた者、また、自動二輪車や原動機付自転車あるいは二輪か三輪の自転車を何かの事情で押して歩いていた者など、道路交通法上「みなし歩行者」とされる「準歩行者」も含まれます。こうした「人」が、車道、歩道、路側帯のほか「一般交通の用に供されている場所」など道路交通法上で規定される「道路」で、「車両」と衝突して交通事故の第一当事者または第二当事者になったものが「人対車両」の事故として区分されます。
★したがって、一般的に考えれば「人」の概念のほうが「歩行中」よりも広義な言葉ですから、それからすると、「歩行中」の事故死傷者数よりも「人対車両」の事故死傷者数のほうが多いのではないかと思われます。しかし、手元にある最近3年間(2013年から2015年)の交通事故統計データで検証してみると、「人対車両」の事故死傷者数は年平均59,027人であるのに対し、「歩行中」の事故死傷者数は年平均59,388人となっており、「歩行中」の事故死傷者数の方が若干多いという意外な結果になっています。しかしこれは、「人対車両」の事故というのは、あくまでも「人」が第一当事者または第二当事者になった事故に限られますので、たとえば、交差点等で車両同士が衝突し、その衝突のはずみで一方の車両が交差点を横断中の歩行者をはねて死傷させた―という事故も発生していますが、この場合は、最初に衝突した車両のいずれかが第一当事者となり、もう片方の車両が第二当事者となり、はずみの衝突で死傷した歩行者は第三当事者となりますので「人対車両」の事故には該当しません。これに対して「歩行中」の交通事故死傷者というのは歩行者等の「人」が第一当事者または第二当事者以外でも「車両」との衝突によって死傷した場合のすべてがカウントされます。ただし、何らかの事情でハンドル操作等を誤り、路外に逸脱した車両が家屋・店舗等に突っ込んで、家屋等の中にいた人が死傷した―という場合は「車両単独」となり、「人対車両」の事故には該当しませんし、「歩行中」の事故死傷者にも含まれません。また、歩行者等の「人」が踏切上で列車にはねられ死傷した場合は、事故類型では「列車事故(踏切事故)」に区分され、「人対車両」の事故にはなりませんが、踏切は道路上の一部であることから「歩行中」の事故死傷者としてカウントされます。これらの事情により、「人対車両」の事故死傷者数よりも「歩行中」の事故死傷者の方が多い―という結果になっているのです。ただし、先にも紹介したように、その差はわずかで、年平均で「歩行中」の死傷者数は360人ほど、死者数に限ると数十人、「人対車両」の事故死傷者数よりも多いという状況ですが、それにしても、事故の第一当事者や第二当事者以外の「歩行中」の「人」が交通事故という突然の災いに巻き込まれて死傷した数が年平均360人ほど、死者だけでも数十人もいるというのは、決して軽視すべきことではありません。
★この「雑記」でも、過去に何度も取り上げましたが、政府は、「世界一安全な道路交通(の国)を実現する」ことを目指していますが、政府(首相が会長を務める中央交通安全対策会議)が掲げる「平成32年(2020年)までに24時間死者数を2,500人以下にする」という目標は、確かにその実現の可能性が少なくないものだとは思います。しかし、仮にその数値を達成したとしても、その死者数の3分の1ほどもが「歩行中」の死者で占められるという欧米先進国では見られない状況が続く限り、真に「世界一安全な道路交通の国」とは言えませんし、何よりも「24時間死者数を2,500人以下にする」という目標を達成するためにこそ、まずは、「歩行中」の交通事故死者の減少をこそ重点的に取り組む課題だと思うのです。そして、その課題解決のためには、いわゆる「歩行者事故」、事故類型上の「人対車両」事故や「歩行中」の死傷者の発生状況を冒頭に紹介した今回の警察庁の「子供等の交通事故について」のような新たな視点での詳細な事故統計分析をしっかり行い、事故の発生状況と問題点、なかでも、なぜ、7歳児の死傷者が群を抜いて多いのか、なぜ、75歳以上のいわゆる「後期高齢者」の「歩行中」の事故死者が多いのか、さらには、なぜ、我が国は欧米先進国に比べ「歩行中」の事故死者の割合が高いのか等をしっかり解明し、まずは、その発生状況と問題点を広く周知することを図り、かつ、関係各位のコンセンサス(共通認識)をしっかり構築・確立することが必要不可欠だと思う次第です。210417

 

【2017年3月21日更新】

■「自動運転の実用化」にかかわる関連法整備上の問題点・・・

★2月3日から4日にかけての新聞各紙は、国土交通省が「自動ブレーキ」に関し、自動車の安全基準を議論する国連の作業部会に国際的な性能基準づくりを提唱、国際基準ができ次第、法令を改正し全新型車への搭載を義務化することを目指して動き出した―と報じています。すなわち、【前方の危険を自動車の装置が察知して停止する自動ブレーキは、現在、国内外のメーカー各社が独自に開発に乗り出し、搭載・販売されている。国交省によると、2015年に生産された新車の45.4%に搭載されていた。ただ搭載は任意のため、統一的な安全基準はなく、メーカーや車種によって性能に大きな差がある。たとえば、全く同じ条件で歩行者に対する停止実験をした場合、(歩行者に模した)人形の前で止まる車と、止まれずに人形をはねてしまうものがあるという。自動ブレーキは、前方の車や壁などに反応する「対物」と、歩行者に反応する「対人」の2種類に大別される。国連の部会では、両方の安全基準について議論される見通し。国際基準が策定された場合、国交省はそれを新型車販売の条件にするように法令を改正し、最終的に全車への搭載を義務づけたい意向だ。(特に)日本は高齢化に伴い、高齢者ドライバーの事故が多発し、社会問題となっている。このため国交省は高性能な自動ブレーキを普及させることを目指し、国連(の作業)部会に基準づくりを提案。(去る)1月に策定着手の方針が決まった。国交省関係者は、「この数年でまとめられると期待している」と話す。】※2017.2.3朝日新聞夕刊、※アンダーラインがある( )書きは雑記子による。
★上記の記事をはじめ、2月3日から4日にかけての新聞各紙で報じられた「自動ブレーキ」というのは、内閣府に設置されている「高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(IT総合戦略本部)」が平成28年5月20日に公表した「官民ITS構想・ロードマップ2016」の「自動走行システム等の定義」によると、4段階ある「安全運転支援システム・自動走行システム」のうちの「レベル1」に該当する「ハイテク機能」で、今回の国交省の取り組みは、これにかかわる安全基準の国際化、統一化に向けての動向にすぎませんが、「官民ITS構想・ロードマップ2016」でその実現を目指している「レベル2」(「準自動パイロット機能」車)、さらにその上の「レベル3」(「システムの高度化段階」―非常時にドライバーが対応する準自動運転車)、そして、最終目標となっている「レベル4」(ドライバーが全く関与しない、または運転者不要の「完全自動走行」の段階)に関する技術開発、および無人自動走行車の実用化に向けての安全基準づくりや公道実験計画等も、多分、大多数の国民に周知されることもなく、また、大多数の国民がその実現はまだまだ先の「未来の夢」と思っているであろう間に、そうした思惑をはるかに上回る速度で着々と進められています。
※ちなみに、「官民ITS構想・ロードマップ2016」のITSというのは、Intelligent Transport Systems、つまり、「高度道路交通システム」のことで、「官民ITS構想」というのは、我が国の最大の輸出産業である自動車業界をめぐる大きく世界的なイノベーション(技術革新)の流れに対し、社会全体として適応し、「世界一のITSを構築・維持し、日本・世界に貢献する」ことを目標にして、具体的には、2025年ころまでには完全な「自動走行システム」と「無人自動走行による移動サービス」の実現を図ろうとするものです。
★【国土交通省は、自動運転車に関する初の安全基準を今秋にも導入する方針を固めた。高速道路などで同じ車線を走行する際に、運転者がハンドルから15秒程度手を離すと警報が鳴る仕組みを義務付ける。(この)統一ルールにより必要となる技術の要件が明確になるため、メーカーは開発を進めやすくなり、普及に弾みがつきそうだ。(・・・略・・・、)基準には、手を離した状態が続くと警報が鳴る仕組みのほか、道路のカーブのきつさに応じた速度の上限や、事故の危険を察知した場合などにドライバーが手動運転に切り替えられるようにすることも盛り込む。自動運転のさまざまな基準は、日本や欧州が中心となって国連の専門会議「自動車基準調和世界フォーラム」で議論。同一車線の走行に関する基準は、(国連の)下部組織(作業部会)がスイス・ジュネーブで開いた1月27日の会合で合意した。国交省の基準は、この国際合意に準じる内容だ。】以上は、2月2日の北海道新聞(朝刊)が報じた「自動運転に安全基準」と題した記事の抜粋(※アンダーラインがある( )書きは雑記子による)ですが、同様の記事が2月4日の新聞各紙でも報じられています。ただ、この「手離しハンドル」でも走行できる車は、先に紹介した「官民ITS構想・ロードマップ2016」の「自動走行システム等の定義」によれば、「レベル2」ないし「レベル3」段階の「安全運転支援システム・自動走行システム」ということになると思われますが、さらにその上の「完全自動走行(車)」の実用化・導入を目指す動きも同時並行的に進捗していることを見逃してはなりません。
★2月16日、首相官邸会議室で政府の成長戦略をつくる「未来投資会議」の第5回目となる会合が開催され、運転者が不要な「完全自動運転車」の一部を2020年度に実現するための実行計画をまとめました。以下にそれを報じた新聞各紙の記事からその「実行計画」等の詳細概要を整理して紹介してみましょう。まず、この「会議」の議長である安倍晋三首相は「2020年までに運転者が乗車しない自動走行車の導入によって、地域の人手不足や移動弱者を解消する」との基本的意向を表明したとのことです。また、(1)過疎地など地方での無人自動走行による移動サービスの実験を2017年度内に行う、(2)2018年1月からは、先頭車と複数の後続車両(有人)のトラックの隊列自動走行の実験を高速道路で行い、(3)2019年1月からは後続車両が無人のトラックの隊列自動走行の実験を高速道路で行い、(4)2020年度には高速道路の隊列走行と地方での無人自動走行による移動サービスを実用化する、という「実行計画」の骨子が明らかにされましたが、「計画」の柱は2つで、その1つは高速道路でのトラックの隊列走行ですが、これは先の(3)でも分かると思いますが、先頭のトラックだけをドライバーが運転し、無人の後続トラック(複数)が自動走行で追走するシステムで、物流業界の運転手不足を解消する狙いがあり、2022年以降に東京―大阪間での商業化を目指しています。もう1つの柱は無人自動走行車による移動サービスで、電車やバス路線が廃止された過疎地などで、管制センターを設け、無人の車を遠隔操作し、住民が買い物や通院などに活用できるようにするもので、今年度(2017年度)から沖縄県等モデルとなる全国10ヵ所以上で実証実験を展開し、ニーズや課題などを検証しながら2020年度の実現を目指している、ということですが、2020年といえば、東京オリンピック・パラリンピックが開催される年で、安倍晋三首相は、この東京オリンピック・パラリンピックで無人自動走行を披露し、自動運転の国際的開発競争で日本の優位性を世界に示したいと考えているが故の「実行計画」スケジュールだと思いますが、何となく、あまりにも性急すぎではないかと・・・いう懸念が拭えません。
★新聞やテレビ等のメディアが報じる情報等を見聞きする限り、無人自動走行車の技術開発の面では、政府が想定している「実行計画」スケジュールの実現は決して無理なものではないようにも思えます。しかし、先に紹介した「自動ブレーキ」や「手離しハンドル」にしても、確かにその技術はすでに実現し、かつ、一部の市販車にはすでに搭載されているというレベルに達してはいますが、それら先進技術開発上の最も肝心な点は、ユーザーが安心して利用できるための確固たる安全基準の確立です。しかし、先にも紹介したように国内においても、ようやくその策定に着手したばかりの段階であり、かつ、その日本国内の安全基準を確定するためには、国際的な安全基準に準拠するものでなければなりませんが、その国際的な安全基準づくりの場では、アメリカ、欧州、日本等の各国および各国内各メーカー間での激烈な競争、自国・自社が持つ技術のグローバル・スタンダード化を目指す綱引きも厳しくあり、国際的な安全基準づくりの道も決して平坦ではなく、「レベル1」段階の「自動ブレーキ」に関する国際的安全基準だけでも、まとめあげるのに数年を要する―との見方もありますから、国内の安全基準の確定にも相応の年数を要すると考えられます。したがって、安倍晋三首相が第5回の「未来投資会議」で表明した意向、すなわち、「2020年までに運転者が乗車しない自動走行車の導入によって、地域の人手不足や移動弱者を解消する」ということが本当に実現できるのか・・・といえば、あまりにも楽観的すぎる見通し・意向のように思えます。
★その上、更なる難題もあります。道路交通法など現行の関連法規は、あくまでも運転席に人が乗り、運転者がハンドル、アクセル、ブレーキ等を操作して走行することを前提にしていますので、自動運転システムが運転の責任を負う「レベル3」以上については現行法規で対応できないこととなりますので、「自動運転」の先進技術を踏まえた関係法規の全面的な見直し・整備が大きな課題となります。2月16日に開催された「未来投資会議」では、人が運転に関与しない「完全自動運転」の実現に向けて、必要な法改正など制度整備に関する大綱を2017年度中に策定する方針を決め、安全基準に関する規定や自動運転車の認定、無人走行車が事故を起こした場合の責任の所在など関連法の改正案を2018年にも作成し、2019年の通常国会での成立を目指すこととしていますが、大綱は、国土交通省や経済産業省、警察庁といった関係省庁が検討を進め、政府のIT総合戦略本部が取りまとめる、ということですが、果たして、いわば「政官主導」で大綱を策定するということでよいのでしょうか・・・、大いなる疑念を禁じ得ませんが、ちなみに、民事法学、司法制度論が専門の中山幸二明治大学教授は、先日3月9日の日本経済新聞に掲載された「自動運転の未来と課題(下)、関連法規の整備作業 急げ」と題する論考の中で、これまでの自動運転の実用化に向けた法整備の経緯の概略を紹介し、その作業の問題点を指摘し、「自動運転を実用化するには工学と法学の懸け橋や技術者と法律家の対話が必要だ」と提唱しています。すなわち、「自動運転の実用化に向けた法整備の取り組みとしては、2015年10月に道路交通法改正と公道実験ガイドライン策定に向けて警察庁に有識者検討会議が設置されたのが発端といえよう。16年秋には国交省に自賠法の射程に関する検討会議、経産省に製造物責任法の相場観を探る検討会議が設置され、法律学者も加わり法的検討が進められている。ただし自動運転の技術と法律については残念ながら、なかなか有効な議論が成り立たない傾向にある。専門家は各専門領域の枠組みの中で、正確な学術用語を用い、専門的な議論をしたがる。しかし正確・緻密になるほど、門外漢には理解が困難となる。しかもイノベーション(技術革新)たる自動運転技術は従来の概念や枠組みに収まりきらない多様な側面を持つ。したがって、自動運転を実用化するには工学と法学の懸け橋や技術者と法律家の対話が必要だ。」※アンダーライン部分は雑記子が記入。
★人が運転に関与しない「完全自動運転」の実現に向けて、必要な法改正など制度整備に関する大綱を策定するに当たっては、国土交通省や経済産業省、警察庁といった関係省庁が検討を進め、政府のIT総合戦略本部が取りまとめるという、いわば、「政官主導」ではなく、上記に紹介した中山幸二明治大学教授の提唱にもあるように、まずは、「工学と法学の懸け橋や技術者と法律家の対話」の場を設置し、十分な議論を尽くすとともに、その議論の経緯や問題点などを適宜的確、かつ、分かりやすく国民一般にも周知し、国民の意向を確かめながら進めるのがベストでしょう。自動運転の実用化によってさまざまな負担を強いられたり、変換を迫られたりする上に、その支え手となるのも最終的なユーザー・一般国民なのですから、その理解や意向を蚊帳の外においての「自動運転の実用化」だけは願い下げです。だからこそ、「2020年までに運転者が乗車しない自動走行車を導入する」という政府目標は、あまりにも性急すぎて、かつ、背伸びしすぎていてかなりの無理があるのではないかと懸念するのです。「急がば回れ」ではありませんが、広く国民に周知し、その理解と共感を得ながら進める、それが最も重要な課題だと思うのですが・・・。210317

 

【2017年2月20日更新】

■交通安全、「喫緊の課題」について考える・・・

★前回の「雑記」では、近年、相次いで発生した高齢運転者による死亡事故に関して、昨年11月の関係閣僚会議で安倍晋三首相が高齢運転者による(死亡)事故の防止を「喫緊の課題」と位置づけ、来る3月12日から施行される75歳以上の高齢運転者に対する「臨時認知機能検査」等の道路交通法一部改正等による高齢運転者による(死亡)事故防止対策に「一丸となって取り組む」よう指示した―ということを受け、高齢運転者による交通事故の発生状況等を紹介しつつ、「高齢運転者対策」は、果たして、今後の交通安全対策の核心なのか、ということについて種々検証しましたが、「雑記子」としては、日本は、交通事故死者全体に占める歩行者の割合、つまり、「歩行中」の死者数の占率が欧米先進国に比べ、かなり高い―という状況にあることを踏まえると、なぜ、日本は欧米先進国に比べ、「歩行中」の死者数の占率が高いのか、その解明をきちんと為し、その状況を打開するための対策をしっかり確立・実行することこそが、死者数の更なる減少を図り、政府目標である「世界一安全な道路交通の国」を実現するための「喫緊の課題」かつ必要不可欠な課題であると認識すべきではないか・・・ということを記しました。そこで、今回は、日本の交通事故は、「歩行中」の死者の占率が欧米先進国に比べてかなり高いという憂うべき特徴を有していることに関し、交通事故死者の「状態別発生状況」等を取り上げてみようと思います。
★まず、日本は「歩行中」の死者の占率が欧米先進国に比べ、かなり高いという状況にある、その根拠データを紹介しておきましょう。1992年(平成4年)5月に国家公安委員会から道路交通法に基づく「交通事故調査分析センター」としての指定を受け、交通事故に関するさまざまな調査研究を行うとともに、交通事故に関する知識の普及および交通事故防止に関する意識の啓発を図るための活動を行っている「公益財団法人・交通事故総合分析センター」では、毎年、全国で発生した交通事故の統計データをまとめたいくつかの資料集を発行していますが、そのなかの一つとして『交通統計』と題する交通事故の統計集があります。「雑記子」の手元には、その最新版「平成27年版」があります(※「平成28年版」は今年の7月に発行予定)が、その第7編に「参考資料」として「各国の状態別死者数の比較」というデータが掲載されていますが、それをみると、比較対象となっている国々はドイツ、フランス、オランダ、イギリス、アメリカ、韓国そして日本の7ヵ国のみで、「国際道路交通事故データベース(IRTAD)による」との注がありますが、これらの国々がどのような基準等で選定されているのかは定かでありませんが、この「雑記」ではこれを基に「欧米先進国に比べ」と概括して紹介した次第です。また、扱われている死者数は、いわゆる「30日以内死者数または係数を乗じて換算した30日以内の死者数」であり、また、その「状態」としては「乗用車乗車中」、「自動二輪乗車中」、「原付乗車中」、「自転車乗用中」、「歩行中」、「その他」の6つに区分されています。
※ちなみに、我が国の警察の交通事故統計の「状態別死者・負傷者発生状況」では(1)(四輪)自動車乗車中(運転中、同乗中)、(2)自動二輪乗車中(運転中、同乗中)、(3)原付乗車中(運転中、同乗中)、(4)自転車乗用中(運転中、同乗中)、(5)歩行中(横断中、その他)、(6)その他、以上の6つに区分されており、「国際道路交通事故データベース(IRTAD)」の区分とはいささか異なっています。
★そして、最新版「平成27年版」では「2016.6.23現在のIRTADデータによる」2014年中の各国の状態別の死者数が掲載されていますが、それによると、ドイツでは「乗用車乗車中」の死者数が46.6%を占め最も多く、「歩行中」の死者数は15.5%にとどまっています。また、フランスでも「乗用車乗車中」の死者数が最も多く49.1%をも占め、「歩行中」の死者数は14.7%にとどまり、オランダは「乗用車乗車中」の死者数が37.2%、「歩行中」は10.5%となっていますが、「自転車乗用中」の死者数が24.8%を占めて7ヵ国中で最も高いという特徴が認められます。また、イギリスは「乗用車乗車中」が45.3%、「歩行中」は25.0%で欧米5ヵ国の中では「歩行中」の死者の割合が最も高いという特徴があり、アメリカは「乗用車乗車中」が36.5%、「歩行中」は14.9%ですが、「その他」(多分、乗用車や自動二輪、原付以外の自動車、つまり、トラック乗車中の死者数がそのほとんどであろうと推察されます)が32.3%を占めているという特徴があります。そして、日本は「乗用車乗車中」の死者数が21.8%にとどまり、「歩行中」の死者数が最多の36.2%を占めています(ちなみに、「自転車乗用中」の死者数も15.3%を占め、「歩行中」の死者数と合算すると、死者の半数以上を占め、いわゆる「交通弱者」の死者が多いという特徴が認められます。またちなみに、『交通統計』の「各国の状態別死者数の比較」には、上記に紹介したように、欧米5ヵ国以外の国として唯一、隣国の韓国のデータが掲載されていますが、その韓国では日本以上に「歩行中」の死者数の割合が高く、38.9%を占めて最多となっています)。
★「雑記子」は、このデータをもって、日本は欧米先進国に比べ、「歩行中」の死者数の割合がかなり高い―ということを紹介してきたわけですが、なお念のため、この『交通統計』の「各国の状態別死者数の比較」のデータを過去10年間たどって検証してみても、当該7ヵ国ともに6つの「状態別」それぞれの占率に年ごとの大きな変動はみられず、毎年ほぼ同様の状況で推移しています。つまり、比較対象7ヵ国ともに、過去10年間ほど、死者数そのものは減少傾向をたどっていますが、死者の「状態別発生状況」には大きな変動がなく、ほぼ固定化されているといえます。そして、道路を歩行中の歩行者が自動車にはねられて死亡する―という、最も悲惨で、原始的ともいえる交通事故は、上記に紹介した『交通統計』の「各国の状態別死者数の比較」データを見る限り、概して、いわゆる「車社会」の歴史が浅い国でその占率が高い―という傾向が認められます。ちなみに、日本に比べ、「車社会」の歴史が浅い韓国では「歩行中」の死者数の割合が40%近くにもなっています。したがって、日本が「世界一安全な道路交通の国」と言えるためには、単に死者数の減少を図るだけでなく、「歩行中」の死者数の割合を欧米並みか、それ以下にすることが必須条件だと思うのです。
※参考までに、「公益財団法人・交通事故総合分析センター」が毎年発行している『交通事故統計年報』に掲載されている「交通事故死者の状態別発生状況」に基づいて2015年以前の10年間の「歩行中」の死者数の割合の推移を検証してみると、10年前の2006年には「歩行中」の死者数の割合が32.3%であったものが以後年々その割合が増加の傾向をたどり、2015年には37.3%にもなっています。幸い、「歩行中」の死者数そのものは2006年の2,051人(指数100)から年々減少の傾向をたどり2015年には1,534人(指数74.8)にまで減少していますが、死者数全体に占めるその割合は欧米先進国には見られないほど高いものになっています。
★ちなみに、比較対象国となっている欧米5ヵ国中、イギリス以外は「歩行中」の死者数の割合が10%台にとどまっているのに対し、イギリスだけが20%台を占めている―という状況にありますが、かつてのイギリスは日本とほぼ同様、「歩行中」の死者数の割合が30%を超えていました。しかし、1987年に「2000年までに過去5年間の死傷者数の年平均の3分の1の減少を目指す」という目標を掲げ、さまざまな対策を実施した結果、死者数の39%減少と重傷者数の45%の減少を達成したばかりでなく、「歩行中」の死者数の割合も20%台に減少させたという実績を持っています。イギリスのこうした実績は、実施すべき対策の如何、達成すべき目標の如何によっては、パターン化されているように思える死者の「状態別発生状況」を変えることができることを示した好例だと思いますので、政府目標として掲げている「世界一安全な道路交通の国」の実現を名実ともに達成するためには、やはり、「歩行中」の死者数の割合を「車社会」先進国の欧米同様、またはそれ以下にすることを「喫緊の課題」かつ必要不可欠な課題だと認識すべきだと思うのです。そして、この課題を解決するためには、何よりもまず、なぜ、日本は欧米先進国に比べ、「歩行中」の死者数の占率が高いのか、その点をしっかり解明することが大切だと思うのです。
★なおまた、ちなみに、先に紹介した『交通統計』には、「各国の年齢層別死者数の比較」というデータも掲載されていますが、これによると、先に紹介した「各国の状態別死者数の比較」同様、比較対象国はドイツ、フランス、オランダ、イギリス、アメリカ、韓国そして日本の7ヵ国ですが、この7ヵ国の中で「65歳以上」の高齢者の死者数の割合が最も高いのが日本で、ドイツなど欧州4ヵ国ではその割合が20%台から30%台にとどまり、アメリカでは10%台にとどまり、韓国でも36.0%にとどまっているのに対し、日本のその割合は実に54.5%にもなっています。なぜ、わが国では、欧米先進国等に比べ、高齢者の交通事故死者数の割合が群を抜いて高いのか―、まずは、この点をしっかり解明すること、それこそが「喫緊の課題」だと思うのです。病理の原因の解明なくして有効な治療策は生まれないからです。そして、冒頭で記したように、安倍晋三首相は、高齢運転者による死亡事故の防止を「喫緊の課題」だとしていますが、確かに、高齢運転者による死亡事故が多発の傾向をみせてはいますが、「公益財団法人・交通事故総合分析センター」の基礎データ(平成25年から27年、以下同じ)に基づき検証してみると、65歳以上の高齢運転者が第一当事者になった死亡事故は死亡事故全体の26%ほどにとどまっています。また、65歳以上の高齢者の交通事故死者の「状態別発生状況」を検証してみても、自動車・原付運転中の事故死者は、奇しくも、やはり28%ほどにとどまっていますが、「歩行中」の死者数は高齢者の死者全体の半分近く、48%をも占めています。
★さらにまた、先に問題視した「日本は歩行中の事故死者の割合が欧米先進国に比べ、かなり高い」ということに関しても、その「歩行中」の死者の「年齢層別状況」を検証してみると、65歳以上の高齢者が実に70%をも占めて圧倒的に多く、75歳以上の「後期高齢者」だけでも全死者の半分近い49%をも占めている、という状況にあります。こうした点からすると、高齢運転者による死亡事故の防止もさることながら、それを含めた「高齢者に対する交通安全対策」、それこそが「喫緊の課題」と認識すべきことだと思うのです。それにしても、「交通弱者」と言われる歩行者や高齢者の交通事故死者が欧米先進国等に比べても断然多く、それが一向に改善されないのは、なぜなのでしょうか・・・、もしかしたら、この国の政治・行政には、いわゆる「社会的弱者」に優しい目を向ける―という姿勢・心得というようなことが基本的に根づいていない結果なのか、とも思いますが、直截的には、交通安全対策の検討・策定にあたっている者たちが最も肝心な交通事故の発生状況を正確・詳細に分析・把握しないままに「机上作業」にあたっている結果なのだろう、という疑念を強く感じています。200217

 

【2017年1月23日更新】

■果たして、高齢ドライバー対策は今後の交通安全問題の核心なのか・・・

★国内では熊本地震、連発した台風被害等、世界的にはイギリスの国民投票によるEU離脱派勝利、アメリカの大統領選挙での「泡沫候補」であったトランプ氏の大逆転勝利等々、過ぎ去った昨年2016年を特徴づければ、予想外、想定外の出来事が頻発した年であった、という感を強く抱きます。そして、新年(2017年)も、トランプ氏のツイッターでの数々の「お騒がせ発言」、そして、新大統領としての就任演説等を見聞すると、今年の世界の政治、経済、社会情勢はトランプ氏の一挙手一投足に振り回されるのではないか、という嫌な予感を感じざるを得ない、という「つぶやき」を留め、この「雑記」の本分に入りましょう。
★1月4日、警察庁は昨年1年間に全国で発生した交通事故による死者数(いわゆる「24時間死者数」、以下同じ)は3,904人とし、前年よりも5.2%、213人少なく、1949年(昭和24年)以来67年ぶりに4,000人を下回ったと発表しました。警察庁の担当者は「啓発活動や車の性能向上、信号機や道路の改良など総合的な安全対策が進んできた結果」とみている(2017.1.4朝日新聞夕刊記事)とのことですが、何せ、社会・道路交通情勢が今日とは質・量ともに雲泥の差異がある半世紀以上も前と同等のレベルなのですから、少なくとも「雑記子」には、信じ難い驚愕すべき激減ぶりです。ちなみに、1949年(昭和24年)当時と今日を比較すると、自動車の保有台数は260倍ほど(昭和24年・・・31万台余、平成27年・・・8,124万台余)、運転免許人口も80倍以上に増加(昭和24年・・・推計・約100万人、平成27年・・・8,215万人余)、人身交通事故件数(以下、単に「交通事故」と略す)も、この10年ほど、確かに減少傾向をたどってきているとはいえ、昭和24年当時に比べると20倍近い50万件ほどが発生しています(昭和24年・・・2.5万件余、平成28年・・・49.9万件余)。そうした道路交通情勢の下でのまさしく驚愕的・劇的といえる激減ぶりなのですから、「啓発活動や車の性能向上、信号機や道路の改良など総合的な安全対策が進んできた結果」だというだけの説明では、到底納得できる事態ではありませんが、ともあれ、毎年、1万人前後の死者数を30年以上も記録し続け、その後も毎年6,000人から8,000人ほどの死者数を記録し続けた10年ほど前までの状況を思えば、待ちに待った慶事であることには違いありません。
★ただ、一昨年、2015年(平成27年)を最終年とした第9次の「交通安全基本計画」の目標、すなわち、「平成27年までに24時間死者数を3,000人以下にし、世界一安全な道路交通を実現する」という政府目標を、昨年もまた達成できなかった―という事実もきちんと発表し、新聞、テレビ等のメディアもこれをしっかり報道すべきだと思いますが、知ってか知らずしてか、そうした報道をしたメディアは残念ながら一つもありません。また、3,904人の死者のうち、歩行中の死者、いわゆる歩行者の死者が3割余をも占めており、欧米先進国にはみられないワーストな状況であることも、ほとんど報じられておりませんが、こうした死者の状態別状況が欧米先進国並みに改善されない限り、たとえ、政府目標の死者数を達成したとしても、「世界一安全な道路交通」を実現したとは言い難いと、この「雑記」では過去に何度も指摘してきましたが、新聞、テレビ等のメディアではこのこともまったく触れられず、65歳以上の死者数の割合が54.8%に達し、この分類による統計を始めた1967年以降で最高の割合になったということだけが強調され、松本純・国家公安委員長が「高齢運転者による交通事故が多発するなど、情勢は依然として厳しい」というコメントを出した(2017.1.4読売新聞夕刊)ことのみが報じられています。また、昨年の11月には安倍晋三首相が関係閣僚会議で、高齢運転者による死亡事故の防止は「喫緊の課題で、取り得る対策を早急に講じ、一丸となって取り組んでほしい」と指示していることからしても、少なくとも政府レベルにおける今年の交通安全対策の中心的課題は「高齢運転者の事故防止対策」ということになるだろうと考えられますが、今のところ、その具体策として明らかになっているのは3月12日から施行される「臨時認知機能検査」や免許更新時に行われている「認知機能検査」の結果による専門医の診断が義務づけられる範囲の拡大等の方策ぐらいで、あとは従来から行われていた「運転免許の自主返納」の呼びかけを促進するという程度で、運転免許を返納したり、認知症などで運転ができなくなったりして「生活の足」を奪われた高齢者が孤立しないための社会的支援方策やその社会的システムの構築等は今後の検討課題としているにすぎません。
★ちなみに、3月12日から施行される「臨時認知機能検査」というのは、これまで75歳以上のドライバーが運転免許を更新する際にのみ義務づけられていた「認知機能検査」を、免許更新時に限らず、75歳以上のドライバーが「認知機能」が低下した場合に犯しやすいとされる「信号無視」や「一時停止違反」等の「規定の違反行為(18項目)」をして検挙された場合にも、その実施を義務づけ、検査の結果、「認知症」のおそれがある「第1分類」や認知機能の低下のおそれがある「第2分類」と判定された場合、臨時に実施される「高齢者講習(臨時高齢者講習)」を受講しなければならないことになる(講習時間・・・2時間、講習手数料・・・標準額¥5,650を基に都道府県条例で規定された額)ほか、検査判定の結果、「第1分類」と判定された者は専門医の診断を受けることも義務化され、その診断結果によっては運転免許の「取消し」や「停止」が行われる―というものですが、果たしてこの「臨時認知機能検査」の導入が、高齢ドライバーによる事故の防止、少なくとも、「認知症」が疑われる75歳以上のドライバーによる事故の防止にどれだけ寄与できるか、今のところ、確証があるとは言い難いというのが実情です。事実、公益社団法人日本老年精神医学会(新井平伊理事長)は、昨年の11月15日、厚生労働大臣、国土交通大臣、警察庁長官に対し、「臨時認知機能検査」の導入実施に当たって、この道路交通法の一部改正の趣旨には賛同しつつも、現状の「認知機能検査」結果による安全運転能力との因果関係についての安易な判定に疑義を提示するとともに、この一部改正実施が功を為すためのいくつかの具体策を提言しました。
★すなわち、「認知機能の変化を引き起こす病気の種類等によって、記銘力、見当識等の障害が心理検査上明らかでも、安全な運転技能を持つ人がある一方で、こうした機能に変化が見られなくても、安全な運転が著しく困難になる人もあります。つまり、認知機能の低下による運転不適格者であることと、『認知症』と診断されていることは必ずしも同義ではありません。『認知症』と一括りにして運転を制限するのではなく、その個人が生活する場の特性を踏まえて、現実的な能力評価に根ざした判断が必要だと考えられます。(したがって、)この課題については、今後の医学的エビデンス(証拠・根拠)の集積と改正道路交通法施行後の事故事例分析等に基づき、将来検討されるべきであると判断されます」(アンダーライン部分の( )書きは「雑記子」による)と現状の「認知機能検査」結果による安全運転能力との安易な因果関係判定の問題点を指摘し、「事故のリスクを下げると同時に、万一の事故の被害を最小にする為の備え、すなわち、逆走防止用ゲートの設置や通学路への自動車の進入禁止の強化等の道路交通のインフラの安全対策、ペダル踏み間違い防止装置の標準装備化等の高齢運転者を支援するハードウェアの開発促進」、そして、運転免許の取り消し・自主返納に対応する「生活の質」の保証、すなわち、車の運転という「生活の足」にかかわる代替支援策を速やかに実行することと、「高齢者講習」におけるドライブシミュレータや教習所内での実車走行では、総合的な安全運転能力評価は不十分なものでしかなく、実際の道路での実車走行の導入を検討すべきだ―というのがその提言内容です。事はドライバーの運転能力の適・不適の判定という、いわば、「人間のふるい分け・差別化」ともいえる人権にかかわる問題ですから、厚生労働省、国土交通省、警察庁等の関係当局者は、自らの行政的判断を優先せず、専門家の提言を真摯に受け止めた科学的対策の実現・実施に努めてほしいと願ってやみません。
★なおまた、高齢運転者の事故防止にかかわる喫緊の課題として、そもそも、高齢者や高齢運転者をこれまでと同様、65歳以上としておくのは、急速に進行している高齢化社会の現状にそぐわないのではないか、その定義づけを見直す必要があるのではないか―とする動きにも注意を向ける必要があります。昨年2016年12月20日の日本経済新聞に「『高齢者』70歳以上に 内閣府提案」と題する記事が掲載されましたので、まず、その概要を紹介しましょう。同記事によると、「内閣府は技術革新がなされない場合、2030年には生産年齢人口が1%減少し、日本で低成長が定常化するとの分析をまとめたが、そのなかで、自立した生活を続けられる健康寿命に注目し、高齢者を「70歳以上」として経済的・社会的な定義を見直すことも提案し、定年延長や高齢者の社会参加を促し、働く人を増やす一方、医療や介護サービスで、高所得の高齢者の負担を増やすといった施策を想定するもので、近く開く経済財政諮問会議でこれを報告書にまとめて公表する」としています。また、これとは別に、日本老年学会と日本老年医学会に属する両学会の医師や心理学者、社会学者らでつくるワーキンググループが日本人の心身の健康に関する複数の調査結果を基に2013年から高齢者の定義等を検討してきた結果、この1月5日に「高齢者」は75歳以上とすべきだという提言を発表したことが新聞やテレビなどで報道されました。1月6日の新聞各紙の記事によると、高齢者には年齢などによる厳密な定義はないが、国連が1956年の報告書で、65歳以上の割合が人口の7%以上となった場合に「高齢化した人口」と記したことが基となり、一般的に65歳以上を高齢者と位置づけるのが先進国で共通しており、日本の国勢調査でも、かつては、60歳以上を「老年人口」としていたが、1965年以降は65歳以上となり、65歳以上を高齢者とするということを定めた法律はないが、医療制度や人口統計上の区分などでは「高齢者=65歳以上」が定着している。しかし、両学会のワーキンググループが「医学的な立場から検討した」結果、「生物学的にみた年齢は10年から20年前に比べて5歳から10歳は若返っていると判断。また、知的機能の面でも、70代の検査の平均得点は、10年前の60代に相当するという報告があることなどを根拠に、65歳から74歳は「心身とも元気な人が多く、高齢者とするのは時代に合わない」として、新たに「准高齢者」と位置づけ、75歳以上を「高齢者」とするべきで、90歳以上は「超高齢者」とする―という提言をしたとのことです。なお、記者会見では、年金の支給開始年齢など社会保障制度をめぐる今後の議論に影響を与える可能性についての質問が出たが、ワーキンググループ座長の大内尉義・虎の門病院長は「高齢者の定義を変えることで高齢者に対する国民の意識が変われば、より多くの人が社会の支え手に回るようになり、社会に参加することで、健康な状態をより長く保つこともできるが、年金支給年齢の安易な引き上げなど社会福祉等がネガティブな方向に動かないようにしてほしい」と強調、くぎを刺したとも報じられています。
★しかし、先に紹介した内閣府の提言等からすると、社会福祉等がネガティブな方向に動く可能性のほうが高くなるのでは・・・という懸念を払しょくすることはできませんが、本稿の主題である「高齢運転者による事故」に関してみると、65歳以上とするか、75歳以上にするかによって、状況認識等が大きく異なってくることは確かです。まず、現状の警察の交通事故統計上では、確たる定義づけが行われているわけではありませんが、65歳以上を「高齢運転者」として区分しています。しかし、運転免許更新時にその受講が義務づけられている「高齢者講習」や「高齢運転者マーク(標識)」の表示の努力義務は70歳以上の運転者を対象にしており、交通事故統計上の「高齢運転者」と一致してはいませんが、まずは、交通事故統計上の65歳以上の「高齢運転者」による事故の発生状況等を過去10年間(2006年から2015年)の推移で検証してみましょう。65歳以上の運転免許保有者数は10年前に比べ1.6倍以上にも増加しており(2006年・・・10,388,859人→2015年・・・17,100,846人)、全運転免許保有人口に占める割合も高くなり、20%以上にもなっています(2006年・・・13.1%→2015年・・・20.8%)。しかし、65歳以上の「高齢運転者」が事故の第1当事者または第2当事者になった事故の発生件数の推移はほとんど「横ばい」という状況にあり(2006年・・・145,544件→2015年・・・144,860件)、その死亡事故に限ってみても、一般に思われているような増加状況は認められず、むしろ、わずかながらも減少の傾向をたどっているのが実態です(2006年・・・1,288件→2015年・・・1,225件)。しかも、65歳から74歳に限ってみると、運転免許保有者数は10年前に比べ1.6倍近くに増加し(2006年・・・7,811,714人→2015年・・・12,320,878人)、全運転免許保有者数に占める割合も9.8%から15%ほどに増加していますが、事故の第1当事者または第2当事者になった事故発生件数の推移をみると、10年前を指数100(108,557件)とした場合、10年後の2015年には93(100,963件)までに低下し、明らかな減少傾向をたどっていることが認められます。しかし、75歳以上という区分でみると、状況は一変します。まず、2006年末の75歳以上の運転免許保有者数は257万人余でしたが、10年後の2015年末には1.85倍以上の480万人近くにも増加し、全運転免許保有者数に占める割合も3.2%から5.8%に増加しています。そして、75歳以上の高齢運転者が第1当事者または第2当事者になった事故発生件数は2006年の発生件数を指数100(36,987件)とすると、以降、年々増加し、10年後の2015年の指数は119(43,897件)ほどに増加しており、なかでも75歳以上の高齢運転者が第1当事者になった事故の増加が目立ち、2006年の発生件数を指数100(27,565件)とすると、10年後の2015年の指数は121余(33,547件)にもなっており、また、問題視されている75歳以上の高齢運転者が第1当事者になった死亡事故は2006年(414件)以降確実に増加の傾向をたどり、2015年には10ポイントも増加し、指数110(458件)になっています。昨年後半、相次いで発生し、安倍晋三首相が関係閣僚会議で「喫緊の課題」だとして対策を指示した高齢運転者による死亡事故のほとんども75歳以上のドライバーによるものだったのですが、これも、そうした傾向・流れの一端であると考えられますが、こうした高齢運転者による事故の実態を踏まえると、交通事故統計上でも、道路交通法上でも「高齢運転者」や「高齢者」は、75歳以上と規定を見直すのが実情に合っていると思います。
★ただし、「高齢者」や「高齢運転者」を、75歳以上と定義づけ直したとしても、すべての「高齢者」や「高齢運転者」を一律的に扱うのは厳に慎まなければなりません。「高齢者」や「高齢運転者」は、それ以下の年齢層の者に比べれば心身機能の何らかの衰えがみられることは確かでしょうが、それとても個人差がきわめて大きく、特に、自動車の運転に関しては、たとえ75歳以上の人でも、それ以下の年齢層のドライバーに優るとも劣らない「安全運転能力」を有している人が少なからずおりますし、心身機能にはさほどの差異が認められなくても、運転経験・経歴や運転頻度等によって「安全運転能力」に大きな優劣の差異が生じていることもあります。また、「高齢者講習」の自動車教習所における箱庭的教習コースでの実車運転では低い評価を受けた人でも、生活上日常的に運転している実際の道路では確かな安全運転を実践している人も決して少なくありませんので、「高齢運転者」の「安全運転能力」の判断に当たっては一律の基準で判断せず、運転頻度や日常の運転状況等をきめ細やかにチェックする方法等を工夫し、それによって個別的に判定・指導する親身なシステムの構築が必要不可欠です。さらにまた、「ペダル踏み違い」による事故や「逆走事故」、あるいは、いわゆる「認知症」が原因とみられる認知・判断ミスによる事故等は、「高齢運転者」による事故の典型とみられがちで、確かにマスコミの報道でもそうした事故が目立っていますが、「高齢運転者」による事故全体の中では、むしろ、そうした事故は稀有なケースで、60歳代やそれ以下の若い年齢層のドライバーによるそうした事故も少なくないのが実態です。したがって、たとえ、「高齢運転者」がそうした事故を引き起こした場合でも、「高齢運転者だから・・・」と一蹴せず、「なぜ、ペダルを踏み違えたのか・・・」「どうして逆走に気づかなかったのか・・・」「何故に危険に気づくのが遅れたのか、または状況判断を誤ったのか・・・」等を事故ごとに詳細かつ多角的・科学的に検証し、他の大勢のドライバーが安全運転を確保していくうえでの単なる「心構え」にとどまらない実践的ノウ・ハウ等を引き出し、安全運転講習・広報に役立てていくようにすることが最重視されなければなりません。いずれにしても、今後望まれる「高齢運転者の事故防止・安全運転対策」は、規制の強化や一律的な基準による「不適格者」の排除などではなく、ドライバー個々人の状況等に応じた親身な対応ができる対策であり、そうした対策を実施できる体制・システムの構築こそが必要不可欠であると思うのです。したがって、そうした視点に立てば、今後の交通安全対策の「喫緊の課題」、重点的課題・核心は、決して「高齢運転者の事故防止」ではなく、真の安全運転確保に必要不可欠な要件は何かを改めて科学的・多角的に研究・検証し、その普及方法を確立することであり、そのためには交通事故の発生状況と発生実態の分析等を警察任せにせず、然るべきプロジェクトを立ち上げて科学的・多角的に分析・検証することが欠かせぬ第一歩だと思うのです。ちなみに、「雑記子」がかねてから気にしており、先にもちょっと触れましたが、日本は、交通事故死者全体に占める歩行者の割合、つまり、「歩行中」の死者の占率が欧米先進国に比べ、かなり高い―という状況にありますが、それは、なぜなのか、その解明をきちんと為し、その状況を打開するための対策をしっかり確立・実行することこそが、死者数の更なる減少を図り、「世界一安全な道路交通の国」を実現するための「喫緊の課題」かつ必要不可欠な課題だと思うのです。なぜなら、「歩行中」の死者の多くが、問題になっている「高齢者」でもあるからです。230117

 

【2016年12月21日更新】

■首相指示「喫緊の課題」、高齢ドライバーの事故防止対策について・・・

★今年(2016年)10月21日午前4時ごろ、秋田県由利本荘市の日本海東北自動車道で76歳の男性が運転する軽乗用車が国道(105号)から自動車道に入る際、誤ってかジャンクションの出口から逆走して本線(片側1車線)に進入して大型トラックと正面衝突し、軽乗用車の運転者と同乗者(男性82歳とその妻79歳)の計3人が死亡するという事故が発生。ちなみに、10月22日付の毎日新聞の記事では、「付近の住民によると、このジャンクションについて以前から通行方法が分かりにくいという声が出ていた」という。
★同10月28日午前8時5分ごろ、横浜市港南区の市道 (車道幅約3.5mの一方通行路)で87歳の男性が運転する軽トラックが、バス停で客の乗降のため停止したバスの後方で一時停止していた軽乗用車に追突して乗っていた2人を負傷させた後、横転しながら路側帯(幅90cmほどで路面が緑色に塗装されていた)を集団登校中の小学生9人の列に突っ込み、小学1年生の男子児童を死亡させたほか児童4人を負傷させるという事故が発生。事故を起こした軽トラックの運転者は、前日(27日)の朝、「ごみを捨てる」と家族に告げて自宅を出た後、帰宅しておらず、逮捕前の事情聴取で「どこをどう走って(現場に)きたのか覚えていない」などと話しており、その後の捜査でも、事故前日に自宅を出てから横浜市内や東京都内の首都高や湾岸道など複数の出入り口で乗り降りを繰り返していることが判明しているが、3年前の2013年11月の免許更新時の「認知機能検査」では「異常なし」とされ、免許を更新されていたという。
★同11月10日午後2時5分ごろ、栃木県下野市内にある自治医科大学付属病院の敷地内で、治療を終えて帰宅する途中の84歳の男性が運転する乗用車が病院正面玄関脇のバス停に突っ込み、ベンチに座っていた女性(89歳)をはねた後、通路に乗り上げて鉄柱と壁に衝突して止まったが、はねられた女性は頭を強打しまもなく死亡、通路を歩いていて突っ込んできた乗用車を避けようとして転倒した女性2人も重軽傷を負うという事故が発生。現場にブレーキやスリップ痕はなく、運転者は「病院の駐車場を出る際、駐車料精算機に手が届かず、アクセルとブレーキを踏み間違えて急発進してしまった」などと話しているという。なお、同運転者には認知症等の症状はないという。
★同11月12日午後3時ごろ、東京・立川市内の国立病院機構災害医療センターの敷地内で83歳の女性が運転する乗用車が駐車料金所の開閉式のバーを折って暴走直進し、車道と植え込みを突っ切って歩道に乗り上げ、歩道を通行していた30代の男女2人がはねられて致命傷を負い、まもなく死亡、運転者も頭を打って入院するという事故が発生。運転者は「ブレーキを踏んだが止まらなかった」と話しているが、警察では、現場にブレーキ痕はなく、車の運転席側の窓が開き、運転席に小銭が散らばっていたことから、駐車料金を投入する際、誤ってアクセルを踏み込んで暴走した可能性があるとみている。また、事故を起こした運転者は同病院に入院中の夫が危篤状態になったため、前日(11日)は徹夜で看病し、12日午前中に夫の着替えを取りに帰宅し、再度、来院して帰る際だったという。また、当運転者は以前、ほとんど運転しておらず、夫の入院後、病院に通うため運転するようになったが、今年5月の免許更新時の「認知機能検査」でも問題はなかったという。
★以上、今年(2016年)10月から11月にかけて全国で発生した75歳以上の、いわゆる「後期高齢ドライバー」が第一当事者になった主な死亡事故の発生概要等を唐突に紹介しました。というのも、こうした高齢ドライバーによる死亡事故の続発を受けて、安倍晋三首相は11月15日に「高齢運転者による交通事故防止対策に関する関係閣僚会議」を開催し、「取り得る対策を早急に講じ、喫緊の課題に一丸となって取り組んでほしい」と指示したことが新聞等のメディアで報じられましたので、今回の「雑記」では「続発する(後期)高齢運転者による事故」とその安全対策に関し、過去にも何度か同様のテーマを取り上げてきましたが、改めて高齢ドライバーによる事故の発生実態やその安全対策の課題等について考えてみようと思ったからです。まず、新聞等のメディアで報じられた「関係閣僚会議」での首相のコメント・発言は断片的な概要にすぎませんので、「首相官邸ホームページ」に載っている「関係閣僚会議」での首相発言の全文、とはいっても、さほどの長文ではありませんので、まず、それを紹介してみましょう。。
★「先月(10月)28日、横浜市で発生した、小学生男児の交通死亡事故を始め、このところ、80歳以上の高齢運転者による死亡事故が、相次いで発生しております。亡くなられた方々の御冥福をお祈り申し上げますとともに、御遺族の方々に心よりお見舞い申し上げます。このような大変痛ましい事故を防止するため、政府では、これまでの高齢運転者対策に加え、来年3月、認知症のおそれがある高齢運転者に医師の診断を義務付けるなど、認知症対策を強化した改正道路交通法を施行することとしています。まずは、その円滑な施行に万全を期すとともに、自動車の運転に不安を感じる高齢者の移動手段の確保など、社会全体で高齢運転者の生活を支える体制の整備を着実に進めてまいります。同時に、今後、高齢運転者の一層の増加が見込まれることから、政府としては、一連の事故を80歳以上の方々が引き起こしたことを踏まえ、更なる対策の必要性について、専門家の意見を聞きながら、検討を進めてまいります。各位にあっては、改正法の施行に万全を期すとともに、取り得る対策を早急に講じるなど、この喫緊の課題に一丸となって取り組むよう指示いたします。」以上が、11月15日に開催された「高齢運転者による交通事故防止対策に関する関係閣僚会議」の冒頭の挨拶で安倍首相が述べた発言の全文、とのことですが、これを受けた関係閣僚からどのような反応・発言があり、どのような議論等が行われたのかは、新聞等メディアの報道にはもちろん、「首相官邸ホームページ」でも報じられていません。
★したがって、今後、この安倍首相の指示を受けた関係閣僚の管轄下の省庁で、果たしてその具体化・政策化に向けてどのような動きがみられるのか、特に新聞等メディア関係者は大いに注目し、その動き等を掌握し、逐次・詳細に報道するとともに的確な論評を加えていくことを期待したいものです。もしかしたら、今度の安倍首相の指示は、世論向けの単なる政治的看板・場当たり的なパフォーマンスにすぎないのではないか、という懸念もありますので、その点を見極める視点も忘れないでほしいと願うものです。というのも、そもそも、この度は、たまたま、80歳以上の高齢ドライバーによる痛ましい死亡事故が相次ぎましたが、少子高齢化に伴う高齢ドライバーの急増とその事故の増加という懸念は急に噴出した問題ではなく、少なくとも20年以上も前から懸念されていた課題で、1996年(平成8年)を初年度とする第6次の「交通安全基本計画」の「講じようとする施策」の「3、安全運転の確保」の項には「高齢運転者対策の充実」が掲げられています。にもかかわらず、20年も経た今日、いまさらのごとく、「喫緊の課題」だと表し、「一丸となっての取組み」を指示したということは、これまでの20年ほどの間は、さしたる取組みが為されてこなかったか、少なくとも効果的な対策が講じられてこなかったことの証左でもあるといえますし、よって、今回の「指示」も、看板倒れ・場当たり的なパフォーマンスに終わる可能性の懸念が拭えないと思うからです。
★懸念の第一は、来年3月には、認知症のおそれがある75歳以上の高齢運転者に医師の診断を義務付ける道路交通法の一部改正が施行され、「認知症」と診断されれば、運転免許の「停止」か「取り消し」が行われることになりますが、11月15日、日本老年精神学会は、「認知症を引き起こす病気は複数あり、運転能力への影響もわかっていないことが多い」、(したがって)、「認知症を一律に運転の制限対象とするのではなく、個人の能力を適切に評価して判断するよう求める提言」を発表し、同日、警察庁や厚生労働省などに発送した(2016.11.16朝日新聞、アンダーライン部は「雑記子」による)ということにもみられるように、来年3月施行の「認知症対策の強化(臨時認知機能検査等)」には、そもそもの疑念があることです。この「認知症対策の強化」の導入を図る道路交通法の一部改正案が公表された際(2015年1月)、精神科医ら約1万6千人でつくる公益社団法人・日本精神神経学会は、「認知症と危険な運転との因果関係は明らかではなく、この道路交通法改正は拙速だ」とする意見書を警察庁に提出しました(2月3日付)。このことは当時(2015年2月25日付)のこの「雑記」でも詳細に紹介しましたが、極めて重大な「意見書」であり、より多くの方々に知ってもらいたいと思いますので、敢えて再度、その大部分を紹介してみましょう。
★すなわち、当学会は、「私たちも交通事故の減少を望む」としたうえで、「欠格とされているのは介護保険法に規定する認知症であり、医学的な意味での認知症全般を指すわけではありません。(警察庁の)改正試案では、その混同をあえてしており、用語の使用法という観点からしても不適切」、「認知症の診断は短期記憶の障害を重視していますが、記憶障害それ自体が運転に与える影響は小さい」、また、「医師はその疑いの者も含めて病気と診断する傾向があり、これも健康維持という観点からすれば妥当なことですが、運転能力が残されているにも関わらずそれが制限されてしまう者を生じさせる可能性がきわめて大きく、診断場面や検査で適切な方法が現在存在しない以上、安易な診断書作成には協力できない」、さらに、「平成25年中の認知機能検査で認知症のおそれがあると診断された者は34,716人という多数に及ぶことが明らかにされているが、こうした多数の者を診察する医師をどのように確保するのか、その方策が全く示されていない。また、その診察の際の費用負担のあり方が明らかでなく、数万円以上に及ぶと思われる費用を本人が望まない診察において、その負担を強いることが適切か」、「運転を奪うことによる生活障害への補償がない」、「真に重症の認知症の高齢者は、免許がなくなったことすら失念して運転することもあり、その際の事故の損害賠償は家族に及ぶことがあり、家族の救済にもならない」、したがって、「道路交通法の改正より前になすべきことがたくさんあり、今回の改正は見送り、当事者(家族)団体、医療関係団体、関係学会、司法関係者、有識者で構成される検討会を開催し、十分な検討を行うことを強く望む」というのが公益社団法人・日本精神神経学会が提出した「意見書」の大綱ですが、こうした専門家集団の科学的知見に基づく貴重な提言にも関わらず、それを無視するようにして国会に上程され、「認知症」について専門的な知識を持たない、いわば「素人集団」の国会議員によって可決・成立したのが、来年3月に施行される「認知症対策の強化(臨時認知機能検査等)」なのですから、これが「認知症」が疑われる高齢運転者の安全運転、事故防止に本当に役立つことになるのか、はなはだ疑問であると思わざるを得ないのも当然でしょう。せめて、先にも紹介した日本老年精神学会の提言、すなわち、「認知症を引き起こす病気は複数あり、運転能力への影響もわかっていないことが多い。認知症を一律に運転の制限対象とするのではなく、個人の能力を適切に評価して判断するよう求める」という提言に十分に配慮し、改正法に基づく新制度の実施、運用にあたってほしいと願うばかりですが、この新制度には、先に紹介した日本精神神経学会の「意見書」にも明記されているように、診断する専門医の不足や診察料の負担等々、問題が山積みされているほか、相次いで発生した高齢ドライバーによる死亡事故の原因等が、少なくとも、メディアの報道を見る限り、まだ未解明の状態であり、「認知症」とのかかわりも不確かな状態のままでの新制度の導入ですから、この一部改正が、果たして、高齢運転者の事故防止にどれだけ役立つのかという疑問は拭えません。
★にもかかわらず、拙速に新制度(臨時認知機能検査等)の導入・実施に踏み切ったのは、高齢ドライバー、特に「認知機能検査」が免許更新時に義務化されている75歳以上の、いわゆる「後期高齢運転者」による交通事故増加ということがその根幹的要因になっているのだと思いますので、その実態を、公益財団法人・交通事故総合分析センターから入手した基礎データを基に改めて確認しておくことにします。まず、交通事故統計上、「高齢運転者」とされている65歳以上のドライバーが自動車・原動機付自転車の運転者として第一当事者または第二当事者になった人身交通事故(以下、人身を略す)の過去10年間(全国)の推移をみてみると、10年前の2006年には145,544件、そして2015年には144,860件となっており、この間多少の増減はありますが、ほぼ「横ばい」で推移しているというのが実情です。また、死亡事故に限ってみると、2006年には1,288件、そして2015年には1,225件、10年間の推移としてはわずかながらではありますが減少の傾向をたどっています。したがって、「高齢運転者の交通事故が年々増加している」と思い込んでいる人も少なくないと思いますが、それは、明らかに間違った思い込みであるということを確認しておきます。ただ、そうした間違った思い込みが生じているのは、交通事故や死亡事故が全体として年々減少の傾向をたどっているため、高齢運転者による事故の割合が増加傾向にあり、それを強調する報道等の影響を受けて「高齢運転者の事故が増加している」との思い違いが生じているのだと思いますので、そうした思い違いが生じ得るような報道の仕方は厳に謹んでもらわなければなりません。また、その点では、11月15日に開催された「高齢運転者による交通事故防止対策に関する関係閣僚会議」も、「高齢運転者による事故の増加を受けて・・・」と誤解されかねない会議名ですが、安倍首相が「喫緊の課題」として「(関係閣僚が)一丸となって取り組んでほしい」と指示したのは、先にも紹介しましたが、「80歳以上の高齢運転者による死亡事故が相次いで発生した」ことを受けてのことです。そこで、65歳以上の「高齢運転者」による事故全体ではなく、「認知機能検査」や「臨時認知機能検査」の対象となる75歳以上の「後期高齢運転者」が第一当事者または第二当事者になった事故に限って過去10年間の発生状況の推移等をみてみると、確かに年々増加の傾向をたどっています。
★公益財団法人・交通事故総合分析センターから入手した基礎データを基に検証してみると、10年前の2006年、全国では75歳以上の「後期高齢運転者」が第一当事者または第二当事者になった交通事故の発生件数は36,900件余でしたが、2015年には43,900件弱となっており、ほぼ毎年増加の傾向をたどり、10年前に比べ実数で6,900件余、指数で18.7ポイントも増加しています。死亡事故に限ってみても、10年前の2006年には505件でしたが、2015年には546件となっており、やはり、ほぼ毎年増加の傾向をたどっています。また、80歳以上の「高齢運転者」に限ってみると、2006年には215件で、75歳以上の「後期高齢運転者」による死亡事故の42%ほどを占めていましたが、2015年には307件に増加し、「後期高齢運転者」による死亡事故の56%をも占めるに至っています。ちなみに、「高齢運転者」数の推移、つまり、65歳以上の運転免許人口の推移をみておくと、10年前の2006年には1,038万人余で全免許保有者の13%ほどを占めていましたが、2015年には1,710万人余に増加し、全免許保有者の20%余、つまり、運転免許保有者の5人に1人が「高齢運転者」という状況になっています。また、この「高齢運転者」のうちの28%ほどが75歳以上の「後期高齢運転者」で、最近、問題視されている80歳以上の運転者だけに限ってみても、10年前に比べ2.3倍以上の196万人にもなっており、65歳以上の「高齢運転者」全体の中でも11%余を占めるに至り、ドライバー社会でも「超高齢化」が確実に進行している状況が確かめられます。
★それだけに、安倍首相の指示を待つまでもなく、「高齢運転者」、なかでも、75歳以上や80歳以上の高齢ドライバーによる交通事故防止対策の実効性・有効性が大きく問われるわけですが、それには、むやみに「高齢運転者」の危険性やその運転による事故増加の懸念を訴え、運転免許の自主返納を求めたり、「認知症」が疑われる者を一律的に排除したりする、いわば、消極的対策に終始せず、生活維持のため、やむなく運転をせざるを得ない高齢運転者はもちろん、老後の人生充実化のために運転を継続したいと思っている大勢の高齢運転者が、実際の運転において安全を確保するための具体的な方策をこそ優先課題として取り組んでほしいと願うものです。そのためには、少なくとも、まず、近年、相次いで発生している「高齢運転者」による事故を多角的・科学的に検証し、真の原因や問題点を明確にすること、また、如何なる「認知症」が安全運転上の欠格事由となるのか等の基礎的研究の促進が必要不可欠です。真の原因や問題点の解明がなされないままでの対策は無駄を生み、対策推進当局(者)の単なるアリバイづくり、「免罪符」にすぎず、「高齢運転者」のための対策にはなり得ないと思うからにほかなりません。211216

【2016年11月22日更新】

■「高速道の最高速度110キロ試行」に関連して・・・

★去る10月13日、警察庁は東北自動車国道(花巻南―盛岡南IC間約30km)と新東名高速国道(新静岡―森掛川IC間約50km)において、岩手・静岡両県の公安委員会が最高速度を試験的に時速110キロに引き上げる方針を決め、来年度中にも速度標識を整備し、順次、試行することとし、少なくとも1年間の試行後、事故の増減等の交通環境の変化を見ながら、さらなる引き上げや他区間での実施の可能性を検討すると発表、新聞各紙や各TV局等のメディアもこれを報じました。これらメディアの報道によりますと、警察庁が設置した「有識者懇談会」では、高速自動車国道の大部分はカーブや勾配が緩やかで時速120キロでも安全に走行できるよう高規格で設計されており、実際、多くの車が100キロ以上で走行している現状を踏まえ、高規格区間の一部では最高速度を見直しても安全は維持できると提言していましたので、今回の試行はこの提言を受けて実施することとなったものと思われますが、試行結果は終了後の「まとめ報告」だけでなく、試行期間中、適時適切・頻繁に、その交通状況等をできるだけ詳細に広報し、多くのドライバー等の関心を高め、また、多くのユーザーの感想・意見等を集め、それも広く知らしめるよう配慮してもらいたいと願うと同時に、最高速度引き上げの英断を強く期待しています。それにしても、その「試行」や「英断」はあまりにも遅すぎるという感が拭えません。
★というのも、道路法および高速自動車国道法に定められている高速自動車国道、すなわち、簡略的に言えば「都道府県間を結ぶ自動車幹線道路」で、道路標識等による指定がない「本線車道」での最高速度が「時速100キロ」と定められたのは、今から半世紀以上も前の1963年(昭和38年)の道路交通法の一部改正によるもので、その後、高速道路網が全国に拡大し、その安全施設の改善や自動車の走行性能や安全性能等が日進月歩で飛躍的に向上してきたにもかかわらず、「時速100キロ」という最高速度は半世紀以上もの間、その適否がほとんど検討されることもなく、堅持され続けてきた「時代もの」だからです。ちなみに、現行の道路交通法が制定・施行されたのは1960年(昭和35年)のことで、当時の日本国内には高速自動車国道そのものが存在していませんでしたから、道路交通法における最高速度も、道路標識等による指定がない場合は、「時速60キロ」という規定のみでした。ところが1959年のIOC(国際オリンピック委員会)の総会で第18回のオリンピックの東京開催が決定され、その開催(1964年・昭和39年)に向け、都内の道路交通網の整備、特に自動車専用道路網(首都高速道路)の建設や名神、東名高速国道の建設が急ピッチで推進され、日本にも高速自動車国道や自動車専用道路が出現することとなったことを受け、1963年(昭和38年)に道路交通法の一部改正が行われ、「高速自動車国道等における自動車の交通方法等の特例」条項が新設・施行されたわけですが、「高速道路での最高速度は100キロ」というのも、この「特例」のなかで定められたものです。ちなみに、この道路交通法の一部改正に伴う道路交通法「施行令」の一部改正による最高速度の条項をみると、「自動車が高速通行路を通行する場合の最高速度」として、「乗車定員10人以下の普通乗用自動車は時速100キロ、それ以外の自動車は時速80キロ」と定められています。すなわち、最高速度100キロというのは「乗車定員10人以下の普通乗用自動車」だけで、トラック(貨物自動車)やバス(大型乗用自動車やマイクロバス)の最高速度は80キロだったのです。というのも、この当時の日本製の自動車の多くは貨物自動車で、一般的な乗用車は普及途上の少数派にすぎなく、しかも、当時の日本製の貨物自動車はもちろん、乗用車でも、時速100キロもの高速で1時間ほども走ればオーバーヒートしかねない性能の代物でしたから、普通乗用自動車でも最高速度は100キロというのは極めて妥当性が高い規定であったと思います。
★しかし、その後の日本車の製造技術向上は目覚ましく、時速100キロもの高速で1時間ほども走ればオーバーヒートしかねないという危惧は一掃されたばかりか、欧米車以上に故障が少ない車としても評価され、欧米等の海外にも普及していきました。一方、全国的な高速道路網の実現に向けて次第に伸長されてきた高速自動車国道の多くは「クロソイド曲線(カーブを無理なく曲がることができる緩和曲線)」を取り入れるなど高規格の設計基準で施工されてきたことやドライバーの多くが高速走行に熟達してきたことなどが相まってか、高速道での実勢速度(大多数の車が実際に走行している速度)は100キロを超えているのが実情です。にもかかわらず、半世紀以上も前に定められた法定速度が生き続けた結果、法定速度は形骸化し、多くのドライバーの交通ルール順守意識(遵法意識)の低減化の要因にすらなってきたと思っていますが、なぜ、半世紀以上も前に定められた法定速度の見直し・検討議論が拡大しなかったのか・・・といえば、「法定速度を引き上げれば事故が増える」という「安全神話」が最大のブレーキになっていたと考えます。確かに、人身交通事故やその死者数が大幅に減少した今日でも、いわゆる「スピードの出しすぎ」によるとみられる交通(死亡)事故が少なからず発生しており、特にマスコミではその手の交通事故ニュースがセンセーショナルに取り上げられることもあってか、法定速度の規制緩和を求める世論はほとんど表面化していないのが実情です。しかし、「スピードの出しすぎによる交通(死亡)事故が多い」というのは、実態とは大きく乖離した単なる幻想・イメージにすぎないのが実情なのです。
★周知のことと思いますが、警察では、交通事故、特に人身交通事故が発生すると、その責任所在を明らかにするための捜査の一環として、事故当事者となったドライバーの属性、交通や運転の状況等、さまざまな項目を調査し交通事故統計としてまとめますが、その調査項目の中に「事故直前速度」というのがあります。「事故直前速度」というのは、ドライバーが危険を認知し、急ブレーキ等の回避措置を取る前の速度のことで、「危険認知速度」と別称することもあり、事故現場に残ったブレーキ痕や衝突物の損傷程度等から推計される数値ですが、過去に積み重ねられた膨大な事故データ等もその推計の基礎要素になっており、ほぼ正確に推計されているものです。公益財団法人・交通事故総合分析センターが集積している基礎データを基に、この「事故直前速度」別の人身交通事故(以下、人身を略す)の発生状況を最新過去3年間の平均データで分析してみると、全国で発生した自動車・原動機付自転車が第一当事者になった人身交通事故55万件弱の実に89%もは時速40キロ以下の「事故直前速度」で発生しており、時速100キロを超えた「事故直前速度」での事故は1%にも満たないという状況にあります。もちろん、このデータは高速自動車国道や自動車専用道路での事故のみならず、すべての道路で発生した交通事故をベースにしたもので、当然、高速自動車国道や自動車専用道路以外の一般道での事故が98%をも占め、高速自動車国道や指定自動車専用道路での事故は2%程度を占めているにすぎません。なおちなみに、最新過去3年間の平均で全国では3千5百件ほどの死亡事故が発生していますが、その死亡事故に限った「事故直前速度」別の発生状況を検証してみても、時速100キロを超えた「事故直前速度」での事故はわずか2%程度にとどまり、時速80キロを超えた「事故直前速度」での死亡事故というくくりでみても6%程度しかないというのが実態です。
【参考】高速自動車国道や指定自動車専用道路での死亡事故は、最新過去3年間、年平均200件ほど発生していますが、それは一般道での死亡事故を含めた死亡事故全体の5%ほどを占めているにすぎません。
★さらに念のため、高速自動車国道の大部分は、いわゆる「非市街地」に所在していると考えられますので、「非市街地」の道路で発生した交通事故に限って、その「事故直前速度」別の発生状況を検証してみると(全国、最新過去3年間の平均データ)、やはり、時速40キロ以下の「事故直前速度」での事故が圧倒的に多く、79%を占めており、時速100キロを超えた「事故直前速度」での事故は、やはり1%にも満たなく、時速80キロを超えた「事故直前速度」での事故というくくりでみてようやく1%を占める程度にとどまっています。また、「非市街地」での死亡事故に限ってみても、「時速40キロ超―60キロ以下」での死亡事故が41%ほどで最も多く、時速40キロ以下での死亡事故でも35%ほどを占め、時速100キロを超えた「事故直前速度」での死亡事故は3%余、時速80キロを超えた「事故直前速度」での死亡事故というくくりでみて10%ほどを占めるに至っている、というのが実態です。
【参考】念のため、全国の高速自動車国道や指定自動車専用道路で発生した事故に限って、その「事故直前速度」別の発生状況も確認しておきますと(最新過去3年間の平均データ)、時速60キロ以下での事故が61%ほども占め、「60キロ超―80キロ以下」が20%ほど、時速100キロを超える直前速度での事故はわずか3%を占めているにすぎません。また、死亡事故に限ってみても時速100キロを超える直前速度での事故は18%ほどにとどまり、「80キロ超―100キロ以下」が35%ほど、半分近くの死亡事故は時速80キロ以下の「事故直前速度」で発生している、というのが実情です。
★こうした実態は、多くの読者諸兄にとって、にわかには信じ難いことだろうと思いますが、間違いのない事実なのです。にわかには信じ難いと思った諸氏は間違いなく、「スピードの出しすぎによる交通(死亡)事故が多い」という幻想に取りつかれていたのです。念のため、事故の第一当事者になったドライバーの「違反種別」の死亡事故の発生状況を検証してみると(全国全道路、最新過去3年間の平均データ)、「最高速度違反」が主違反とされたものが6%程度、「非市街地」での死亡事故に限ってみても7%ほどにとどまっており、「前方不注意」などの「安全運転義務違反」が主違反とされたものが60%を占めて圧倒的に多く、「非市街地」での死亡事故に限ってみても60%余を占めているというのが実情です。つまり、走行速度が高くなるにつれ事故の発生率も高くなる―というデータ的根拠はどこにも認められないのです。もちろん、「事故直前速度」が高いほど事故時の衝撃・ダメージが大きくなることは物理学の事実ですが、それをもって「走行速度が高くなるにつれ事故の発生率も高くなる」というのは論理のすり替え以外の何物でもありません。すなわち、半世紀以上も前に定められた高速自動車国道での最高速度100キロという規制は、「実勢速度」からみても、事故の発生実態からみても実情にそぐわない「旧時代の遺物」にすぎなく、「法定最高速度」の引き上げは、試行を実施するまでもなく、早急に英断・実施すべきだと考えます。もちろん、「法定最高速度」の引き上げに当たっては、110キロが妥当か、または120キロが妥当か、あるいはそれ以上でも問題はないか等、慎重に検討すべき事項がありますので、そのための実験・試行をこそ実施すべきでしょう。
★そもそも、問題の根源は、この「雑記」でも何度も取り上げてきましたが、自動車の所有や利用状況、道路交通状況が質・量ともに大きく異なっていた半世紀以上も前に制定・施行された道路交通法の、いわば「旧時代の遺物」的規定を頑強に堅持し、道路交通実態との間にさまざまな大きなギャップが生じているにもかかわらず、一部改正というその場しのぎの「繕い」でしのぎ、根源的問題点の解決を放置してきたことにあるのです。先に紹介したように、高速自動車国道での法定最高速度100キロというのは、1963年(昭和38年)の道路交通法の一部改正によって制定・施行されたもので、それとても、当時の日本車の多くの性能が時速100キロもの高速で1時間ほども走ればオーバーヒートしかねない代物であった時代の、まさしく上限限度の規定であったと言っても過言ではなかったと考えますが、道路交通法の制定・施行はその3年前の1960年(昭和35年)のことですので、当然ながら、道路交通状況が質・量ともに大変革を遂げた今日、唖然とせざるを得ない「旧時代の遺物」的規定がしぶとく生き続けているのです。たとえば、「原動機付自転車」というカテゴリー規定がいまだに厳然と存在しているのがその典型と言えるでしょう。今現在、かの乗り物は、ほとんどの人が出力や大きさが限定された軽量小型の自動車(自動二輪車)の一種だと認識しており、「自転車」の一種だと認識・納得している者は誰一人としていないと思いますが、「旧時代の遺物」的道路交通法では明確に「原動機付自転車」として「自転車」の一種と思われる「死語」的規定がいまだに生き続けているのです。
★こうした事例はほかにもありますが、「雑記子」が今回のテーマ、つまり、「高速自動車国道での最高速度引き上げ試行」に絡んで、特にドライバー等多くの人々に認識してもらいたいと思い強調したいのは、やはり、法定最高速度の「遺物性」です。高速自動車国道での法定最高速度については先に紹介しましたが、ここでは、高速自動車国道以外の、いわゆる一般道での法定最高速度の「遺物性」を紹介しておきましょう。周知のように、道路標識等による表示がない場合の一般道では、「時速60キロ」というのが法定の最高速度となっていますが、この規定は、敢えて繰り返し確認しますが、半世紀以上も前の1960年(昭和35年)に制定・施行された道路交通法において規定されたものです。当時の一般道のほとんど、主要幹線国道の大半ですら未舗装の砂利道で、都市部の「市街地」の大部分の道路ですら未舗装・砂利道だったにもかかわらず法定の最高速度は「時速60キロ」であったのです。それが今では国道はもちろん、都道府県道や市町村道のほとんど、農道と言われる道路のほとんどですら舗装化され、その多くには歩車道の分離も行われ、交差点の要所要所には信号機も設置されている、そんな大改善が整ってきたにもかかわらず、いまだに、大部分が未舗装・砂利道だった旧時代の形骸化した規定が生き続けているのです。その結果、先にも述べましたが、この形骸化している法定最高速度が多くのドライバーの交通ルール順守意識(遵法意識)の低減化の要因にすらなっていると思うのです。もちろん、特に「市街地」のほとんどの道路では未舗装・砂利道を見かけることはまずないと思いますが、道幅が狭く、歩車道の分離が為されていない道路もまだ少なくなく、特に最近、そんな道路で、しかも、幼い子どもたちの通学路になっている道路で、通学中の子どもたちの列に「居眠り運転」とか「薬物等運転」、あるいはまた「認知症」と疑われるドライバーが運転する車が突っ込み、幼い子どもたちを死傷させるという痛ましい事故が目立って報道されてもいますが、「だから現行の法定最高速度は妥当だ」というのは筋違いも甚だしい論理です。そんな道路には道路標識等による規制速度の実施と周知はもちろん、通学時間帯の車の乗り入れ規制やガードレール等の設置などによる安全確保策をこそ確実に実施すべきであり、その怠りこそが問題なのであり、「旧時代の遺物」的規定による法定最高速度の妥当性の根拠になるものでは決してない、ということを重ねて強調しておきます。
★いわゆる「自動運転車」の実現化に向けた動きが急ピッチで進行している今、現行の道路交通法はその点からしても根源的な見直しが迫られています。だからこそ、高速自動車国道での「最高速度110キロ引き上げ試行」の実施ではなく、革命的変革を迎えつつある新時代に適合し得る新たな道路交通法の策定・検討をこそ本格化すべきだと強く訴えるとともに、少なくとも、高速自動車国道や指定自動車専用道路を利用しているユーザーの目下の最大の懸案は「最高速度の引き上げ」もさることながら、いわゆる「ラッシュ時」や年に何度かある「大型連休時」、あるいは事故発生時後等に決まって発生する大渋滞です。これもまた、あまり多くに知られていないことかもしれませんが、現行の道路交通法では、「高速自動車国道等における自動車の交通方法等の特例」の規定の中に「最高速度」とは逆の「最低速度」の規定、すなわち、「本線車道では、道路標識等で指定されていないところでは時速50キロに達しない速度で進行してはならない」(道路交通法施行令第27条の3)という規定も設けられています(※もちろん、「危険防止上やむを得ない場合を除く」という例外規定はある)。にもかかわらず、渋滞時には時速50キロを大きく下回る「違法速度」でのノロノロ運転での進行を何時間にもわたって強いられることになるのです。しかも、そうした場合でも、決して安くはない通行料金はきちんと徴収されるのです。この理不尽の抜本的解決を放置したままで、如何に最高速度の「引き上げ」が実施されても快適・安全な高速道路通行は実現されないと思いますので、何にも増して「渋滞の解消」に真摯に取り組んでほしい、というのが多くのユーザーの願いであることも当局関係者にはきちんと知ってほしいと思うのです。ちなみに、高速道路でのスムーズな交通流は安全確保の要の一つでもあることを確認し、本稿の結びとします。221116

 

【2016年10月20日更新】

■「日本の自転車交通の混迷」を読んで・・・

★新聞・TV等のマスメディアでも報道済みですが、去る9月23日から25日までの3日間にわたり、長野県軽井沢町で、先進7ヵ国(G7)の「交通大臣会合」が開催され、自動運転・ITS技術は「交通事故の削減や交通渋滞の減少、物流の効率性の改善、運転者の負担軽減に資する」という認識を共有し、その早期実用化に向け「相互に協力し、リーダーシップを発揮」し、「統一された安全基準等、国際的に調和したルール作りに努める」ことなどを盛り込んだ共同宣言を採択して閉幕しました。これにより、自動運転車の開発・普及に向けた取り組みが一層加速されていくと思いますが、ただ、「統一された安全基準等、国際的に調和したルール作り」はその緒についたばかりで、現実には、日米欧の主導権争いも激しく、その実現にはまだまだ多くの時間と労力を要することと思われますが、少なくとも、自動運転車そのものの開発技術は、ほぼ実用段階に迫っているという状況にあること等について、前3回の「雑記」で詳細にわたり紹介しましたが、今回の「雑記」では、その自動運転車、道路交通手段の最先端のテクノロジーとは正反対の対極に位置するローテクの道路交通手段であり、かつ、今後の道路交通安全上の重要課題の一つである「自転車」に関する話題をテーマにしてみようと思います。道路交通安全上の重要課題になっている自転車にかかわる問題点等については、この「雑記」でも過去何度も取り上げてきましたが、一般財団法人「日本交通安全教育普及協会」が発行している月刊誌『交通安全教育』の2016年8月号に、少なくとも、「雑記子」の知見では、これまでには見聞きしたことがなかった視点での自転車の交通安全にかかわる論稿、岩手県立大学名誉教授・元田良孝著の「日本の自転車交通の混迷 ―時代遅れの道路交通法、歩道通行の大罪―」が掲載されていましたので、その概要を紹介しつつ、自転車の交通安全問題を改めて考えてみたいと思った次第です。
★元田・岩手県立大学名誉教授は、論稿の冒頭で、「日本は世界でも有数の自転車大国。その保有台数の推計は自動車のそれにほぼ等しい約7千万台。交通機関利用分担率も13%と高く、保有と利用の両面でトップグループにあるが、自転車交通は道路交通法という法律はあるものの、実質コントロールされているとはいいがたく、交通違反は日常的で無法状態と言ってもいい状況にあり、交通事故死傷者数も多いが、その主な原因は時代遅れの道路交通法と(アンダーラインまたはアンダーライン部分の(  )書きは「雑記子」による。以下同じ)、歩道通行の横行にあり、この両者の問題を解決することなく日本の自転車交通の将来はない」と断じています。そして、筆者の元田・岩手県立大学名誉教授は、大学に転職する前の20年余間、建設省(現在の国土交通省)で道路管理者として勤務していたとのことですが、その当時、自転車は歩道を走るものと思い込んでいて自転車専用の道路空間の整備など不要と考えていたそうで、それは筆者のみならず当時の大多数の道路管理者の考えであり、現在でも同じ考えの人も少なくないと反省の弁を述べ、そうした経歴を有する故に、自転車交通の正常化が自らの生涯の課題と思っていると述べ、「なぜ自転車に関して道路交通法は時代遅れの法律なのか」、「なぜ歩道通行がいけないのか」を解説し、「自転車交通システムの改革について世論に訴えたい」としていますが、先にも記したように、道路交通法にかかわる根源的な問題点等を論拠にした自転車の安全通行問題をテーマにした論稿は、少なくとも「雑記子」の知る限り初見と思えるだけに、多くの関係者の必読を願っている次第です。ちなみに、元田氏のこの論稿は、この手の月刊誌(『交通安全教育』)では比較的珍しい14ページをも割いた長文ですが、7節に分かれ、それぞれの節にテーマ(要旨)が記されていますので、それを順にたどって見ていくだけでも、論稿の全体像がおぼろげに把握できるのではないかと思いますが、以下にその概要を紹介しておきましょう。
★まず、論稿の冒頭、1には「日本の自転車はクレージー」というテーマが記され、以下、2は「日本の自転車の状況」というテーマのもと、明治以来の日本における自転車利用概史、保有台数の推移や人口当たりの保有台数および自転車の交通事故死者数の国際比較等が紹介され、3の「自転車の治外法権化」では、自転車(利用者)の交通違反が日常化し、多発している。しかし、それを取り締まる法律はあるが実効性がなく、実質、「処罰無し」という状況で「治外法権化」している―という実態が詳細に紹介されています。ちなみに、「治外法権化」=「取り締まる法律はあるが実効性がない」ことの根源について、「自転車は『交通反則通告制度(行政処分)』の対象となっておらず、1968年(昭和43年)以前と同様全て赤切符で処分しなければならない。自転車には50年以上前の法律しか用意されていない。・・・略・・・(このため)自動車に比べて危険性が低い自転車の違反の全てに刑罰を科するのはバランスが悪いこと、また自動車と同様な保有台数で違反も膨大であることから起訴して裁判をするのは検察にとっても裁判所にとっても処理能力をはるかに超えてしまう。・・・略・・・。警察もその事情を知っているからあまり赤切符も切れない。・・・略・・・。自転車の赤切符は年々増えているとはいえ2015年は約1万2千件で、起訴されているのはこのうちの1%にも満たない。(だから)実質処罰無しと言ってもよく自転車は治外法権化しているのである」と論じています。また、この「3.自転車の治外法権化」に続く第4節では「車に衝突・・・歩道通行の大罪」という節題のもと、「1970年(昭和45年)に道路交通法が改正され区間を指定して自転車の歩道通行を許した。・・・略・・・。さらに1973年(昭和48年)には道路交通法が改正され、歩道を通行できる自転車の要件が定められた。以降自転車の主な通行空間は歩道となり、歩道は事実上の自転車道になった。ところが自転車の歩道通行は多くの矛盾を抱えており合理的な通行方法とはとても考えられない」として、1)安全効果がない、2)歩行者の保護ができない、3)非現実的で実施も取締りも困難な法律、という3つの基本的根拠要件に分け、自転車の歩道通行の不合理性を論じていますが、この中で「雑記子」が特に注目したのは、一定の条件を課しながらも、自転車の歩道通行を取り入れたその最大理由は、車道上での自転車と自動車の交通事故の危険を削減することにあったと思いますが、自転車の歩道通行によって、道路外施設に出入りするため歩道を横断する自動車との事故が増加し、また、T字路等の交差点で歩道から一時停止もせずに飛び出してくる自転車との事故が増加したりなどして、自転車の歩道通行による自転車と自動車の交通事故の危険の削減性が認められない―としている点です。

※自転車の歩道通行可の道路交通法一部改正が施行された以後の1989年(平成元年)には、冬期間、降雪などにより自転車利用が極端に減少する北海道でも、通年でみると、「自転車事故」の発生件数が、いわゆる「歩行者事故」のそれを上回りましたが、「歩行者事故」に比べ、死者数が少ない故か、関係機関・団体、マスコミ等でもほとんど注目されず、また、その発生実態もほとんど不明でした。そこで、弊社の交通安全キャンペーン誌・月刊『シグナル』の1990年(平成2年)の4月号(通巻No.207号)で「自転車事故の実態を探る」という特集を組み、北海道警察交通部交通企画課の協力も得て、1989年(平成元年)に北海道内で発生した3千件余の自転車事故の「衝突形態」別の発生状況を詳細に調査分析し、多発パターン等の結果を掲載し、事故直前まで歩道通行していた自転車による事故が60%以上を占めていること、また、歩道上での自動車との衝突事故も多発していること等を明らかにしました。また、1995年(平成7年)4月発行の『シグナル』(通巻No.267号)では、宮城県警交通部の協力を得て、1993年(平成5年)に宮城県内で発生した自転車事故の「衝突パターン」を明らかにした分析調査結果を特集掲載しましたが、それでも、事故直前まで歩道通行していた自転車による事故や歩道上での自動車との衝突事故が多発していることが明らかに示されています。

また、第4節の3)非現実的で実施も取締りも困難な法律、という項においては、自転車が歩道を通行する上で道路交通法に定められている3つのルール、すなわち、(1)車道寄り通行、(2)徐行通行、(3)歩行者優先というルールの遵守は、車道寄りの歩道上には植栽や電柱などが多く、徐行の定義も曖昧で、事実上、実行も取締りも困難で制度的に完全に破たんしている―という点も注目に値する思います。
★また、第5節の「無視され続けた自転車インフラ」の項では、「車優先の道路整備」が行われた結果、自転車の走行空間、自転車道や自転車レーン等の整備が無視され続け欧米に比べても著しく立ち遅れていることを嘆き、第6節の「正常な自転車交通システムを目指すため」の項では、「(自転車の)違反に適切なペナルティーを」、「歩道通行の段階的な廃止とインフラの整備」を提言、また、自転車利用者に対する「車道走行の訓練」の必要性も提言しています。冒頭でも記しましたが、「自転車の安全通行」に関する論稿は、特に近年、少なからず目にすることが多くなっていますが、「雑記子」が知る限り、そのほとんどは、自転車利用者の「自転車の交通ルール遵守」を説く類のもので、「時代遅れの道路交通法」という根源的視点での論稿は極めて貴重で、多くの関係者に必読を推奨したく、今回「雑記」に取り上げ、その概要を紹介した次第ですが、この「雑記」の読者諸兄にはご承知の方も少なくないと存じますが、この「雑記」では、過去に何度も「自転車の安全通行」にかかわる問題を取り上げてまいりました。その「雑記」の観点から、今回紹介した、元田良孝氏の「日本の自転車交通の混迷 ―時代遅れの道路交通法、歩道通行の大罪―」と題する論稿に敢えていくばくかの論評を加え、この「雑記」の結びにしたいと思います。
★元田氏が今度の論稿で指摘している通り、現在の「自転車の安全通行」問題にかかわる諸問題とその混迷の根源には「時代遅れの道路交通法」が大きくかかわっていること自体は「雑記子」もかねてから何度も指摘しており、元田氏のこの論稿によって大いに意を強くした次第ですが、元田氏の指摘は、1970年(昭和45年)の道路交通法一部改正により、指定区間での自転車の歩道通行の許可、さらには、1973年(昭和48年)の道路交通法一部改正による「歩道を通行できる自転車の要件」の規定等をもって「時代遅れ」としておりますが、さらに深部の根源として、1960年(昭和35年)に制定・施行された道路交通法において、自転車は、自動車の仲間、「車両」の一部として定義づけられていること、そのことこそが決定的な「時代遅れ」の規定なのだ―というのが「雑記子」の観点です。したがって、元田氏も指摘している「無視され続けた自転車インフラ」整備問題も、元田氏自身がかつて建設省で道路管理者として勤務していた当時、「自転車は歩道を走るものと思い込んでいて自転車専用の道路空間の整備など不要と考えていた」、「現在でも昔と同じ考えの人が少なくない」と告白しており、それが「自転車インフラ整備が無視され続けた」根本的要因になっていることはその通りですが、そもそも、道路管理者の多くが「自転車は歩道を走るものと思い込んでいた」のは、1973年(昭和48年)の道路交通法一部改正による「歩道通行の特例」措置の結果であって、それ以前はもとより、それ以後も、自転車は「車両」であり、「車道通行」が当然の原則なのだから、特別に自転車のみのためのインフラ整備などは二の次、三の次という考えが深底に居座っていた結果というのが真実ではないかと思うのです。また、自転車利用者の遵法意識の低さや無法ぶりも、原則としての「車道通行」と特例としての「歩道通行」がその時々の様々なキャンペーン・広報等で行ったり来たりして揺れ動いて定まらず、また、「無視され続けたインフラ整備」も相まって、自転車利用者の遵法意識それ自体を根本から破壊した結果の事象だ―というのが「雑記子」の視点であり、元田氏の論稿での「時代遅れの道路交通法」の解消では、この点にまでは及んでいない点を残念に思います。それ故に、「自転車の安全通行」問題を根本的に改善・解決していくためには、道路交通法の自転車の通行にかかわる部分のみの抜本的見直し・改善で済ますのではなく、道路交通の利用者を歩行者と「車両」の2者に区分した視点で成り立つ半世紀前に制定・施行された現行の道路交通法それ自体の適否を根本的に問い直し、一部改正という取り繕いではなく、道路交通の利用者を、歩行者、自動車と並列する自転車の3者を基本とする、すなわち、自転車に歩行者、自動車と並ぶ一人前の「市民権」を与えたまったく新しい道路交通法を制定・施行する、その作業に早急に取り掛かることこそが真の課題であると思っていることを改めて強調しておきたいと思います。なお、まったく新しい道路交通法の制定・施行は、「自転車の安全通行問題」の解決のみならず、近年、急速に浮上し、その実現化が迫っている「自動運転車」にかかわる法的インフラ整備にもかかわる根源的課題であることも付記しておきたいと思います。201016

 

【2016年9月21日更新】

■「自動運転」車開発の現状と課題を考える・・・ No.3

★「自動運転」車開発の現状と課題を考える・・・と題したこの「雑記」は、前々回と前回の2回で一応終了するつもりでおりました。しかし、その後も新聞各紙には「自動運転」車開発にかかわる新たな情報報道が次々に掲載され、それらの新情報をみると、「自動運転」車の実用化を目指す動きは「雑記子」の予想を大きく上回る勢いで急速に進捗している一方で、前2回の「雑記」でも大きな懸念として提示していました「ユーザー・市民の十分な理解と支持等の確保」対策や国際的・国内的な法的環境整備等の、いわば、社会的環境整備が立ち遅れ、その格差・ギャップがますます拡大しているという危惧がますます大きくなっていると思わざるを得ない状況になっていると思うのです。そこで、急きょ、今回の「雑記」でも、「自動運転」車開発の現状と課題を考える・・・と題した問題を取り上げることにしました。
★まず、9月9日の日本経済新聞の「自動運転車、普及段階に」と題した記事には、記者の「自動運転車」の試乗体験記が記載されています。それを最初に紹介し、「自動運転」車の実用化を目指す動きが現実に急ピッチで進捗している状況を改めて確認しておきましょう。すなわち、「9月7日、日産自動車が発売した新車の助手席に乗ってみた。横浜市にある本社を出発し、首都高速道路の入り口でハンドル上にある自動運転のスイッチをオンにする。さらに車速を設定すると、ダッシュボードの画面にシステムが起動したと表示された。車は自らアクセルやハンドルを操って走り出した。前の車との車間距離は、ほぼ一定に保たれている。手を軽く添えるだけでハンドルがカーブに合わせて回転し、車線の中央をキープする。試しに手を離すと画面に警告が出てブザーが鳴り、それでも放置するとシステムが解除された。渋滞時にはかなり楽ができそうだ。身近になった先進技術を実感しながら試乗を終えた」。以上が記者の試乗体験記ですが、試乗体験した日産自動車の新車というのは、新型ミニバン「セレナ」で、前2回にわたるこの「雑記」でも紹介しましたが、内閣府に設置されている「高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(IT総合戦略本部)」が今年平成28年5月20日に公表した「官民ITS構想・ロードマップ2016」の中に記載されている「自動走行システム等の定義」によると、「安全運転支援システム・自動走行システム」の4段階のうちの「レベル2」に位置づけられるもので、「システムの複合化」段階とされ、「加速(アクセル)・操舵(ハンドル)・制動(ブレーキ)のうち複数の操作を一度にシステムが行う状態」のもので、ドライバーはシステムの作動状況を監視する義務および常時、自ら安全運転を保つことができる態勢(たとえば、進路の異常が出たら直ちにハンドルを操作して進路を正しく修正したり、ブレーキを踏んで減速・停止したりできる態勢)でいる義務がある、とされていますが、日産自動車のみならず、トヨタやホンダも2020年にその実用化を目指しているものです。
★ちなみに、「レベル1」は「単独型」とされ、「加速(アクセル)・操舵(ハンドル)・制動(ブレーキ)のいずれかの操作をシステムが行う状態」で、安全運転の責任はすべてドライバーにあるとされており、自動ブレーキを搭載した車などがすでに実用化されています。また、「レベル3」は「加速(アクセル)・操舵(ハンドル)・制動(ブレーキ)のすべてをシステムが行い、システムが要請したときのみドライバーが対応する状態」で、「システムの高度化」段階と称され、高速道路以外の一定の条件下にある一般道でも自動走行モード機能が作動するもので、自動走行モード中の安全運転は基本的にシステムの責任となりますが、その責任内容や範囲は今後の検討課題となっており、「レベル2」の「準自動パイロット」の段階を超えた「自動パイロット」レベルとなりますが、政府は、この「レベル3」の自動運転車を2020年をめどに実用化し、東京で開催されるオリンピックで世界にアピールすることを目指しています。そして、「レベル4」は、文字通り「完全自動走行」の段階で、「加速(アクセル)・操舵(ハンドル)・制動(ブレーキ)をすべてシステムが行い、ドライバーが全く関与しない状態」とされ、車内にはドライバーが存在せず、車外(遠隔)のドライバーに相当する者を含む自動走行システムによる移動サービス、または、専用の(道路)空間において行う無人自動走行システムによる移動サービスの段階で、その安全運転はすべての行程でシステムの責任となるとされているもので、2025年ごろには実用化する見通しだとのことです。
※2016年8月18日の新聞各紙は、アメリカの大手自動車メーカーのフォード・モーター社が8月16日、ハンドルやアクセル、ブレーキペダルがなく、完全に無人で走る「完全自動運転車」の量産を5年先の2021年までに始めるという計画を発表した、と報じています。
★このように、自動運転車は、少なくとも技術開発的にはその実用化が目前に迫っているといっても決して過言でない状況にあり、むしろ、「まだまだ先の話」と思っている多くのユーザー・市民が置き去りにされたまま、自動運転車の開発・実用化は、急速・確実に進捗し、その実現が迫っているというのが実態です。ただし、これらの自動運転車の開発は、国内の自動車メーカーのみならず、欧米の自動車メーカーをはじめアメリカ・グーグル社などのIT企業も参入し、開発競争が激化していますが、「どのような技術や規格に対応すれば安全かといった規制や基準は整備されておらず、それらの規制や基準がバラバラであれば開発やそれへの投資にも負担がかかりすぎるため、国際基準の一本化が望まれています。」そこで、「(2016年)9月23日から25日に長野県軽井沢町で開催される主要7ヵ国(G7)の「交通大臣会合」で自動運転車の安全基準などの国際基準策定で協調し、統一基準を作るための議論を加速することで合意する見通しだ」ということです。(2016年8月24日、29日毎日新聞朝刊記事から要約抜粋)しかし、自動運転車の国際基準作りは現在、国連の専門家会議でも議論が進められており、日本とドイツが共同議長として議論を主導し、欧州連合(EU)や韓国などが参加していますが、アメリカ、カナダ、中国などは参加しておらず、特にアメリカの運輸省道路交通安全局では独自の基準作りを進めており、「レベル4」の完全自動運転車の実用化に向け積極的な開発と基準策定を進めているアメリカと、慎重姿勢の欧州や日本との間には温度差があるのも事実で、どの国も「自動運転車普及のためには国際協調を図る必要があり、歩調を合わせて取り組む」ことが必要であることは理解しているものの、どのような基準を策定するかについては、自動運転車の技術開発と同様、熾烈な主導権争いを演じているのが実情であり、国際基準の統一への道のりは極めて険しいと思われますが、ともかく、国際基準の一本化に向けての動きが難しい問題を抱えながらも具体的に、確実に進行していることは確かです。
※2016年8月29日の毎日新聞朝刊には、日本でも、国土交通省が日本の開発技術を背景とする安全基準等を世界標準にすることで国際競争力を高めることを目指し、日本自動車工業会などと連携して基準の「日本案」を策定し、国連の議論を主導する動きを具体化した旨の報道記事が掲載されています。
※なおまた、9月17日土曜日の夜9時から、NHK総合テレビではNHKスペシャル「自動運転革命」と題する特集ドキュメント番組が放映され、日独米の「自動運転車」の技術開発の現状とその覇権を巡る攻防の状況等を具体的な映像で報じていましたので、この番組を見た人は、「自動運転車」というものがどういうものか、その技術開発の現状等が具体的な映像として理解することができたと思います。
★以上に紹介したように、自動運転車の実用化へ向けての技術開発、そして、それを促進するための安全基準などの国際基準の統一化への動きが、多くのユーザー・市民の予想をはるかに超えていると思われる猛スピードで進められていることは確かです。しかし、最も肝心と考えられる「ユーザー・市民の十分な理解と支持等の確保」を図るための対策に関する動きがほとんどみられないのが大きな気がかりです。つまり、自動運転車の実用化において、その担い手となる最も肝心なユーザー・市民の意識動向等を置き去りにしたまま、自動運転車の技術開発、その国際的主導権争い等だけが先行している、その現状に大きな危惧を抱くのです。そんな折、9月7日の毎日新聞朝刊に、大手損害保険会社のMS&ADホールディングスグループがこの6月に運転免許を持つ1,000人を対象に行った「自動運転車」購入の意向調査の結果を報じる記事が掲載されました。それによると、運転手が操作にほとんど関与しない「自動運転車」が発売されたときに買いたいかどうかを質問したところ、「購入したい」の34.9%に対し、「購入したくない」は38.2%となった。「分からない」は26.9%だった、という結果になったとのことです。また、「自動運転車」に対する期待や不安を感じる点を複数回答で尋ねた結果では、期待は「事故の減少」が66.9%で最も多く、「高齢者の移動支援」が50.8%、「運転負荷の低減、快適性向上」が40.5%という結果になり、また、不安では「システム自体の適切な操作」が51.9%、「人通りが多いエリアでの走行」が51.0%、「システム故障時の暴走・交通事故」も50.1%という結果になっています。さらにまた、「自動運転車」の実用化に向けた公道試験の是非についての質問では、賛成が47.2%で反対の17.5%を大きく上回る結果になったということです。こうした結果を受け、毎日新聞の記事では、「購入する、しない同程度」という見出しを掲げていますが、「購入したくない」と「分からない」を合わせると60%を超え、運転免許保有者の多くが「自動運転車」に不安・不信を抱いている、と捉えることもできます。ただし、こうした結果は、MS&ADホールディングスグループが行った調査の結果のみに基づくものですから、もっと大規模な市民・ユーザーの意識動向等を調査し、「ユーザー・市民の十分な理解と支持等の確保」を図るための対策を早急に具体化して実施していくことを強く望むものです。
★また、自動運転車の安全基準などの国際基準の策定、その「日本案」の策定とそれによる国際的議論の主導もさることながら、国際的な交通規則の原則を定めている「道路交通に関する条約(通称・ジュネーブ条約)」に基づき、人間の運転手がハンドル、アクセル、ブレーキ等を操作して走行する自動車を大前提にして制定されている現行の道路交通法を破棄し、運転者が運転する従来の自動車と「自動運転車」の混在を前提とする革命的な変化が起きるまったく新たな道路交通に確実にマッチングできる斬新で革命的な新しい道路交通法の制定に向けての諸作業を具体化することも急務です。もちろん、この諸作業の中には、「レベル4」の「完全無人運転自動車」が事故を起こした場合の責任の所在、あるいはまた、「レベル3」や「レベル2」の「自動運転車」が事故を起こした場合の責任の所在についても、かつてとは明らかに異質な道路交通の実情を十分に考慮した議論を尽くし、多くの「ユーザー・市民の十分な理解と支持等を確保」しつつ、明確にしていく作業が含まれることは言うまでもありません。ただ、私たち一般には、そうした動き、つまり、「ユーザー・市民の十分な理解と支持等の確保」を図るための対策や、関係法令の改正等に関する作業は、顕在化していないように思えますが、もしかしたら、関係機関・団体等の一部で密やかに進めているのかもしれませんが、そうだとしたら、それも大問題です。なぜなら、そこでも、肝心なユーザー・市民の意識動向等が置き去りにされていることになるからで、「ユーザー・市民の十分な理解と支持等の確保」を図るための対策こそ、最も透明性を高め、多くのユーザー・市民がそうした議論の問題点や動向等が十分に理解でき、かつ、多くのユーザー・市民の意見等が十分に反映できる仕組みの中で進められるべきだと考えるからです。少なくとも、ある日突然、否応なく、「自動運転車」の選択・利用を無理強いされ、かつ、新たな規制に従わざるを得なくなるような上意下達的な事態は断固として避けてほしいと強く願う今日この頃です。210916

 

【2016年8月22日更新】

■「自動運転」車開発の現状と課題を考える・・・ No.2

★前回の「安全雑記」(「自動運転」車開発の現状と課題を考える・・・)を立ち上げる(7月29日)数日前の新聞報道(7月25日、読売新聞朝刊)によると、国土交通省は早ければ2017年秋にも、ドライバーがハンドルを握った状態で、高速道路で同じ車線を維持して走る際に必要な自動運転の安全基準を定める方針を決めた、とのことです。念のため、2017年秋というのは来年のことですが、前回の「雑記」では、アメリカで、自動運転(「レベル2」相当)の車による初の死亡事故が発生したことを伝え、そもそも、自動運転の車とはどんな車か、その開発の現状や実現プランはどのようになっているのか、について、内閣府に設置されている「高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(IT戦略本部)」が今年平成28年5月20日に公表した「官民ITS構想・ロードマップ2016」に基づいて紹介して、多くの一般国民・市民が「ITS構想―自動走行パイロット(自動走行車)化」の詳細を十分に承知せぬ間に、その実現に向けての開発等が猛スピードで推し進められていることを伝えましたが、冒頭に紹介した新聞報道はその事実を裏付ける動きの一つになるものです。そして、もちろん、この安全基準が具体化されれば、国内での自動運転に関する初の安全基準が出来上がることになり、実証実験などがより加速されることになると思われます。なお、冒頭に紹介した新聞報道では、日本とEU(欧州連合)等は、国連傘下の専門会議「自動車基準調和世界フォーラム」(WP29)で、自動運転に関する共通の安全基準を作っており、2017年までに、「車線維持」の技術に関する安全基準を策定する見通しで、国土交通省は、この国連の基準に合わせ、道路運送車両法等の関連法令を改正する予定であること、また、アメリカはWP29に加わっていないことも報じていますが、そのアメリカの動向に関して、7月22日の毎日新聞(朝刊)が報じています。このアメリカの動向は、冒頭に紹介した読売新聞の報道と同様、自動運転技術開発にかかわる重要な動向だと思いますので、少々長文になりますが、以下にそれを引用・紹介してみます。
★「次世代技術の工程表を示す最初の一歩になる。米国内、そして国際的にも統一した規制の手法につながると期待する」。米運輸省道路交通安全局(NHTSA)のローズカインド局長は(7月)20日の講演で、月内に示す指針をテコに、米国が自動運転技術の国際基準を先導する意欲を表明した。「事故を大幅に減らせる可能性がある」「技術が完璧になるのを待っていては、その間に多くの人命が(交通事故で)失われる」とも語り、実用化に積極的な姿勢をにじませた。指針は自動運転車の走行実験や実用化に向け、安全面で満たすべき条件を示す見通しだ。規制が強すぎれば開発が遅れかねず、緩すぎればかえって事故を増やしかねないため、当局の出方が注目されている。どんな手順で実用化に向かうかも焦点だ。自動運転車には運転手がハンドルやブレーキの操作に関与するレベル1からレベル3のほか、関与が全く必要ない完全自動運転「レベル4」がある。トヨタ自動車など日本勢は段階的な実用化を想定するが、米国勢は前のめりだ。グーグルや米自動車大手フォード・モーターの陳情(ロビー)活動を指揮する元NHTSA局長のストリックランド氏は、毎日新聞の取材に「最善かつ最も安全な方法は完全な自動運転車の導入だ」と述べ、一足飛びにレベル4を可能にするよう働きかけていることを明らかにした。同氏は、レベル3までの技術では、緊急時に自動運転から運転手の運転に切り替える必要があるが、運転技術的に容易ではなく、かえって危険(を招く可能性が高くなる)との主張だ。・・・略・・・、(それ故に)指針を厳格化しないことも求めている模様だ。・・・略・・・、一方、・・・略・・・、(ストリックランド氏とは別の)元NHTSA局長で、現在は交通安全団体に所属するクレイブルック氏は「運転手を実験台にしてはいけない。安全面の妥協はあり得ない」と強力な規制の導入を訴えており、指針をめぐる論争は収まっていない。※アンダーラインを付した(  )書きは雑記子による。
★以上が、毎日新聞が報じた記事のほぼ全文ですが、圧倒的多くの一般人は、この記事を一読しても、自動運転車の開発に関する記事だとは理解できても、その開発を巡る状況や課題等は何なのか―まではよく理解できなかったと思います。事実、雑記子もそうでした。そこで、改めて熟読し、かつ、冒頭に紹介した読売新聞の報道等を関連づけて整理してみると、アメリカは、日本とEU(欧州連合)等が加わっている「WP29」(自動車基準調和世界フォーラム)には参加せず、自動運転車の実用化開発を独自に進め、しかも、日本やEU勢が段階的に自動運転車の実用化を実現しようとしているのに対し、一足飛びに「レベル4」の完全な自動運転車の導入を目指し、世界的な主導権を握るため、それに向けた規制指針(ガイドライン)を策定しようとしている。しかし、アメリカ国内にも異論があり、今後の推移が注目される、というのがこの記事の要旨だと思います。
★前回の「雑記」の結びにも述べましたが、これらの新聞報道にもみられるように、自動運転車の実用化に向けた開発競争は、私たち多くの一般市民、つまり、最終的なユーザーが十分な理解ができる情報がないままに、また、自動運転に対する社会的なコンセンサスを得る努力も尽くさないままに、自動運転車の実用化に向けた取り組み、なかでも自動運転にかかわる「自動パイロットシステム」等の技術分野の開発だけが突出して急速に進行している、そのことに何ともいえぬ危うさを禁じ得ない、というのが率直な実感です。そして、7月31日に日本経済新聞に掲載された「クルマ異次元攻防」と題するコラム記事を読むと、【アメリカ・ボストンコンサルティンググループによる情報として、「レベル3」以下の、いわゆる「部分自動運転車」の世界販売台数は、今から10年後の2025年に1,390万台に達し、市場全体の12%超に達する見通しだという。さらに、2035年にはドライバーの関与が一切不要な「完全自動運転車」も1,200万台まで増え、構成比率は10%に迫ると予想。】と掲載されており、自動運転車の実用化に向けた取り組みが確実に進行しており、その将来の急速な普及が数量で予測できるほどの段階まで進んでいることを、なお一層強く実感し、あまりにも性急すぎるその動きに何ともいえぬ危うさを感じてしまうのです。ただ、同コラム記事では、一方で、【慎重な見方もある。システムの精度や性能に加え、ドライバーの意識(改革)だ。特に、「部分自動運転車」では事故の際の法的責任はドライバーが負うが、この点が曖昧になっていた恐れもある。業界首脳は「自動運転が普及するには技術の向上に加え、社会全体として新技術を受け入れていくための『合意形成』が必要。時間がかかる」と指摘する】ということも記されており、世界的にみても、自動運転車の実用化の早急な推進を図ろうとする潮流は、必ずしも単一ではなく、「自動パイロットシステム」等の技術分野の開発だけでは済まない様々な隘路があることもうかがわれます。
★もちろん、自動運転車の実用化に向けた急速な動きは、アメリカのみならず、日本でも進んでいます。8月1日の新聞各紙の夕刊やテレビ各社の夕方のニュースでは、日本のプロ野球球団のオーナーとしても知られているソーシャルゲーム業界の大手DeNA(ディー・エヌ・エー)が、千葉市内の商業施設「イオンモール幕張新都心」に隣接する豊砂公園で、この日からドライバーがいない自動運転バス「ロボットシャトル」の試験運行を開始したことを報じました。この「ロボットシャトル」は全長約4m、高さ約3m、幅約2mの12人乗りで、フランスのベンチャー「イージーマイル」社が開発した「EZ10」と称される小型バスで、運転席はなく、あらかじめ設定したルートを、最速40キロで走行可能なものですが、今度の試験運行では豊砂公園の外周に設けられた約500mの舗装路(コース)を時速約10キロで走行、所定の場所で乗客を乗降させるというもので、この試験運行は8月1日から11日まで行われ、その後、この試験運行の結果などを踏まえて、イオンモール幕張新都心内の顧客移動手段の一つとして本格採用を検討するほか、DeNAは他のショッピングセンターやテーマパーク、大学などにも、このバスの運行システムを売り込むことを目論んでいるとのことですが、一般の公道での運行は、まだ、視野に入ってはいません。というのも、現行の道路交通法や道路運送車両法等では「自動運転」車は全くの想定外で、公道以外の私有地内のみでの運用しか可能でないからです。
★以上に紹介してきた動向からすると、「自動運転」車は、少なくとも、その技術開発の分野では、ほぼ実用化のレベルに達しているとみられます(※千葉・豊砂公園で試験運行されている「ロボットシャトル」などがその一例)。しかし、一般公道での「無人自動走行システムによる移動サービス」等を実現するためには、道路運送車両法等の関連法令の大改正が必要であるほか、ユーザーである一般市民の理解・支持と積極的参加の意思も必要不可欠で、「自動運転」車を実用化するための車の両輪として同時並行的に推進されるべき課題だと思います。しかし、先にも紹介したように、国土交通省は、国連が策定予定の「安全基準」に合わせ、道路運送車両法等の関連法令を改正する予定でいるとの報道はありますが、道路交通法の改正に関し何らかの検討が進められているとは思いますが、少なくとも「雑記子」はまだ見聞きしていません。つまり、いずれにしても、「自動運転」車の技術開発(ハード関係)の進捗状況に比べれば、一般市民の理解・支持と積極的参加の意思を醸成したり、関連法令の改正を検討・実現したりする等の社会的環境整備(ソフト関係)にかかわる動きは非常に鈍いと感じています。ちなみに、前回に紹介した、内閣府に設置されている「高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(IT戦略本部)」が今年平成28年5月20日に公表した「官民ITS構想・ロードマップ2016」には、「ITS・自動走行のイノベーション推進に向けた取組」として、「社会全体での連携体制整備と市民との連携・社会受容性の確保」という項が設けられ、そのなかで、「市民の参加と社会受容面での取組み」についての記述がありますので、以下にそれを紹介してみましょう。
★すなわち、「日本において、具体的な地域において世界最先端のITSを構築し、それを日本全体に拡げていくにあたっての前提条件は、ITS・自動走行を利用し、共存することとなる市民が、そのメリットを事前に把握しつつ参加することが不可欠である。特に、新たな技術である自動走行システムの社会の導入にあたっては、その社会受容性の確保が前提となる。これまで社会受容性の確保に関し、SIP自動走行システムにおいて、メディア・ミーティングを開催し、自動走行を巡る開発状況等の説明を行ってきたところであるが、ITS・自動走行に係る社会受容性向上に係る取組は、政府のみが取り組むものでもなく、また、企業一社で取り組むものではないことを踏まえ、今後は、中立的な学会等の大学・研究機関も含む産学官連携による体制整備を検討することが必要である。今後、このような体制を念頭におきつつ、前述の自動走行に係る社会的インパクト評価に係る調査を推進するとともに、それらの成果等を踏まえつつ、ユーザー・市民視点で、ITS・自動走行の発展に伴い、自動走行システムがどのように普及し、社会がどのように変わっていくのか等を分かりやすく示すことにより、市民と連携、社会受容性の確保を図っていくものとする。」というのが「市民の参加と社会受容面での取組み」についての記述の全文で、ここに明記されているように、「ITS・自動走行を利用し、共存することとなる市民が、そのメリットを事前に把握しつつ参加することが不可欠で」、「ユーザー・市民視点で、ITS・自動走行の発展に伴い、自動走行システムがどのように普及し、社会がどのように変わっていくのか等を分かりやすく示すことにより、市民と連携、社会受容性の確保を図っていくものとする。」とされてはいますが、残念ながら、現段階では、あくまでも「検討課題」であり、それにかかわる具体的な動きはまだ見聞きされていないのが実情です。その上、「ユーザー・市民の十分な理解と支持等の確保」と同等、いや、ことによるとそれ以上に厄介な課題も残されています。
★日本はもとより多くの国々が加盟し、国際的な交通規則の原則を定めている「道路交通に関する条約(通称・ジュネーブ条約)」には、人間の運転手がいない自動車の公道通行を認めておらず、日本の道路交通法もこれに準じて制定されていますので、仮に、自動走行にかかわる技術開発が実用化の域に達したとしても、法的環境が現状のままでは、公道での自動走行システムの取り入れは事実上不可能であるばかりか、ハンドルやブレーキペダルのない自動車の市販すらも法的には不可能になります。にもかかわらず、先にも紹介したように、「官民ITS構想・ロードマップ2016」には、「2020年までに限定地域での無人自動走行移動サービスを実現する」としていますし、2025年を目途に「完全自動走行システム」の実用化を目指すとも謳っています。2020年まではあと4年、2025年も9年先、いずれもその目標期限はごく直近に迫っています。それ故、「ユーザー・市民の十分な理解と支持等の確保」を図るための取り組みと共に、「ジュネーブ条約」をはじめとする関係法令の改定作業は急務であるはずですが、特に、国際的なコンセンサス・合意が必要となる「ジュネーブ条約」の改定は、残されているわずかの期間を考えると、その改定作業は非常に至難なことと思います。にもかかわらず、自動走行にかかわる技術開発は日進月歩で進化し、ほぼ実用のレベルに達しつつある(※8月18日の新聞各紙の報道によると、アメリカ自動車メーカー大手のフォード・モーターは、2021年までに完全に無人で走る車の量産を始めると発表、また、トヨタ自動車など日系企業も同時期の実用化を目指している)、その現状にきわめて大きな「片輪走行」の危惧を感じざるを得ないのです。
★仮に、ユーザー・市民の十分な理解と支持等がないままに、また、「ジュネーブ条約」等の法的環境も急ごしらえで、その場しのぎの不十分な形で名目的な整備がなされたとしても、「完全自動走行システム化」が世界の道路交通のすべてにおいて同時期的に実現されるというのであれば、ユーザー・市民の理解等の社会受容性や法的環境整備等の残された課題も「後追い」で整えていくことでも解決可能かもしれませんが、ドライバーのすべてが「完全自動走行車」を歓迎・選択するとは思われませんし、少なくとも、かなりの長期間にわたって、既存の自動車と「自動走行車」が混在することになるはずです。それを考えれば、ユーザー・市民の理解等の社会受容性や法的環境整備上の課題をきちんと解決しないままに、いわば「見切り発車」で、公道での「自動走行車」の導入を進めることは断じて許されることではないと考えます。そもそも、「自動走行車」の最大のメリットは、交通事故防止に大きく寄与する可能性があることですが、「見切り発車」での既存の自動車と「自動走行車」の混在は、新たな交通事故発生の大きな要因になると危惧されるからです。220816

 

【2016年7月29日更新】

■「自動運転」車開発の現状と課題を考える・・・

★7月2日の新聞報道等によると、AP通信等のアメリカのメディアによる報道として、アメリカで「自動運転」による車で初めての死亡事故が発生したことが報じられました。事故は5月7日にフロリダ州で発生したもので、アメリカの電気自動車(EV)メーカーのテスラ・モーターズの「モデルS」(2015年製)が高速道路を「自動運転」で走行中、側道から「自動運転」車の前方を横切るようにして進入してきた大型トレーラーと衝突し、「自動運転」車の運転者が死亡したというもので、テスラ・モーターズによると、当日は日差しが強く、トレーラー車体の白い色を「自動運転」機能のセンサーや運転者が感知できず、ブレーキが作動しなかった可能性があるとしているほか、「自動運転」機能の「人工知能」(AI)がトレーラーの下をくぐり抜けられると判断した可能性もあるとの見方も出ており、いまのところ、事故と「自動運転」機能との関係は明らかになっていませんが、事故原因の調査を始めたアメリカ高速道路交通安全局(NHTSA)は、「(調査着手は、「自動運転」機能に)欠陥があるともないとも解釈されるべきではない」としていますが、調査の結果、安全性に問題があると判断すればリコールの実施を求める構えだと伝えられています。
★また、7月8日の朝日新聞では、この事故の原因調査に乗り出したアメリカ高速道路交通安全局(NHTSA)が7月6日、別のテスラ車による事故についても調査を始めたことを報じており、ロイター通信等によるとして、この事故は7月1日にペンシルべニア州の高速道路で、テスラ社のスポーツ用多目的車(SUV)「モデルX」が走行中にガードレールに衝突し、反動で中央分離帯に突っ込んで横転して運転者ら2人が負傷したという事故だそうで、運転者は警察に「自動走行を使っていた」と話しているが、テスラ社では、「自動走行が使われていたかは不明で、事故の原因と信じる理由はない」としています。しかし、5月7日にフロリダ州で発生した事故の直後には、「約2億1,000万キロの走行実績がある中で初めての死亡事故で、『自動運転』車は手動(車)より安全性が高い」、としていましたが、6月30日の公式ブログでは「(自動運転機能は)改善しているが、完ぺきではない。運転者の注意が必要だ」と、自動運転機能に限界があることを認めてもいます。なお、テスラ社が日本で販売している「モデルS」車にも、この1月から国土交通省の許可を得て、アメリカ国内で実用化されているのと同様の機能の「自動走行機能」を搭載しており、日本国内ではアメリカ国内のような事故や不具合は報告されていない、としています。
★しかし、7月7日の新聞報道等によると、警察庁への取材結果として、メーカーは不明ですが、自動運転機能を搭載した車による事故が昨年12月以降、国内で少なくとも2件発生していることが判明したと報じています。いずれの事故も、自動運転機能の欠陥が原因と目されるものではなく、自動運転機能を過信した結果の事故だということで、その一つは、前を走っている車との車間距離を自動的に調整する「車間距離制御装置(ACC)」を搭載した乗用車が高速道路を走行中、自然渋滞で止まっていた車に追突し、被追突車の運転者が軽傷を負ったもので、事故を起こした車の運転者は当時、車内のテレビを見ており、前車に近づきすぎた自車は「車間距離制御装置」が作動し、警告音が鳴ったので、ブレーキを踏んだが間に合わなかった結果の事故で、警察には「自動運転機能を過信していた」という趣旨の供述をしているとのことです。もう1件の事故は、今年6月に、信号待ちで停止していた前車に追突した物損事故で、事故を起こした車の運転者は前車に気づいていたが、「自動ブレーキで止まるもの」と思い込み、直前までブレーキ操作をしなかった結果の事故です。
★これら一連の「自動運転」車による事故の発生を受けて警察庁は、国土交通省と共同して「自動運転」機能の利用について運転者に対する注意喚起を実施することとし、7月6日、都道府県警察の交通安全教育に次の資料を活用するよう通達するとともに、同庁のウェブサイトにも掲載したほか、日本自動車工業会など業界団体に対しても、販売時に顧客への説明を尽くすよう求めたということです。ちなみに、警察庁が交通安全教育に活用するよう通達した資料の概要を紹介しておきましょう。すなわち、【現在実用化されている「自動運転」機能は、完全な自動運転ではありません】〈5月に米国において事故が発生したテスラの「オートパイロット」機能を含め、現在実用化されている「自動運転」機能は、運転者が責任を持って安全運転を行うことを前提とした「運転支援技術」であり、運転者に代わって車が責任を持って安全運転を行う、完全な自動運転ではありません〉・・・略・・・、このため、運転者は、その機能の限界や注意点を正しく理解し、機能を過信せず、責任を持って安全運転を行う必要があります。・・・略・・・、お手持ちの車について不明点がある場合や、車を購入される際には、ディーラー等において、その運転支援技術の機能や注意点について、ご確認ください。〈参考1〉テスラ社製の自動車に搭載された「オートパイロット」機能は、通常の車と同様、運転者が前方・周囲を監視しながら安全運転を行うことを前提に、車線維持支援、車線変更支援、自動ブレーキ等を行う機能に過ぎません。また、天候や周囲の交通の状況等によっては、これら機能が適切に作動しなくなることや、作動を突然停止することがあります。したがって、運転者が、「オートパイロット」機能を使用中に注意を怠ることは、極めて危険です。また、万が一事故が発生した場合には、原則として運転者がその責任を負うこととなります。・・・略・・・
★以上が警察庁の通達内容の概要ですが、問題の「自動運転」のより高度な技術と実用化に向けた開発競争は、アメリカ、日本、欧州等で、大手自動車メーカーばかりではなく、テスラ社などの電気自動車メーカーのほか、グーグルなどのIT企業も参入し、日増しに激化しています。しかし、このたびのアメリカでの「自動運転」による車で初めての死亡事故など関連事故の続発を受けて消費者の自動運転技術に対する不安が高まれば、加速されつつある自動運転技術の開発競争にブレーキがかかる可能性もありますので、テスラ車の事故の調査結果などが大いに注目されますが、問題は、何も「技術の安全性や信頼性」ばかりではありません。以下では、そもそも「自動運転」車とは何か、その技術開発の現状はどうなっているのかを紹介しつつ、「自動運転」車の開発と実用化に伴う問題点について考えてみようと思います。
★まず、上記に紹介した、7月6日付の警察庁の都道府県警察に対する通達にも、〈参考2〉として「安全運転支援システム・自動走行システムの定義」の概要が紹介されていますが、改めて、「自動運転」車の定義について、それを国を挙げて推進するため内閣府に設置されている「高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(IT戦略本部)」が今年平成28年5月20日に公表した「官民ITS構想・ロードマップ2016」に基づいて紹介します。まず、ITSというのは、Intelligent Transport Systems、つまり、「高度道路交通システム」のことで、「官民ITS構想」というのは、我が国の最大の輸出産業である自動車業界をめぐる大きく世界的なイノベーション(技術革新)の流れに対し、社会全体として適応し、「世界一のITSを構築・維持し、日本・世界に貢献する」ことを目標にして、具体的には、2025年ころまでには完全な「自動走行システム」と「無人自動走行による移動サービス」の実現を図ろうとするものですが、この「ロードマップ2016」の中で、「自動走行システム等の定義」が記載されています。それによると、まず、「安全運転支援システム・自動走行システム」は4段階に分かれて定義されており、その「レベル1」は「単独型」とされ、「加速(アクセル)・操舵(ハンドル)・制動(ブレーキ)のいずれかの操作をシステムが行う状態」で、安全運転の責任はすべてドライバーにあるとされています。次の「レベル2」は「システムの複合化」段階とされ、「加速(アクセル)・操舵(ハンドル)・制動(ブレーキ)のうち複数の操作を一度にシステムが行う状態」で、ドライバーはシステムの作動状況を監視する義務および常時、自ら安全運転を保つことができる態勢(たとえば、進路の異常が出たら直ちにハンドルを操作して進路を正しく修正したり、ブレーキを踏んで減速・停止したりできる態勢)でいる義務があり、「準自動走行システム」とも言われています。ちなみに、初の死亡事故を起こしたテスラ車の「オートパイロット」機能は、この「レベル2」に相当する「準自動パイロット」機能で、高速道路での自動走行モード機能(入口ランプウェイから出口ランプウェイまでの間の合流、車線変更、車線・車間距離の維持、分流など)を有するシステムです。次にその上の「レベル3」は「加速(アクセル)・操舵(ハンドル)・制動(ブレーキ)のすべてをシステムが行い、システムが要請したときのみドライバーが対応する状態」で、「システムの高度化」段階と称され、高速道路以外の一定の条件下にある一般道でも自動走行モード機能が作動するもので、自動走行モード中の安全運転は基本的にシステムの責任となりますが、その責任内容や範囲は今後の検討課題となっており、「レベル2」の「準自動パイロット」の段階を超えた「自動パイロット」レベルとなります。そして、「レベル4」は文字通り「完全自動走行」の段階で、「加速(アクセル)・操舵(ハンドル)・制動(ブレーキ)をすべてシステムが行い、ドライバーが全く関与しない状態」とされ、車内にはドライバーが存在せず、車外(遠隔)のドライバーに相当する者を含む自動走行システムによる移動サービス、または、専用の(道路)空間において行う無人自動走行システムによる移動サービスの段階で、その安全運転はすべての行程でシステムの責任となるとされていますが、それに伴う法的整備等は、やはり、今後の検討課題になっています。
★また、「官民ITS構想・ロードマップ2016」には、「自動走行システムの市場化・サービス実現期待時期」が、「今後、海外等における自動走行システムの開発動向を含む国内外の産業・技術動向を踏まえて、見直しをする」との注釈を加えてはいますが具体的に明記されています。それによると、まず、(1)として、「レベル2」の中で高度な自動走行システムであり、「レベル3」に向けたステップとなる「準自動パイロット」を、2020年までに市場化し、(2)遠隔型や専用空間における自動走行システム等による「無人自動走行移動サービス」を、2020年までに限定地域においてサービス提供開始するとして、「これらのシステムに関し、市場化期待時期のみの観点から世界一を目指すだけではなく、産業競争力の強化や、自動走行システムの普及の観点からも、取り組むことが重要である」「また、これらのシステムについては、2020年までの市場化、サービスの実現を達成するため、2017年を目途に本格実証を行うとともに、その後、2025年目途での自動走行車・サービスの普及拡大への道筋を描くことを念頭におく。その際、上記(1)と(2)の2つの自動走行システムのいずれも、将来的には、完全自動走行が可能な車(ドライバーが運転を楽しむことも可能な車を含む)に近づくことを念頭においたものであることを踏まえ、両アプローチに係る制度面の検討に当たっては、常に整合性を確保しつつ行うものとする」と記されています。
★さらにまた、「自動走行・安全運転支援システムの市場化等に向けた取組」として、「2017年から18年にかけて関係機関と連携しつつ、『準自動パイロット』の自動走行システムの大規模社会実証(実験)に取り組み、さらに、当面2020年目途を想定し、自動走行モード中はシステム責任とする『自動パイロット』(セカンドタスク、つまり、運転操作以外の作業が可能)の市販化が可能となるよう、制度面等の調査・検討を開始する」とし、またさらに、「限定地域での無人自動走行による移動サービス」として、「2017年目途までに、特区制度の活用等も念頭に、過疎地等での無人自動走行による移動サービスに係る公道実証を実現する。その後、公道実証の結果等を踏まえ、安全性を確保しつつ、規制の逐次見直しを進め、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会での移動サービスの実現を目指す」ということも明確に記されています。以上、「ロードマップ2016」に記されている「ITS構想―自動走行パイロット(自動走行車)」の実現に向けての計画目途の概要を紹介しましたが、雑記子の立場では、「うかつであった」という謗りが免れないとも言えますが、あえて弁解すれば、確かに、新聞等のマスコミ・メディアでも、時折は、「ITS構想―自動走行パイロット(自動走行車)化」に向けての動きが報道され、国の「IT戦略本部」では「官民ITS構想・ロードマップ」も作成され、インターネット等で入手することも可能ではありますが、マスコミ・メディアでも、その詳細は報道されず、多くの一般市民はその動きをほとんど知らないでいる、また、「ITS構想」自体は知ってはいるが、その実現はまだ遠い将来のこと・・・というレベルにとどまっているのが実態だと思います。しかし、以上に紹介したように、多くの一般市民はもちろん、雑記子のような立場の者ですら十分に承知せぬ間に、猛スピードで、「ITS構想―自動走行パイロット(自動走行車)化」が、国(官民)を挙げて推し進められている、この事実に改めて驚きを禁じ得ません。
★「官民ITS構想・ロードマップ2016」では、確かに、「公道実証の結果等を踏まえ、安全性を確保しつつ、無人自動走行による移動サービスの実現を目指す」とは記していますが、事は多くの一般国民・市民の生活に直接的に係る問題であり、かつ、道路交通にとっては「大革命」と言っても表現しきれないほどの変革の実現が差し迫っているのです。しかし、その一方で、「安全運転支援システム・自動走行システム」の「レベル1」または「レベル2」の初歩段階に過ぎないはずの「衝突被害軽減ブレーキ」でしかない機能が、「自動ブレーキ」や「ぶつからないクルマ」としてコマーシャルされ、JAF(日本自動車連盟)が、今年2月、全国約3万6千人のドライバーを対象に行った調査では、「自動ブレーキ」の名称を知っている者は81%にも及んだが、「その機能や効果まで知っている」と答えたのは50%、「装置が作動しない条件も知っている」は25%にとどまり、そのうえ、「前方の車や障害物などに対し、車が自動的にブレーキをかけて停止してくれる装置」と誤解している者が40%もいた―という結果からしても、「ITS構想―自動走行パイロット(自動走行車)化」やその「ロードマップ」等の詳細は、もっと積極的に多くの一般国民・市民に周知する手立てを講じ、その周知徹底を図り、また、多くの国民・市民の理解と賛同を得つつ進行することが必要不可欠ではないか、という思いを強く感じることを、まず問題点の一つとして記しておきたいと思います。(次回に続く) 290716

 

【2016年6月20日更新】

■第10次「交通安全基本計画」を点検する・・・ No.3

★前回、前々回の2回にわたって、第10次の「交通安全基本計画」について、5年前の第9次の「交通安全基本計画」と比較しながら紹介し、その問題点等を検証してきました。前回、前々回でも紹介しましたが、念のため、「交通安全基本計画」というのは、今から40数年前の昭和45年(1970年)6月に施行された「交通安全対策基本法」の規定に従って、内閣総理大臣を会長とし、内閣官房長官や指定行政機関の長らを委員として構成される「中央交通安全対策会議」が5年ごとに策定する「交通の安全に関する総合的かつ長期的な施策の大綱」で、道路交通のみならず、鉄道交通、海上交通、航空交通の安全の施策も網羅された文字通りの「大綱」で、今年、平成28年3月11日付で策定された「基本計画」は、平成28年度から平成32年度までの5年間に実施しようとする施策の大綱となる第10次の「交通安全基本計画」となります。本稿では、前回、前々回同様、道路交通のみに限って、過去2回の「雑記」で記述しきれなかった部分を紹介しつつ、問題点等を検証していくこととします。
★第10次の「交通安全基本計画」は、「第1部 陸上交通の安全」、「第2部 海上交通の安全」、「第3部 航空交通の安全」の3部からなり、「第1部 陸上交通の安全」は、「第1章 道路交通の安全」と「第2章 鉄道交通の安全」、「第3章 踏切道における交通の安全」の3章で構成され、本稿がテーマとしている「第1章 道路交通の安全」は、「第1節 道路交通事故のない社会を目指して」、「第2節 道路交通の安全についての目標」、「第3節 道路交通の安全についての対策」、以上の3節で構成されています。前回、前々回でも紹介しましたが、こうした構成は、第9次の「基本計画」でもまったく同様で、前回には「第3節 道路交通の安全についての対策」の「1 今後の道路交通安全対策を考える視点」の「1、交通事故による被害を減らすために重点的に対応すべき対象」の項まで、「第9次基本計画」と比較しながら、その概要を紹介しつつ、問題点等を検証してきましたので、本稿では、「第3節 道路交通の安全についての対策」の「1 今後の道路交通安全対策を考える視点」の「2、交通事故が起きにくい環境をつくるために重視すべき事項」以下の概要を紹介しつつ、問題点等を検証していくこととします。
★前回にも紹介したように、「第3節 道路交通の安全についての対策」の「1 今後の道路交通安全対策を考える視点」の「2、交通事故が起きにくい環境をつくるために重視すべき事項」(※アンダーラインは「雑記子」記入)は、第9次以前にはなかった新たな項目で、(1)先端技術の活用推進、(2)交通実態等を踏まえたきめ細かな対策の推進、(3)地域ぐるみの交通安全対策の推進、という3つの項目を掲げて記述しています。そして、前回には、「基本計画」は、5年ごとに策定される「交通の安全に関する総合的かつ長期的な施策の大綱」ですが、にもかかわらず、「基本計画」を詳細に検証すればするほど、少なくとも、第9次と第10次の比較検証では、ほぼ同様の構成・内容で、5年間の時間経過や対策の進捗状況等を踏まえた進展・進化が認められず、その策定作業は、結局、「机上の作文作業」に終わっているのではないか・・・、という疑念を持たざるを得ない、という結論をもって結びましたが、以下に紹介・検証する「交通事故が起きにくい環境をつくるために重視すべき事項」のように、第10次「基本計画」で新たに付け加えられた項目(対策)もわずかながらもある、ということを付け加え、補足釈明しておきますが、問題は、そのせっかくの新たな項目(対策)も、「机上の作文作業」に終わっているのではないか・・・ということです。そこで、本稿では、まず、「第9次基本計画」にはなく、「第10次基本計画」における第3節の「1 今後の道路交通安全対策を考える視点」の2として新たに「交通事故が起きにくい環境をつくるために重視すべき事項」という項目が加えられましたが、その具体的項目の概要を紹介しながら、問題点等を検証してみます。
★先にも紹介したように、「2、交通事故が起きにくい環境をつくるために重視すべき事項」には、(1)先端技術の活用推進、(2)交通実態等を踏まえたきめ細かな対策の推進、(3)地域ぐるみの交通安全対策の推進、という3つの項目が掲げられていますが、まず、(1)の「先端技術の活用推進」では、「運転者の不注意による交通事故や、高齢運転者の身体機能等の低下に伴う交通事故への対策として、運転者の危険認知の遅れや運転操作の誤りによる事故を未然に防止するための安全運転を支援するシステムや、交通事故が発生した場合にいち早く救助・救急を行えるシステムなど、技術発展を踏まえたシステムを導入推進していく。」としていますが、少なくとも、「雑記子」には、「(新)システムの導入推進」の具体像や推進過程を思い描くことができず、確かに新しい視点ではありますが、実施すべき対策としては具現化されておらず、結局、新しい視点を表記しただけの「机上の作文作業」にとどまっているように思えてなりません。ただ、安全運転の支援システムや、救助・救急システムの高度化といった科学技術は、いわば、必然的に進歩・向上するものですし、実際、様々な新技術が自動車の生産現場や救助・救急の現場で逐次取り入れられており、事故の未然防止や事故時の被害軽減に役立てられ、今後もそうした動きが加速されていくことだろうと思いますが、問題は、国の施策として、どのように具現化するのか、それが示されなければ「基本計画」上の施策ということにはならない、と思うのです。なおまた、安全運転の支援システムの技術革新に関しては、かねてから、気がかりになっている問題点がありますので、それもつけ加えておきましょう。先にも紹介したように、この「安全運転の支援システム」というのは、「運転者の不注意による交通事故」を未然に防止するための支援システムですが、いわゆる「IT」等の先進的技術革新によって、「運転者の危険認知の遅れや運転操作の誤りによる事故」を防ぐシステム技術そのものは間違いなく進化していくことと思いますが、「運転者の不注意」そのものの科学的解明が十分に解明されているとは思えない実情の下では、「IT」等による先進的技術システムも、その機能が十分に発揮されないおそれがある、ということです。つまり、「IT」等による先進的技術の開発・導入もさることながら、運転者の「不注意」による交通事故の科学的解明こそ、最優先の課題だと考えるものですが、その点に関してはまったく触れられていないことに、この「先端技術の活用推進」という取組事項の危うさを感じるのです。また、同様の危惧は、「交通事故が起きにくい環境をつくるために重視すべき事項」の(2)、「交通実態等を踏まえたきめ細かな対策の推進」という取組事項の記述にも感じます。
★すなわち、「第10次基本計画」における第3節の「1 今後の道路交通安全対策を考える視点」の2として新たに加えられた「交通事故が起きにくい環境をつくるために重視すべき事項」の(2)には、「交通実態等を踏まえたきめ細かな対策の推進」として、「安全運転義務違反に起因する死亡事故は、依然として多く、近年、相対的にその割合は高くなっている。このため、これまでの対策では抑止が困難であるこの種の交通事故について、発生地域、場所、形態等を詳細な情報に基づき分析し、よりきめ細かな対策を効果的かつ効率的に実施していくことにより、当該交通事故の減少を図っていく。」(※アンダーライン部分は雑記子が補足)としていますが、「安全運転義務違反に起因する(死亡)事故」というのは、その圧倒的多数が、いわゆる「運転者の不注意」による事故と同義といってもよい実情にありますので、「発生地域、場所、形態等の詳細な情報に基づいて分析」したところで、「不注意」の科学的実相を解明するにはきわめて不十分です。なぜなら、「不注意」は、事故の「発生地域、場所、形態等」にも関わりを有することは否定できませんが、運転者たる人間の心理・行動そのものの科学的解明こそが本筋であり、そうした本筋での調査・研究により「不注意」の科学的実相が解明されない限り、事故の真因は把握できず、結果、「効果的かつ効率的な対策」を打ち出すことができないと思うのです。つまり、キーワードは、いずれも「運転者の不注意」であり、この科学的解明への取り組みが明記されていない「先端技術の活用推進」も、「交通実態等を踏まえたきめ細かな対策の推進」も、結局は、「交通事故が起きにくい環境をつくるため」の対策とはなり得ず、「机上の作文作業」にすぎないのでは・・・という懸念がぬぐえないのです。
★次に、「第10次基本計画」における第3節の「1 今後の道路交通安全対策を考える視点」の2として新たに加えられた「交通事故が起きにくい環境をつくるために重視すべき事項」として掲げられた事項の最後、(3)の「地域ぐるみの交通安全対策の推進」を紹介し、それにかかわる上記とは別の問題点を述べてみます。まず、当該、「(3)地域ぐるみの交通安全対策の推進」に記されている全文を紹介してみます。すなわち、「交通事故の発生場所や発生形態など事故特性に応じた対策を実施していくためにも、インターネット等を通じた交通事故情報の提供に努めるなど、これまで以上に地域住民に交通安全対策に関心を持ってもらい、当該地域における安全安心な交通社会の形成に、自らの問題として積極的に参加してもらうなど、国民主体の意識を醸成していく。(ことが必要である。)また、安全な交通環境の実現のためには、交通社会の主体となる運転者、歩行者等の意識や行動を周囲・側面からサポートしていく社会システム(の構築が必要であり、それ)を、都道府県、市区町村等それぞれの地域における交通情勢を踏まえ、行政、関係団体、住民等の協働により形成していく。(また、)各自治体で取り組んでいる飲酒運転対策、自転車の交通安全対策などについては、他の地域における施策実施に当たっての参考となるよう、条例の制定状況等を含め、積極的な情報共有を図っていく。(条例の制定状況等を含め、関連する情報を積極的に発信し、その共有を図っていく。)」というものですが、「雑記子」が敢えて挿入した(書き換えた)、( )内のアンダーライン部分がなければ、修飾関係が不明瞭で、作文としても落第点となる稚拙な悪文で、誰が「都道府県、市区町村等それぞれの地域における交通情勢を踏まえ」るのか、「行政、関係団体、住民等」の誰がリーダーシップを取り、どのようにして「協働」していくのか、責任所在等が不明で、結局は、「基本計画」の策定は「机上の作文作業」にすぎないことを証拠だてていると思うのです。そして、何よりも問題なのは、「地域ぐるみの交通安全対策」を、国がどのようにバックアップ、サポートして推進していくのか、それがまったく示されていないことです。
★そもそも、「交通安全基本計画」というのは、冒頭にも記したように、「交通安全対策基本法」(昭和45年・1970年6月施行)の規定に従って、内閣総理大臣を会長とし、内閣官房長官や指定行政機関の長らを委員として構成される「中央交通安全対策会議」が、「国民の生命、身体及び財産を保護する使命を有することにかんがみ」、5年ごとに策定する「交通の安全に関する総合的かつ長期的な施策の大綱」であり、当然ながら、国は、この「大綱」に掲げられた諸施策を「実施する責務を有する」ことも、「交通安全対策基本法」に明記されています。もちろん、国のみならず都道府県や市町村も中央交通安全対策会議が策定した「交通安全基本計画」に基づき、都道府県や市町村レベルにおける「基本計画」を策定し、実施する責務を有していますが、都道府県や市町村での「基本計画」の策定、実施を促進するためにも、まず、国が果たすべき施策を明確にし、かつ、都道府県や市町村レベルで実施すべき施策を促進するためのバックアップ、サポート策も明確化し、具体的に打ち出すことが必要不可欠だと考えますが、それら施策や責務の分担等があいまいになっていることが「交通安全基本計画」の最大の問題点だということを指摘しているのです。
★ちなみに、「地域ぐるみの交通安全対策の推進」は、交通事故防止のためにはもちろん、「交通事故が起きにくい環境をつくるために重視すべき事項」としても必須事項であることに異議はありませんし、また、それを為し遂げていくために「行政、関係団体、住民等の協働」が必要不可欠であることにも異論はありませんが、その「協働」のリーダーシップは、「交通安全対策基本法」の意図する精神・目的からして、最終的には市区町村という自治体が単位になると思いますし、事実、かつては全国のほぼすべての市区町村役場に、その地域における交通安全(活動)を推進するための専任担当者がおかれていたものですが、現在は、市区町村財政の悪化や人口減少・高齢化、そして、問題の交通事故(死)が、ともかくもこの10年余にわたって大幅な減少傾向をたどってきたことなどが相まってか、交通安全(活動)を推進するための専任担当者がおかれている市区町村役場はほとんどないというのが実情であり、また、市区町村レベルにおける行政にとって交通安全対策は二の次、三の次の課題にすぎなくなっているというのが実態だと思います。それだけに、「地域ぐるみの交通安全対策の推進」を図るためには、まず、「中央交通安全対策会議」が策定した「基本計画」において、国が「地域ぐるみの交通安全対策」を推進するために、都道府県等地方自治体にどのようなバックアップ、サポート策を為すのかを具体的に明示し、国、都道府県、市区町村それぞれが果たすべき責務や役割分担等を明確化しない限り、「地域ぐるみの交通安全対策の推進」は、単にスローガンを掲げたにすぎないものになると危惧するのです。
★以上、今回の「雑記」では、第10次の「交通安全基本計画」の第3節の「1 今後の道路交通安全対策を考える視点」の2として新たに加えられた「交通事故が起きにくい環境をつくるために重視すべき事項」を紹介しつつ、その問題点等を検証しました。次回には、「基本計画」の第3節「道路交通の安全についての対策」の要ともいえる「2 講じようとする施策」の概要を紹介し、問題点等を検証していくこととします。200616

 

【2016年5月24日更新】

■第10次「交通安全基本計画」を点検する・・・ No.2

★前回の「雑記」は、内閣総理大臣を会長とし、内閣官房長官や指定行政機関の長らを委員として構成される「中央交通安全対策会議」が今年平成28年3月11日付で策定した第10次の「交通安全基本計画」について、その概要等について記述しました。しかし、冒頭で、4月14日に発生した熊本地震に触れた関係上、第10次の「交通安全基本計画」については、その概要と、一、二の基本的問題点の指摘のみにとどまりましたので、今回の「雑記」でも、前回に引き続き第10次の「交通安全基本計画」をテーマとすることにします。
★前回でも紹介しましたが、「交通安全基本計画」は、今から40数年前の昭和45年(1970年)6月に施行された「交通安全対策基本法」の規定に従って「中央交通安全対策会議」が5年ごとに策定する「交通の安全に関する総合的かつ長期的な施策の大綱」で、道路交通のみならず、鉄道交通、海上交通、航空交通の安全の施策も網羅された文字通りの「大綱」で、今年、平成28年3月11日付で策定された「基本計画」は、平成28年度から平成32年度までの5年間に実施しようとする施策の大綱となる第10次の「交通安全基本計画」となりますが、本稿では、前回同様、道路交通のみに限って、その概要や問題点等を検証していくこととします。
★前回には紹介しきれませんでしたが、第10次の「交通安全基本計画」の「第1部 陸上交通の安全」の第1章が「道路交通の安全」となっており、その第1章は、「第1節 道路交通事故のない社会を目指して」、「第2節 道路交通の安全についての目標」、「第3節 道路交通の安全についての対策」、以上の3節で構成されており、こうした構成は、「第9次基本計画」でもまったく同様ですので、以下では、「第9次基本計画」と比較しながら、問題点等を検証していくこととしますが、「道路交通の安全」の3節についての比較検証に入る前に、前回と多少重複する部分がありますが、まず、「基本計画」の冒頭に掲げられている「計画の基本理念」について紹介、比較検証しておきましょう。
★「計画の基本理念」について、第9次と第10次を比較すると、まず、端的な違いが認められる部分があります。それは、第9次では、いわゆる前書なしに、「交通事故のない社会を目指して」という「小見出し」の下、「…略…。交通安全の確保は、安全で安心な社会の実現を図っていくための重要な要素である。・・・略・・・。(が、しかし、)交通事故のない社会は一朝一夕に実現できるものではないが、交通事故被害者の存在に思いをいたし、交通事故を起こさないという意識の下、悲惨な交通事故の根絶に向けて、今再び、新たな一歩を踏み出さなければならない。」(※アンダーラインおよびアンダーライン上の( )内部分は「雑記子」記入)との記述がありますが、第10次では、まず、前文があり、その後に「交通事故のない社会を目指して」という「小見出し」以下の文が続いている点がその端的な違いです。ちなみに、その前文は以下の通りです。
★すなわち、「交通安全基本計画は、人優先の交通安全思想の下、これまでの9次にわたる取組において、道路交通事故死者数を過去最悪であった時と比べて4分の1以下にまで減少させるなどの成果を上げてきたところである。一方、依然として道路交通事故件数が高い水準で推移していることなどからも、より高い目標を掲げ、今後、なお一層の交通事故の抑止を図っていく必要がある。そのためには、これまで実施してきた各種施策の深化はもちろんのこと、交通安全の確保に資する先端技術を積極的に取り入れた新たな時代おける対策に取り組むことが必要であり、これにより交通事故のない社会の実現への大きな飛躍と世界をリードする交通安全社会を目指す。」というもので、敢えて注釈を入れるとすれば、9次以前の成果を明文化し、「世界をリードする」という、かつてない目標をも明文化したところに斬新さがあるといえるでしょう。しかし、この前文に続く「交通事故のない社会を目指して」という「小見出し」がある部分では、前回でも指摘したように、「交通事故のない社会は一朝一夕に実現できるものではないが、交通事故被害者の存在に思いを致し、交通事故を起こさないという誓いの下、悲惨な交通事故の根絶に向けて、今再び、新たな一歩を踏み出さなければならない。」(※アンダーラインは「雑記子」記入)という結びで終わっており、斬新さはまったく見られないばかりか、第9次とほとんど同様のものになっています。特に、「今再び、新たな一歩・・・」という表現は、5年前の第9次にもまったく同様に記述されており、5年間という時間経過を考慮すると、どの時点から「今再び」なのか、「新たな一歩・・・」というのは5年前に比べ何が新たなのか、まったく理解し難く、結局、「基本計画」の策定作業というのは、単なる机上の「作文作業」に終わっているのではないか、という疑念を禁じ得ません。それだけに、本文ともいえる第1節以下の詳細な比較検証が必要だと思うのです。
★まず、第1節は、第9次、第10次ともに、「道路交通事故のない社会を目指して」という同じ標題になっていますが、第10次では「基本的考え方」という( )書きの副題がついている点に違いが認められます。また、第9次では、平成21年度(2009年度)に実施された「交通安全に関する国民の意識調査(交通安全意識等に関するアンケート調査)」の結果、すなわち、国民の9割近くの人が、道路交通事故をゼロにすべき、あるいは、大幅に減少させるべきであると考えていることを踏まえ、「今後とも、死者数の一層の減少に取り組むことはもちろんのこと、事故そのものの減少についても積極的に取り組む必要がある。」として、特に「歩行者の安全確保」、「地域の実情を踏まえた効果的な施策の推進」、「地域行政、学校、企業・団体等の役割分担と協働」、「交通事故被害者等の参加と協働」などの諸施策(方針)を羅列した一文になっていますが、第10次では、「1、道路交通事故のない社会を目指して」、「2、歩行者の安全確保」、「3、地域の実情を踏まえた施策の推進」、「4、役割分担と連携強化」、「5、交通事故被害者等の参加と協働」の5項目に分け、「道路交通事故のない社会を目指す基本的考え方」が整理されて記述されているという改善も認められるほか、特に「1、道路交通事故のない社会を目指して」の項では、「安全不確認、脇見運転といった安全運転義務違反に起因する死亡事故が依然として多く、相対的にその割合は高くなっている」という交通事故発生の新たな実態が記述されている点にも第9次との違いが認められます。しかし、問題は、ここに掲げられている「道路交通事故のない社会を目指す基本的考え方」が第3節の「道路交通の安全についての対策」、なかでも、第3節の2「講じようとする施策」に掲げられている諸施策に反映され、具体化されているか、ですが、その検証の前に第2節の「道路交通の安全についての目標」の概要を紹介し、第9次との違いや問題点などを検証しておきましょう。
★第10次交通安全基本計画の第1部「陸上交通の安全」の第1章「道路交通の安全」の第2節「道路交通の安全についての目標」は、「1・道路交通事故の現状と今後の見通し」と「2・交通安全基本計画における目標」の2つのパートで構成され、1の第1項である「道路交通事故の現状」では、「交通事故発生件数及び負傷者数は11年連続で減少した。交通事故の死者数については、減少幅が縮小しながらも平成26年(2014年)まで14年連続で減少していたが、平成27年(2015年)には15年ぶりの増加となった。平成27年(2015年)中の死者数は4,117人となり、平成27年までに24時間死者数を3,000人以下とするという第9次交通安全基本計画の目標は遺憾ながら達成するに至らなかった。」とし、「死者数が減りにくい状況となっている背景としては、(1)高齢者人口の増加、(2)シートベルト着用率等の頭打ち、(3)飲酒運転による交通事故件数の下げ止まり、を挙げることができる。特に、高齢化社会が進展していく中、今後も一層の高齢者対策が必要な状況となっている。」との現状認識を示していますが、なぜ、第9次交通安全基本計画の「平成27年までに24時間死者数を3,000人以下とする」という目標が達成できなかったのか、については確たる検証が為されておりません。
★そして、「道路交通事故の見通し」の項では、内閣府の「道路交通安全に関する基本政策等に係る調査」(平成27年3月)によれば、として、平成32年(2020年)における交通事故予測値として、3つの予測手法による予測値を紹介しています。その3つの予測手法による予測値の(1)、タイムトレンドによる分析予測値は、平成32年(2020年)における死者数(明記がないが、多分24時間死者数)は約2,900人から3,000人、死傷者数は約58万人から61万人、(2)の年齢階級別人口の大きさに着目した分析予測値での死者数は約2,500人から3,000人、死傷者数は約51万人から57万人、(3)の世代毎の事故率に着目する方法による予測値での死者数は約3,400人から3,600人、死傷者数は約60万人から61万人となっており、いずれの予測値でも死者数は2,500人を下回ってはいませんし、死傷者数も50万人以下の予測値はありません。にもかかわらず、第10次交通安全基本計画の第1部「陸上交通の安全」の第1章「道路交通の安全」の第2節「道路交通の安全についての目標」の「2・交通安全基本計画における目標」においては、(1)平成32年(2020年)までに24時間死者数を2,500人以下とし、世界一安全な道路交通を実現する、(2)平成32年までに死傷者数を50万人以下にする、という目標を掲げています。果たして、この目標は達成可能なのかは、ひとえに今後5年間で「講じようとする施策」の実施状況如何によると思いますので、以下では、第10次交通安全基本計画の第1部「陸上交通の安全」の第1章「道路交通の安全」の第3節「道路交通の安全についての対策」にはどのような施策が掲げられ、それらの施策をどのようにして、どれだけ実施しようとしているのかを検証していくこととします。
★第10次交通安全基本計画の第1部「陸上交通の安全」の第1章「道路交通の安全」の第3節「道路交通の安全についての対策」は、「講じようとする施策」を具体的に掲げているパートであることからして、「交通の安全に関する総合的かつ長期的な施策の大綱」である「基本計画」の中枢をなす部分であるといえますが、まず、第9次と第10次のその部分を一瞥して比較すると、「見出し」の立て方に違いがあることに気づきます。第9次の第3節「道路交通の安全についての対策」の構成は、1(今後の道路交通安全対策を考える視点)と2(講じようとする施策)の2つのパートに分かれており、この点では第10次も同様ですが、第9次では、1の「今後の道路交通安全対策を考える視点」の記述は、前文に続いて、1・高齢者及び子どもの安全確保、2・歩行者及び自転車の安全確保、3・生活道路及び幹線道路における安全確保、という「重視して対策の推進を図る」3つの項目に分かれた記述になっていますが、第10次では1の「今後の道路交通安全対策を考える視点」は、第9次とほぼ同様の前文の後、「1、交通事故による被害を減らすために重点的に対応すべき対象」と、「2、交通事故が起きにくい環境をつくるために重視すべき事項」という新たな項目が立てられ、「1、交通事故による被害を減らすために重点的に対応すべき対象」は、(1)高齢者及び子供の安全確保、(2)歩行者及び自転車の安全確保、(3)生活道路における安全確保、以上の3つの項目に分けられ、また、第9次にはなかった「2、交通事故が起きにくい環境をつくるために重視すべき事項」では、(1)先端技術の活用推進、(2)交通実態等を踏まえたきめ細かな対策の推進、(3)地域ぐるみの交通安全対策の推進という3つの「小見出し」が立てられ、それぞれに詳述が付けられています。
★以上、第10次交通安全基本計画の第1部「陸上交通の安全」の第1章「道路交通の安全」の第3節「道路交通の安全についての対策」について、一瞥して解る第9次との違いを紹介しましたが、概括すると、確かに、記述方法は判読しやすく改善されたといえますが、その中身は、第9次とあまり代わり映えがしないというのが率直な感想です。まず、「1 今後の道路交通安全対策を考える視点」では、前提となる交通事故の情勢認識は、5年の時間経過があることからして当然ではありますが、第9次のそれと確かに異なっていますが、肝心の今後の対応の「視点」に関しては、第9次と第10次のその部分に一字一句の違いも認められません。すなわち、「従来の交通安全対策を基本としつつ、経済社会情勢、交通情勢の変化等に対応し、また、実際に発生した交通事故に関する情報の収集、分析を充実し、より効果的な対策への改善を図るとともに、有効性が見込まれる新たな対策を推進する。対策の実施に当たっては、可能な限り、対策ごとの目標を設定するとともに、その実施後において効果評価を行い、必要に応じて改善していくことも必要である。」というもので、繰り返しになりますが、第9次と第10次のその部分には一字一句の違いも認められません。普遍的なことだから・・・、といえばそれまでですが、5年という時間経過があり、交通情勢等の変化もあるはずです。ちなみに、「視点」の前提として記述されている交通事故等の情勢認識を記述した冒頭部を紹介し、比較検討してみます。
★まず、第9次では、「近年、道路交通事故の発生件数並びに道路交通事故による死者数及び死傷者数が減少していることにかんがみると、これまでの交通安全基本計画に基づき実施されてきた対策には一定の効果があったものと考えられる。」として、割に簡単な情勢認識を記述後、「このため、従来の交通安全対策を基本としつつ、経済社会情勢」うんぬん・・・以下の、先に紹介した「今後の対応の視点」にかかわる記述に入っています。これに対し、第10次では、第9次と同様「近年、道路交通事故の発生件数並びに道路交通事故による死者数及び死傷者数が減少していることに鑑みると、これまでの交通安全基本計画に基づき実施されてきた対策には一定の効果があったものと考えられる。」と記述した後、「一方で、高齢者の人口の増加等により、交通事故死者数の減少幅は縮小傾向にある中、平成27年中の交通事故死者数は15年ぶりの増加となった。また、近年、安全不確認、脇見運転、動静不注視等の安全運転義務違反に起因する死亡事故が依然として多く、相対的にその割合は高くなっている。また、スマートフォン等の普及に伴い、運転中や歩行中、自転車乗車中の操作による危険性も指摘されている。」という、第9次にはなかった情勢認識を記述した後に、「このため、」として、第9次と一字一句の違いもない「従来の交通安全対策を基本としつつ、経済社会情勢」うんぬん・・・以下の記述に入っています。つまり、「今後の道路交通安全対策を考える視点」の前提となる交通事故の情勢認識には、第9次と第10次とで明らかな違いが認められるわけですから、「今後の対応」にも、少なくとも何らかの進展をうかがわせる記述の変化があって然るべきだと思いますが、それがまったく認められないのです。
★ただ、先にも紹介したように、第10次の「基本計画」の第1部「陸上交通の安全」の第1章「道路交通の安全」の第3節「道路交通の安全についての対策」の「1、今後の道路交通安全対策を考える視点」は、第9次のそれといささか異なって「1、交通事故による被害を減らすために重点的に対応すべき対象」と、「2、交通事故が起きにくい環境をつくるために重視すべき事項」という新たな2項目の「見出し」が立てられ、少なくとも、「視点」が端的に理解できる記述方法に改善がみられることは評価できると思いますが、その「1、交通事故による被害を減らすために重点的に対応すべき対象」をみると、(1)高齢者及び子供の安全確保、(2)歩行者及び自転車の安全確保、(3)生活道路における安全確保、の3点が掲げられており、第9次では「生活道路及び幹線道路における安全確保」とあったものが、第10次では、なぜか「幹線道路」の字句が削除されている点を除けば、第9次とほぼ同様といえますし、それらの具体的記述内容も「高齢者の事故が居住地の近くで発生することが多いことから、生活に密着した交通安全活動を充実させることが重要である」、「通学路等において歩道等の歩行区間の整備を積極的に推進する必要がある」、「生活道路や市街地の幹線道路において、自動車や歩行者と自転車利用者の共存を図ることができるよう、自転車の走行空間の確保を積極的に進める必要がある」、「生活道路における交通の安全を確保するための対策を総合的なまちづくりの中で一層推進する必要がある」など、第9次とほとんど同様の記述で終始しており、交通事故や経済社会情勢の変化等、5年間の時間経過や対策の進捗状況等を踏まえた進展・進化はいささかも認められません。だからこそ、何度も繰り返し紹介してきたように、「基本計画」は、5年ごとに策定される「交通の安全に関する総合的かつ長期的な施策の大綱」ですが、それにもかかわらず、「基本計画」を詳細に検証すればするほど、その策定作業は、結局、「机上の作文作業」に終わっているのではないか・・・、という疑念を持たざるを得ないのです。(次回に続く) 240516 

 

【2016年4月28日更新】

■第10次「交通安全基本計画」を点検する・・・

★かの東日本大震災から5年目を迎えた今年、またまた、日本列島は未曾有の大災害に襲われました。4月14日午後9時26分ごろ、熊本県の益城町(ましきまち)の地下約11キロを震源とする典型的な「内陸地震」で、マグニチュード6.5、最大震度は「7」で、建物の倒壊などによる負傷者が1,000余人、死者は9人に及び、余震が収まるのを待って被害詳細を調査、対応するとしていた矢先の16日未明、午前1時25分ごろ、マグニチュード7.3、最大震度「7」の本震が発生、4月28日午後2時現在、震度「4」以上だけでも約100回、震度「1」以上では1,000回を超える地震が連続して発生するという、ほとんど未経験の震災に見舞われ、死者は計49人にのぼり、行方不明者もまだいるほか、「エコノミークラス症候群」など震災関連死者も10数人を記録し、熊本県と大分県では2週間たった今も数万人もの人々が苦痛な避難生活を強いられている「熊本地震」です。
★政府は20日の持ち回り閣議で、被災者への緊急支援に2016年度予算の予備費から23億円を充てる方針を決め、食料や避難生活に必要な物資の調達に充てるとしていますが、それを決めるまでの10日ほどの間に苦痛な避難生活を強いられている被災者の中から「エコノミークラス症候群」などによる震災関連死者が10人も記録され、水や三度三度の食事も十分に行き渡らないという過酷な状況が発生しています。「阪神・淡路大震災」を体験し、つい5年前には「東日本大震災」をも経験し、多くの教訓を学び、「減災」を核とした自然災害に強い「強靭な国づくり」を表明していたはずの政府ですが、その実態は、いまだ「掛け声」だけにすぎないことを図らずも露呈したと思いますが、水や食料が十分に行き届かない、という情けない実態の背景には、被災地役所の混乱や人手不足があるようです。しかし、一番の問題点は、自然災害に強い「強靭な国づくり」を声高に謳いあげながら、国や地方自治体との役割分担、情報の収集や伝達法、緊急時の即応策などが、あらかじめ、十分にきめ細かく取り決められ、かつ、その時の状況等に応じて被災現場で臨機応変、柔軟に対応できる実効性の高い「災害対策」が出来ていなかったこと、しかも、それが国の各省庁や地方自治体との、いわゆる「縄張り意識」が災いしての結果ではないかと思えることです。「安全第一」、この聞き慣れ、見慣れたスローガンが、いまだに「免罪符」並みの「スローガン」のみにとどまっている我が国の「安全対策」の実情を、今度の「熊本地震」でまたまた思い知らされたと思うのですが、その一方で、いわゆる「安全保障関連法案」は、憲法学者や識者らがその違憲性を訴え、多くの国民の理解が得られないまま、与党が圧倒的多数を占める国会情勢に乗じて強引に成立させ、その具体化作業を着々と進行させているようです。確かに、国際的な武力的脅威から国の安全を守るということも、もちろん、必要な「安全対策」であることに異論はありませんが、地震列島、火山列島とも言われ、現に、度重なる災害で多くの人々の安全な日常生活が脅かされ続けており、かつ、きわめて高い確率で、明日にでもまた大災害が発生する恐れがある日本において、最優先されるべき「安全対策」、多くの国民が最も切望している「安全対策」は、国際的な武力的脅威に対する「安全保障」ではなく、地震等の自然災害から人命をはじめ、人々の生活の安全を守る「防災対策」であることを、特に政治家諸氏は賢明に認識してほしいと思わずにはいられませんが、ともかく、今度の地震によって命を失った人々のご冥福を祈ると共に、大勢の被災者の平穏な日常生活が一日でも早く再建されることを祈念しつつ、本稿、「雑記子」の本領である「交通安全対策」にかかわる重要な動き、残念ながらマスコミ等ではほとんど注目されていませんが、文字通り、多くの人々の日常生活にかかわる最も身近な安全問題ともいえる交通安全対策に関する新しい動き、「第10次交通安全基本計画」が策定されたということを取り上げることとします。
★まず、「交通安全基本計画」というのは、今から40数年前の昭和45年(1970年)6月に施行された「交通安全対策基本法」の第二章第15条の規定に従って内閣総理大臣を会長とし、内閣官房長官や指定行政機関の長らを委員として構成される「中央交通安全対策会議」が、同法の第三章第22条の規定に従って策定する「交通の安全に関する総合的かつ長期的な施策の大綱」で、道路交通のみならず、鉄道交通、海上交通、航空交通の安全の施策も網羅された文字通りの「大綱」ですが、本稿では道路交通のみに限って、その概要等を紹介していくこととします。
★今年、平成28年3月11日付で策定された「基本計画」は、平成28年度から平成32年度までの5年間に実施しようとする施策の大綱となる「第10次交通安全基本計画」といわれるもので、これまでに、第1次から第9次まで、5年ごとに9度にわたって策定されてきました。ちなみに、第1次「基本計画」は、昭和46年度(1971年度)から昭和50年度(1975年度)、第2次は、昭和51年度(1976年度)から昭和55年度(1980年度)、第3次は、昭和56年度(1981年度)から昭和60年度(1985年度)、第4次は、昭和61年度(1986年度)から平成2年度(1990年度)、第5次は、平成3年度(1991年度)から平成7年度(1995年度)、第6次は、平成8年度(1996年度)から平成12年度(2000年度)、第7次は、平成13年度(2001年度)から平成17年度(2005年度)、第8次は、平成18年度(2006年度)から平成22年度(2010年度)、そして、第9次「基本計画」は、平成23年度(2011年度)から平成27年度(2015年度)となっています。また、第1次から第9次までの「基本計画」には、それぞれ、その「基本計画」に掲げられた諸施策を実施することによって達成すべき目標が掲げられていましたが、その目標と達成状況はどうであったか、以下にそれを紹介しておきましょう。
★第1次「基本計画」では、「歩行中」の交通事故による死者数の半減を目途として事故発生の減少を図る、という目標が掲げられましたが、第1次「基本計画」の最終年の昭和50年末(1975年末)の「歩行中」の交通事故死者数は3,732人で、昭和45年末の「歩行中」の事故死者数(5,939人)の半減には至りませんでしたが、「計画」当初に推計予測していた「歩行中」の事故死者数約8,000人の半減は達成できたという結果に終わりました。続く第2次「基本計画」では、ピーク時(昭和45年)の全国の交通事故死者数(いわゆる「24時間死者数」、以下同じ。16,765人)の半減を目指す、という目標を掲げましたが、第2次「計画」の最終年の昭和55年末(1980年末)の死者数は8,760人に減少したものの、半減には至りませんでした。そして、第3次「基本計画」では、「計画」の最終年の昭和60年末(1985年末)までに全国の交通事故「死者数を8,000人以下とする」という目標を掲げましたが、結果は、9,261人の死者を記録し、この目標も達成できずに終わりました。続く第4次「基本計画」では、再度、「死者数を8,000人以下とする」という目標を掲げましたが、結局、「計画」の最終年の平成2年末(1990年末)の死者数は11,227人となり、死者数が逆に増加傾向に転じるという結果に終わりました。そして、第5次「基本計画」では「10,000人以下」、第6次「基本計画」では「9,000人以下」という目標を掲げましたが、いずれも目標を達成できずに終わりました。しかし、いわゆる「バブル経済」が崩壊し、経済の低迷期に入っていた平成13年度(2001年度)から平成17年度(2005年度)の第7次「基本計画」では、全国の交通事故「死者数を8,466人以下とする」という目標を掲げました。ちなみに、8,466人というのは、交通安全対策基本法施行後の最少記録となっていた昭和54年(1979年)の全国の交通事故死者数でしたが、第6次「基本計画」の初年、平成8年(1996年)からは、全国の交通事故件数そのものは依然として年々増加の傾向をたどっていましたが、死者数だけは、なぜか、減少の傾向をたどっていました。そこで、平成15年(2003年)の年頭、当時の小泉純一郎総理大臣は「今後10年間で全国の交通事故死者数を5,000人以下にし、日本を世界一安全な道路交通の国にすることを目指す」という政府目標を掲げましたが、幸いにも、第7次「基本計画」の最終年、平成17年末(2005年末)の全国の交通事故死者数は7,000人台をも割り込む6,937人にまで減少し、目標を大きくクリアすることが出来ました。そこで、続く第8次「基本計画」(平成18年度・2006年度から平成22年度・2010年度)では、「世界一安全な道路交通の実現を目指す」という(政府)目標の実現を図ることとし、「計画」の最終年の平成22年(2010年末)までに、年間の24時間死者数を5,500人以下にすることを目指すとともに、年間の死傷者数を100万人以下とすることを目指す」という目標を掲げ、結果、死者数は5,000人台をも割り込む4,948人、死傷者数も100万人を割り込む901,245人という好結果を記録しました。そして、昨年度、平成27年度(2015年度)を最終年度とする第9次「基本計画」では、第8次「基本計画」までの好調な流れに乗じてか、「平成27年までに24時間死者数を3,000人以下とし、世界一安全な道路交通を実現する」とともに、「平成27年までに(年間の)死傷者数を70万人以下とすることを目指す」という目標を掲げました。しかし、死傷者数こそ70万人を割り込んだものの、死者数は4,117人で前年よりもわずかではありますが増加するという結果に終わりました。
★それだけに、今年度、平成28年度(2016年度)を初年とする第10次の「基本計画」がどのように策定されるか、大いに注目していましたが、先月、3月11日付でそれが策定・公表されましたので、さっそく目を通しましたが、その大要は第9次「基本計画」とほとんど同様と言っても過言ではなく、これまでと同様、「作文づくり」に終わっているのではないかというのが率直な感想です。たとえば、第9次「基本計画」においても、「計画の基本理念」の項で、「悲惨な交通事故の根絶に向けて、今再び、新たな一歩を踏み出さなければならない」(※アンダーラインは雑記子が記入)という結びがありましたが、第10次「基本計画」でも、一字一句の違いもないまったく同様の結びになっていますが、第9次「基本計画」において、「24時間死者数を3,000人以下とする」という目標が達成できずに終わった事態を踏まえれば、第9次とまったく同様の「悲惨な交通事故の根絶に向けて、今再び、新たな一歩を踏み出さなければならない」という記述は、どういうことを意味するか、まったく理解しがたいものです。すなわち、第9次の時点での「今再び」とまったく同じ第10次の「今再び」は、5年間の経緯がまったく考慮されていない表現であり、また、「新たな一歩」というのも、5年前と何が違う「新たな」のか、所詮、「作文づくり」にすぎない、としても、あまりにもおざなりすぎると思わざるを得ません。もちろん、「先端技術の積極的な活用」など、一部に第9次「基本計画」にはなかった「基本理念」の新たな記述も認められますし、また、(「計画」最終年の)「平成32年までに24時間死者数を2,500人以下とし、世界一安全な道路交通を実現する」とともに、「平成32年までに(年間の)死傷者数を50万人以下とすることを目指す」という、第9次よりも一層高い「目標」も掲げられていますが、第9次の「目標」は、なぜ、達成できなかったのか、それを真摯に検討し、その検討結果を踏まえた「新たな一歩」が具体的に打ち出されているとは到底思えないのです。
★ただし、第9次との相違、新たな視点がまったくないわけではありません。たとえば、「第1部 陸上交通の安全、第1章道路交通の安全」の概要を図式化したもののなかで、「2、道路交通の安全についての目標」においては、先にも紹介したように、第9次のそれよりも一層高い「目標」が掲げられているほか、「3、道路交通の安全についての対策」においては、第9次では<3つの視点>として、(1)高齢者及び子どもの安全確保、(2)歩行者及び自転車の安全確保、(3)生活道路及び幹線道路における安全確保は記述されていましたが、第10次では、<視点>の1には、「交通事故による被害を減らすために重点的に対応すべき対象」として、(1)高齢者及び子どもの安全確保、(2)歩行者及び自転車の安全確保、(3)生活道路における安全確保の3項目が掲げられ、<視点>の2には、「交通事故が起きにくい環境をつくるために重視すべき事項」として、(1)先端技術の活用推進、(2)交通実態等を踏まえたきめ細かな対策の推進、(3)地域ぐるみの交通安全対策の推進の3項目が新たに掲げられているという違いがあります。ただ、それに続く<8つの柱>は、第1章第3節の「道路交通の安全についての対策」の2、「講じようとする施策」に掲げられている項目で、第9次のそれも同様であるだけでなく、第8次以前から同様に引きつがれている項目です。ちなみに、以下に、その「講じようとする施策」の<8つの柱>を紹介しておきましょう。すなわち、(1)道路交通環境の整備、(2)交通安全思想の普及徹底、(3)安全運転の確保、(4)車両の安全性の確保、(5)道路交通秩序の維持、(6)救助・救急活動の充実、(7)被害者支援の充実と推進、(8)研究開発及び調査研究の充実、以上の8項目で、いわゆる交通安全対策の「3Eの原則」を核としたもので、「3E」とは、Traffic Safety Education(交通安全教育)、Traffic Engineering(道路工学、自動車工学等)、Traffic Law Enforcement(法秩序の維持)のEducation、Engineering、Enforcement、の頭文字である3つのEを取って名付けられたものですが、先に紹介した「講じようとする施策」の<8つの柱>の多くは、この「3E」に基づいているといえましょう。したがって、その点では、第10次「基本計画」の「講じようとする施策」の柱が、それ以前の「基本計画」のそれと同様であることに問題があるわけではありませんが、5年ごとに新たな「基本計画」が策定されるごとに達成「目標」も新たに設定されるわけですから、その「目標」を達成するための具体策は、新たに策定される「基本計画」ごとに進展すべきものであろうし、特に、「目標」が達成できなかった後の新計画においては、前「計画」の「目標」は、なぜ、達成できなかったのか、その要因・問題点等を十分に検証し、その結果に基づいた新たな具体策が盛り込まれるべきだと考えますが、現状は、そうしたことが為されず、どうも、机上の「作文づくり」になっているように思えてならないのです。
★そう考える一例を以下に記述してみましょう。第9次「基本計画」にはなく、第10次において新たに盛り込まれた「道路交通の安全についての対策」の<視点>の2、「交通事故が起きにくい環境をつくるために重視すべき事項」として、(1)先端技術の活用推進、(2)交通実態等を踏まえたきめ細かな対策の推進、(3)地域ぐるみの交通安全対策の推進の3項目が掲げられておりますが、それ自体は「雑記子」もその必要性を同様に思うものですが、問題は、それを実施し、実現していくための裏づけが伴っていないのではないか、という懸念です。たとえば、「交通事故が起きにくい環境をつくるために重視すべき事項」の(2)として「交通実態等を踏まえたきめ細かな対策の推進」という標題が掲げられ、それについて以下のような記述があります。すなわち、「これまで、総合的な交通安全対策の実施により交通事故を大幅に減少させることができたところであるが、安全運転義務違反に起因する死亡事故は、依然として多く、近年、相対的にその割合は高くなっている。このため、これまでの対策では抑止が困難である交通事故について、発生地域、場所、形態等を詳細な情報に基づき分析し、よりきめ細かな対策を効果的かつ効率的に実施していくことにより、当該交通事故の減少を図っていく。また、第10次計画期間中にも様々な交通情勢の変化があり得る中で、その時々の状況を的確に踏まえた取組を行う」(※アンダーラインは「雑記子」記入)としています。この問題意識とその課題解決の方途自体には大いに賛同するものですが、誰が分析し、効果的かつ効率的な対策を誰が、どのように実施していくのか、それが具体化されなければ、単なる「作文」にすぎないと懸念するのです。事実、各地方自治体や所轄の各警察署の現状を見る限り、その機能や余力がないのが実態だと思うからです。
★同様のことが、「交通事故が起きにくい環境をつくるために重視すべき事項」の(3)、「地域ぐるみの交通安全対策の推進」についてもいえます。「交通事故の発生場所や発生形態など事故特性に応じた対策を実施していくためにも、インターネット等を通じた交通事故情報の提供に努めるなど、これまで以上に地域住民に交通安全対策に関心を持ってもらい、当該地域における安全安心な交通社会の形成に、自らの問題として積極的に参加してもらうなど、国民主体の意識を醸成していく。また、安全な交通環境の実現のためには、交通社会の主体となる運転者、歩行者等の意識や行動を周囲・側面からサポートしていく社会システムを、都道府県、市区町村等それぞれの地域における交通情勢を踏まえ、行政、関係団体、住民等の協働により形成していく。(以下略)」と記されていますが、かつては、各都道府県庁や各市区町村役所の大多数に交通安全の専任の担当職員がいたものですが、近年は皆無に等しい上に、関連予算も大幅に縮減されているのが実情で、また、関係団体の事業財源も年々乏しく貧弱になっている現状を考えれば、交通事故について、発生地域、場所、形態等を詳細な情報に基づき分析し行政、関係団体、住民等が協働してその地域における交通情勢を踏まえた、よりきめ細かな対策を効果的かつ効率的に実施していくと言っても、所詮、「絵に描いた餅」に終わってしまうのではないか、と懸念するのです。
★以上で、既に本稿の予定のスペースを超えてしまいましたので、「舌足らず」の感が否めませんが、とりあえず、今回は、いわゆる交通安全関係者でも、その詳細はおろか、その存在すら知らない向きも少なくないと思われる「交通安全基本計画」の概要と、その基本的問題点の一端の紹介にとどめ、最後に、この「交通安全基本計画」を策定した「中央交通安全対策会議」というのは、「交通安全対策基本法」の定めにより、内閣総理大臣が会長を務めている国政の機関である―ということを再確認して稿を結ぶことにします。280416

 

【2016年3月25日更新】

■「観光バス事故」の惨劇に続いてトラックのトンネル火災事故、いずれも「規制緩和」による深刻な副作用、関係当局の対応に疑義あり・・・

★前回の「雑記」では、今年1月15日未明に長野県軽井沢町の国道18号「碓氷バイパス」入山峠付近で発生したスキーツアーバス事故の惨劇を取り上げ、「今の日本が抱える偏った労働力の不足や過度の利益追求、安全の軽視など、社会問題によって生じたひずみによって発生した事故」(※このバス事故で亡くなった大学生・阿部真理絵さんの父親がその通夜で発したコメントの一部)であり、「バス会社の問題が次々と明るみに出たが、国土交通省も(バス会社の)法令違反を得意げに発表している場合ではない」(※自分のゼミの学生4人が死亡した法政大学教授で教育評論家の尾木直樹さんが事故の1カ月後、追悼のため訪れた事故現場で朝日新聞の取材に応じて語ったコメントの一部)という状況にあり、「運転手やバス会社に多大で重大な問題点があったゆえの事故であることは確かではありますが、それは「氷山の一角」にすぎず、貸切バス会社の過当競争、バス運転手の高齢化、国土交通省の監査体制の不備、さらには「安全」を軽視した「規制緩和」など、奥深く、裾野の広い問題が潜在していることを見逃してはならないと思う」という「雑記子」の所見を記したばかりですが、今度は同じ国土交通省が管轄している運送事業用の貨物自動車(トラック)による悲惨な事故が発生しました。
★3月17日午前7時半ごろ、広島県東広島市の山陽自動車道の岡山方面から広島に向かう下り線の八本松トンネル(全長約840m)内で渋滞のため停止していた車群(50台余※朝日新聞3.18夕刊)に中型トラック(2.5t)が追突し、12台の車が絡む多重事故が発生、そのうち5台の車が炎上し、2人が死亡、71人が煙を吸うなどして負傷するという事故が発生しました。中型トラックを運転していたのは埼玉県川口市にある運送会社の長距離トラック運転手(33歳)で、福岡・博多に向かう途中であり、当人は勤務先の運送会社に「前の車が急ブレーキを踏んだので、減速したが間に合わずぶつかった」と説明している(※北海道新聞3.18夕刊記事参照)とのことですが、広島県警の実況見分結果では、トンネルの真ん中付近からトンネル出口の手前約200mの炎上現場付近まで、路面に何かを引きずったような傷やタイヤ痕が見つけられたが、最初に追突した付近ではトラックのブレーキ痕は確認されていない(※毎日新聞3.19朝刊記事参照)とのことです。また、最初の追突直前に近くにいた車のドライブレコーダーを捜査した結果では、当該中型トラックは時速70キロから80キロで走行していたとみられることが判明しているほか、最初の追突から停止まで100m以上走行していた(※日本経済新聞3.19記事参照)・・・とみられていましたが、実況見分の結果では、50mから60m程度と見られていることが判明しました。(※日本経済新聞3.22記事参照)
★これらの情報を基に、この事故の経緯等を改めて整理してみましょう。まず、この事故が発生した八本松トンネルは山間部にあり、上下線で2本のトンネルに分かれており、下り線のトンネルは2車線の緩やかな左カーブの下り坂で、多重事故が発生した現場はほぼ直線でした。また、この八本松トンネルがある山陽自動車道の西条ICから志和ICまでの約11キロ間には三つのトンネルがあり、八本松トンネルは最も志和IC寄りのトンネルですが、この区間は交通量も比較的多く、特に朝晩は渋滞が発生することも少なくなく、運送事業者やドライバーの間では「事故多発区間」として知られていたとのことです。実際、当日も、この事故が発生する約3時間前、下り線の八本松トンネル出口から数キロ先の同線でトラック同士の追突事故が発生し、その事故処理のため、八本松トンネル出口から約3キロ先の前方が1車線通行止めとなっており、その影響で八本松トンネルでも渋滞が発生し、同トンネル内にも50台余の車が停止しており(※読売新聞3.17夕刊記事参照)、最高速度も50キロに制限されており、トンネル前の電光掲示板には「速度落とせ 渋滞中」の表示があり、渋滞最後尾の車もハザードランプを点灯させていたということです。しかし、事故を引き起こした中型トラックのドライバーは、これに「気づいていた」と言いながらも、なぜか、時速70キロから80キロの速度で八本松トンネルに進入し、渋滞で停止中の車群の最後尾にいた乗用車に追突して追い越し車線の方向にはじき飛ばした後、その前方に停止していた複数の車に衝突しながら、なおも進行して追い越し車線に入り、前にいた乗用車を押し出すようにして50mほど進行し、トンネル出口から約200m手前付近の追い越し車線で前にいた別のトラックにその乗用車を挟み込む形で停止してその3台を炎上させたほか、他の2台にも延焼させた―というのが事故の経緯と概要です。
★この事故で死亡したのは、中型トラックが次々に衝突した車群の中にいた軽乗用車の運転者(65歳、介護職員女性)で、運転していた車の外で心肺停止の状態で倒れていたところを救助され、病院に搬送されましたが脳挫傷で死亡しました。もう一人は、中型トラックに押し出され、トンネル出口から約200m手前付近の追い越し車線で前にいた別のトラックとの間に挟まれて炎上した乗用車から焼死体で発見された運転者(34歳、会社員男性)です。また、71人の負傷者の中には、追突された車が追い越し車線まではね飛ばされて横転した際、手足に擦り傷を負った人などもいますが、その多くは、車から脱出してトンネル外に逃げる際、トンネル内に充満していた炎上した車の煙を吸い込んだことによる負傷で、そのほとんどは軽傷だったとのことです。
★なお、国では、1979年7月に東名高速道路の静岡・日本坂トンネルで発生した173台の車が衝突・炎上して7人が死亡した事故を受けて、トンネルの非常用施設の設置基準を1981年に作成していますが、これによると、トンネルの全長と交通量によって5段階に分類し、最も厳しい「AA」レベルのトンネルでは非常用施設13種類すべてを設置するよう求めていますが、1988年7月に開通した八本松トンネルは、全長は844mで比較的短いものの、1日の交通量が上下線で計4万7,400台と多いため、5段階の2番目になる「A」レベルとされ、13の非常用施設のうち、6施設の設置が原則として求められているほか、残る7施設については「必要に応じて」とされ、西日本高速道路の判断に委ねていますが、国土交通省によると、原則設置の6施設はいずれも設置済み(非常電話7台、押しボタン式通報装置22台、消火器34本、消火栓17台、非常用警報装置、誘導表示板※朝日新聞3.17夕刊記事参照)のほか、避難通路、給水栓、無線通信補助設備も設置されていますが、スプリンクラーや排煙設備、火災検知器などの4施設はなかったとのことです(※読売新聞3.18朝刊記事参照)。いずれにしても、トンネルが比較的短かったためか、大惨事といわれるほどの事故にならなかったのは不幸中の幸いといえるでしょう。
★したがって、最も肝心な問題は、前方のトンネルで渋滞が発生し、最高速度も50キロに制限され、トンネル前の電光掲示板には「速度落とせ 渋滞中」の表示があり、渋滞最後尾の車もハザードランプを点灯させていたにもかかわらず、事故を引き起こした中型トラックは、なぜ、時速70キロから80キロもの速度でトンネルに進入したか・・・ということですが、当の運転手は、「ぶつかってから、自分の車と前の車から火が上がった。車を降りて避難していたところを救助され」、右足打撲で入院していましたが、翌18日に退院後逮捕されました(※朝日新聞3.19朝刊記事参照)。そして、逮捕前の任意の事情聴取では「渋滞情報は知っていた。スピードを落とそうと思ったが、間に合わなかった」(※日本経済新聞3.20記事参照)、「トンネル手前の渋滞を知らせる情報板には気づいていた(が)気がついたら目の前に車があった」(※読売新聞3.23夕刊記事参照)、「渋滞最後尾の車のハザードランプにも気づいていた」(※日本経済新聞3.20記事参照)などと説明していましたが、逮捕後には、事故時に居眠り運転をしていたことを認める供述をしているとのことです(※朝日新聞3.23朝刊記事等参照)。また、逮捕された運転手が勤務する運送会社(「ゴーイチマルエキスライン」埼玉県川口市)に対して国土交通省が貨物自動車運送事業法に基づく特別監査を行った(3月18日)結果では、同運転手に過労運転をさせるなど、少なくとも4件の法令違反が見つかっており、かつまた、同社については、2013年12月に栃木県内の営業所に対する同省の監査でも、過労運転等の法令違反が見つかり、今月(2016年3月)中にも、この営業所に行政処分が行われることになっていた(※読売新聞3.19朝刊記事参照)ということですから、この会社では過労運転が常態化していた疑いが濃厚になっています。事実、逮捕された運転手のものとみられるフェイスブックには、最近、長距離運転の勤務が続き、疲れがたまっていることをうかがわせる投稿があり、それによると、2月18日夜、「東北から帰ってきたと思いきや、間髪入れずで九州に飛ばされました」と投稿、翌19日早朝には「もうクタクタっす」と嘆き、「休みがねえ・・・休みが欲しい・・・」とも記している(※北海道新聞3.21朝刊記事参照)ことが判明していますし、当の運転手自身が逮捕後には、事故時に居眠り運転をしていたことを認める供述をしているとのことですから、これらのことからしても、長距離運転の連続による疲労が相当に蓄積され、それが決定的要因となって今度の事故を招いた、つまり、過労運転による「居眠り運転」、あるいはまた、過労運転による「前方不注意」による事故とみるのがきわめて妥当な常識的見解だろうとは思います。ただ、「雑記子」は、これまでに判明したこれらのことだけをもって、今度の事故の決定的原因は、過労運転による「居眠り運転」、あるいはまた、過労運転による「前方不注意」だと決めつけるには、ためらいと、早計すぎるのでは・・・という感じを禁じ得ません。というのは、逮捕前の運転手は、「トンネル手前の渋滞を知らせる情報板には気づいていた(が)気がついたら目の前に車があった」、「渋滞最後尾の車のハザードランプにも気づいていたが、間に合わなかった」という趣旨の証言もしているからです。もちろん、これらの証言は、その場を取り繕う故意的言い訳とも思われますし、論理的矛盾がある証言ではあることは確かですが、事故直後の論理的矛盾がある証言にこそ、真実が隠されている場合も少ないことではありませんので、逮捕前のこれらの証言と、逮捕後の居眠り運転をしていたことを認める供述とのギャップを科学的検証によってしっかり埋めることを怠ってはならないと考えています。
★まず、過去に起きたあまたの事故の中には、状況を認知しながらも、心理的パニックに陥って必要・適切な回避措置を講じることなく事故に至った―というケースも少なからずありますし、また、いわゆる「居眠り運転」とされた事故の中には、眠気の自覚もなく、目を見開いていたにもかかわらず、目前の状況を全く認識できなかった、つまり、「見れども見えず」という事態が生じ、何の危険回避措置を取らないままに事故に至る―というケースもあり、特に高速道路等の長距離走行時にはしばしば発生し得ます。「雑記子」らは、この眠気の自覚もなく、目を見開いていたにもかかわらず、「見れども見えず」という事態に陥った状態を、いわゆる「居眠り運転」とは区別して、「覚低走行」と称していますが、事故直後に運転手が漏らした「気がついたら目の前に車があった」という証言は、もしかしたら、この「覚低走行」の結果かもしれない、と思うのです。しかも、3月23日の新聞各社の夕刊報道によると、場所は特定されていませんが、当の運転手は、「途中のサービスエリアで休憩し車内で数時間仮眠を取った」と話しているとのことですが、仮眠後の走行時1時間前後には「覚低走行」によるとみられる事故が少なくないことも「雑記子」らには周知のことだからです。
★そこで、当該運転手が事故に至るまでの時間経過を改めて整理してみると、まず、当該運転手が、埼玉県川口市の勤務先の運送会社から引っ越し荷物を積んで出発したのは、事故の前日3月16日の午後5時45分ごろ、そして、事故は翌日の17日朝7時30分ごろに発生しています。この間約14時間となります。そして、川口市の勤務先から事故現場の八本松トンネルまでの距離はおおむね800キロと算出されますが、川口市の勤務先から高速道路に入るまでのルートや所要時間などによって若干の差異は生じると思いますが、高速道路を平均時速80キロから90キロで休憩することなく走り続ければ事故現場の八本松トンネルまでの所要時間は10時間前後になると考えられますので、「途中のサービスエリアで数時間仮眠を取った」という運転手の証言は信ぴょう性があることになります。ただし、その仮眠の「数時間」が「4時間から5時間」くらいだったのか、「1時間から2時間」程度だったのか、また、その仮眠の睡眠状態はどうだったのか、仮眠を取ったサービスエリアはどこだったのか、さらにはまた、車内で仮眠直後、直ちに出発したのか・・・等々をしっかり検証することが大切です。というのも、サービスエリアでの仮眠のほとんどはエンジンをかけたままの車内で行われていますが、エンジンをかけたままの車内での仮眠では、あらかじめ時計で確認していない場合、本人は「数時間仮眠した」つもりでいても、実際は「2時間から3時間」程度であることが少なくなく、また、エンジン音等で十分な睡眠がとれていないことが少なくない上に、車内で仮眠直後、直ちに出発した場合には、身体機能が十分に目覚めず、「覚低走行」に陥りやすく、危険状況をうすぼんやりと認識しながらも、身体機能が反応せず、何の危険回避措置も取らないままに進行し事故に至る―というケースがよく起きるからです。また、仮眠する前に夕食(夜食)を取ったかどうかも検証する必要があります。夕食(夜食)後の仮眠であれば、当該運転手の場合、本人は「数時間」と言うが「2時間から3時間」が限度であったのではないかとも思われるからです。
★いずれにしても、このトンネル追突・炎上事故は、第一当事者となった中型トラックの運転手の長距離運転の連続による疲労の蓄積とその運送会社の違法な運行管理・過労運転の常態化が大きく、かつ、決定的な背景要因になっていることが確かなだけに、当該中型トラックの追突の決定的原因は、過労運転による「居眠り運転」、あるいはまた、過労運転による「前方不注意」として処理される可能性が高い、と思いますが、それだけでは、少なくとも、「再発防止」教育には新たで有効な情報事項等が引き出されません。したがって、先に述べたように、当該運転手の出発から事故現場までの運転経緯や休憩・仮眠状況等の詳細をもきちんと検証し、単純な「居眠り運転」であったのか、「雑記子」らが問題視している「覚低走行」であったのか等をも明確にすることを強く要望しておきたいと思います。と同時に、運転手を厳重に処罰し、勤務先の運送会社の行政処分等を厳格、速やかに行うことだけをもって幕を閉じてはならない、ということも力説しておきたいと思います。
★今年2016年1月15日未明に発生した「スキーツアーバス事故」にしても、今度の「八本松トンネルの追突・炎上事故」にしても、その根本要因、最大の背景は、運送事業の、いわゆる「規制緩和」にあることは明らかです。国土交通省では1月の「スキーツアーバス事故」を受けてか、貸切バス事業者に対し「ドライブレコーダー」の搭載を義務化する方針を決め、また、トラック輸送の実態調査によって、500キロ超の長距離運行のうち4割強で運転手の拘束時間が16時間を超えていることが判明したことから、業界環境の改善を目指して2016年度に、(1)複数の事業者がばらばらに運んでいた荷物を1事業者がまとめて運送する(2)高速道路の使用で時間短縮する場合、高速料金を荷主に請求する―等の実証実験を行い、運転手不足を解消し、適正運賃の実現を図るための効果的事例をガイドラインとしてまとめ、全国に広げる等の対応策を取ることとしておりますが、そのような、いわば、小手先の対応で、この奥深く、裾野の広い問題が改善されるとはとても思えません。何よりも問題の多い「規制緩和」を抜本的に見直し、運転手不足・高齢化の実態を踏まえ、「安全第一」を旨とした運送事業の規制化、そして、許認可・監督監査を司る国土交通省の監査体制等の拡充、過当競争を生まない適正運賃の厳格化等の基本的問題点の解決策を真摯に、かつ、早急に検討し、その実現を期すことこそに知恵と努力を傾注してもらいたいと切に願うものです。250316

 

【2016年2月24日更新】

■続発する「観光バス」事故から見える「安全第一」の空念仏を嘆く・・・

★去る2月15日、新聞各紙、TV各社は、今年1月15日未明に長野県軽井沢町の国道18号「碓氷バイパス」入山峠付近で発生した、乗客乗員41人が乗っていたスキーツアーバスがセンターラインを越え、対向車線側のがけ下に転落、立ち木に激突し乗客の大学生13人と運転手と交代要員の計15人が死亡、乗客26人が重軽傷を負った事故から1カ月が経過したことを一斉に取り上げ、現場に遺族や関係者をはじめ多くの一般市民も訪れ、献花・合掌し、犠牲者の冥福を祈る模様や遺族・関係者らのコメントを伝えたほか、警察や行政による原因究明や再発防止の取組みの経緯等を報じました。これらの報道により、事故に至る経緯、事故原因等に関してこれまでに判明した主なことを以下に列挙してみます。
★まず、このスキーツアーを企画募集し実施したのは旅行会社「キースツアー」(東京・渋谷区)で、ツアーに使用したバスは東京・羽村市にあるバス運行会社「イーエスピー」の貸切バスでした。株式会社イーエスピーは2008年に設立された会社ですが、設立当初は警備業務が中心の会社で、バス事業には2年ほど前の2014年4月に国土交通省の事業許可を得て参入した新参会社で、保有車両数は事業許可時で12台の小規模な貸切バス事業者であり、昨年2015年2月に実施された「一般監査」では、(1)運転者の健康状態の把握が不適切、(2)点呼の実施及び実施結果の記録が不適切、(3)運転者に対する適性診断を実施していない、といった違法管理状態が判明し、同年10月30日期限の弁明の機会を付与しましたが(弁明書10月27日提出)、結局、今年2016年1月13日に「車両の使用停止処分」(1車両20日間・1月15日から2月3日)を受け、3月15日以降に「フォローアップ監査」の実施が予定されていた直後の事故でした。
★また、道路運送法では、走行距離と走行時間をベースにして旅行会社がバス会社に支払う貸切バスの基準運賃の下限を定めていますが、それによると、今回のバスツアーの基準運賃の下限は約27万円になるとのことですが、それを大きく下回る約19万円で受注していました。観光庁等の調べによると、旅行会社「キースツアー」は貸切バスの手配をしている旅行会社「トラベルスタンドジャパン」(東京・千代田区)にバスの確保を依頼し、トラベル社が「イーエスピー」に頼んだということですが、トラベル社によると、「昨年末に、キースツアーから『今年は雪が少なくてお客が少ない。値段を安くしないと、お客が来ない。当面は低い値段でやってくれないか。お客が来たら運賃を上げる』と言われた」ので、「イーエスピー」に、道路運送法に定める基準値を下回る金額でツアーを依頼した結果、「イーエスピー」社が了承し受けたということです(※1.17読売新聞朝刊参照)。なおまた、今回のツアーを企画した「キースツアー」のツアー料金は、1、2泊の宿泊費やリフト代を含めて1万3,000円から2万円程度で、別の旅行会社によると、「バス業界全体では安全意識が改善されており以前のような価格では商品を提供できなくなった。うちのツアーは東京―上高地間の場合、バス料金だけで往復1万4,000円以上する。キ社の料金は非常に安い。かなりコストをカットしていたのではないか」と指摘しています。これに対し、キ社の福田万吉社長は報道陣の取材に「安全面を削ることは絶対にない」と話しています。都内のバス会社94社が加盟する東京バス協会は、運転手の睡眠時無呼吸症候群の検査費用や車両の安全装置について補助を設けるなど「ハード、ソフト両面から対策を進めてきた」(市橋千秋常務理事)としていますが、安全対策を周知するのは会員企業に対してだけで、今回事故を起こした「イーエスピー」社は非会員で、こうした対策も業界全体に浸透しているかは不透明だというのが実態のようです(※1.16毎日新聞朝刊参照)。
★ちなみに、バス業界が、いわゆる「格安ツアー」などで問題視されるようになったのは2000年から2002年(森喜朗内閣―小泉純一郎内閣)にかけて実施された「規制緩和」がそもそもの起因になっていると思われます。需給調整の観点から国の「免許制」だった貸切バス事業が、一定の要件を満たした事業者であれば誰もが参入できる「事業許可制」へと切り替えられ、貸切バス事業の新規参入が相次ぎ、「格安競争」が激化しだしたのです。特に、ツアー会社が企画し、貸切バス会社が運行するツアーバスは、乗合バスと違って運行計画を事前に国土交通省に届け出るなどの規制が少なく、過当競争を生んだ一方で安全性の問題が懸念されていました。そんななか、2007年2月、大阪府吹田市でツアーバスが運転手の居眠りが原因でモノレールの橋脚に衝突し、27人が死傷する事故が発生しました。この事故を受けて国交省は2008年6月、1人の運転手が運転できる1日の最大運転距離を670キロとする指針を定め、これを超える場合は交代運転手の配置を求めることとしました。しかし、2012年4月に、群馬県藤岡市の関越自動車道で運転手が眠気を感じながら運転を続けていたとされるツアーバスが自動車道の側壁に激突して45人が死傷する事故が発生し、またまたツアーバスの無理な運行状況がクローズアップされました。そこで、国交省は2012年から2013年にかけて、1日の走行距離の上限を昼間は原則500キロ、夜間は400キロに引き下げ、運行記録計を使った運行管理を義務づけたほか、運賃制度も改定し、基準運賃の下限と上限をともに引き上げました。この結果、バス会社の安全対策コストが上昇し、旅行会社がバス会社に支払う額も1.5倍ほどに膨らみ、こうしたコストをかけられない零細業者はかなり淘汰されたとみられていましたが、業界全体には徹底されず、むしろ、一層の格安料金で生き残ろうとするゲリラ的事業者が潜在化するという土壌を生んだことも否定できません。今回の事故は、奇しくもその実態を露呈したといえますが、次には、今回の事故について、これまでに判明している経緯を紹介しましょう。
★ツアー客(その多くが大学生などの若者)39人を乗せ、「イーエスピー」社の65歳の契約社員の運転手と交代要員(57歳)の同社社員を乗せたツアーバスは1月14日午後11時ごろ東京・原宿を出発、練馬ICから関越自動車道に入り、関越道の上里SAで休憩した後、藤岡ICで関越道を降り、国道18号を走行し、同道の碓氷バイパスの入山峠付近で事故を起こしました。しかし、旅行会社が事前に作成していた行程表では、関越道の上里SAで休憩する予定はなく、その手前の東松山ICで関越道を降り、国道18号を走り、群馬県の松井田妙義ICから上信越自動車道を走行して長野県に入り、15日の午前8時ごろ斑尾のホテル前に到着する予定でした。行程表と異なるルートに変更するためには、運行管理者に連絡してその許可を得なければ道路運送法違反となりますが、「イーエスピー」はその連絡がなかったことを認めています。また、バス会社は発注元の旅行会社が要望する行程表を基に「運行指示書」を作り、運転手に手渡す必要がありますが、その「運行指示書」には出発地と目的地のみが記載されていただけだということも判明しています。しかし、運転手が無断でルート変更したのは、旅行会社「キースツアー」が作成していた行程表の要望ルートは承知していたとみられますが、その行程表のルートだと、混雑してバスを止めにくいSAがあるため乗客を休憩させやすい上里SAが使いやすく、また、上里SAで休憩し、その先の藤岡ICで関越道を降り、以後、上信越自動車道を利用せず、国道18号で目的地に向かうことによって高速料金を行程表に合わせることができる・・・と、今回、交代要員として乗務していた57歳の「イーエスピー」社の社員がかねてから他のドライバーにも推奨していたことによるとみられます。なおまた、道路運送法では乗務前に運転手に対し「点呼」を実施し、健康状態等をチェックしたり、安全運行上、必要な事項を指示・伝達したりすることが義務づけられていますが、「点呼」を行う予定であった高橋社長が遅刻したため実施しておらず、また、バスが目的地に到着し、運転手から業務終了の報告を受けた後に作成すべき「業務記録」には、既に運行管理者の押印があり、同社の運行管理が日常的にきわめてずさんに行われていたことも判明しています。
★次に、事故に至る直前の運転行動・走行状態はどうであったか、それを紹介しましょう。不幸中の幸いともいうべきか、事故現場から約1キロ手前の入山峠頂上付近と事故現場直前の約250mの地点にも定点カメラが設置されていたため、事故を引き起こしたバスの走行状態が映像に残っていました。それによると、約1キロ手前の定点カメラの映像では、バスの走行に異常はみられませんが、その後、勾配度6.5%の緩やかなS字カーブの下り坂を走行、事故現場の約250m手前の定点カメラには、規制速度の時速50キロを超える80キロ程度の速度でセンターラインをはみ出し、S字の左カーブを車体を右に傾けながら走行し、右カーブに差し掛かり、左側ガードレールに接触したとみられるカーブ出口付近を通過した後、山陰に隠れていったという映像が記録されていました。その先の映像は映っていませんが、左側ガードレールに接触したはずみでか、走行方向のコントロールを失って対向車線にはみ出し、右側車輪のみの片輪走行となったのか、右側タイヤ痕を約40m残し、道路を逸脱、右側ガードレールを約10mにわたって押し倒して落差約3mの崖下に転落して横転し、立ち木に激突したものとみられています(※1.21読売新聞朝刊、同・毎日新聞朝刊の記事参照)。なお、事故の現場検証によって回収された運行記録計に残された記録を解析した結果、転落現場でガードレールに衝突した時点での速度は時速96キロに達していたことが判明しています。そんなハイスピードで転落して立ち木に激突した結果、車室の天井が押しつぶされ車内空間が大きく消失したほか、車体右側の運転席や側面も激しく損傷大破、乗客の多くは車外に放り出され、バスの下敷きになった人も少なくなく、死亡者の大半は頭部や胸部に外傷があり、即死に近い状態だった、という悲惨な事故に至りました(※1.15北海道新聞夕刊参照)。
★なおまた、このバスは後輪駆動の6速のマニュアル車で、ブレーキはドラム式で、下り坂を走行中にフットブレーキを使いすぎると、ブレーキの利きが低下する「フェード現象」や「ベーパーロック現象」が起きる可能性があるため、下り坂ではギアを3速以下に落とし、エンジン回転の抵抗で速度を落とす「エンジンブレーキ」を利かせて走行するのが常識であり、また、バス等の大型車には排ガスの圧力を調整してエンジンブレーキの効果を高める「排気ブレーキ」も装備され、運転席にあるスイッチで作動させることができますが、「エンジンブレーキなどを使っていれば、定点カメラに映っていたような高速ではなく、もっとスピードは落ちたはず」(※1.21読売新聞夕刊)ですが、減速された様子は認められませんので、「排気ブレーキを作動させていないうえ、フットブレーキにも異常があり、減速できなかったのではないか」、または、「ハンドル操作だけでカーブを切り抜けようとしたのではないか」との見方もされています。しかし、事故現場直前の約250mの地点に設置されていた定点カメラに残っていた映像では、ブレーキランプは点灯し続けているように見えますし、ブレーキランプは、フットブレーキを踏んだときはもちろん、「排気ブレーキ」による減速中も点灯しますので、残された映像に見える尾を引いているような赤いランプの灯がブレーキランプのものであるとするならば、下り坂が始まる1キロ手前から250m手前までのわずかな距離でブレーキを多用したために「フェード現象」や「ベーパーロック現象」が起きたとは考えにくいので、フットブレーキでの減速が十分でなく、「排気ブレーキ」も何らか事情で十分に働かなかった、とも思われます。実際、長野県警の現場検証の結果では、ブレーキ部品に異常は見られず、整備不良も見つからなかったが、ギアはニュートラルの状態になっていた、ということですから、運転手がギアチェンジをする際に焦って誤りニュートラルに入れてしまったのではないかということも考えられますが、衝突時の衝撃によってニュートラルに入ってしまったということもあり得ますので、いつの時点でニュートラルになったのかはもちろん、下り坂から事故に至るまでの運転手の運転操作行動を、回収された運行記録計等の綿密な調査解析によって、できるだけ具体的に、また、科学的に明らかにしていくことが望まれます。
★というのも、国土交通省は2月2日、今回のバス事故を引き起こした「イーエスピー」社に対し、貸切バス事業許可を取り消す処分案を通知したほか、バス事業者が運転手を採用する際、運転手が長年運転していない大きさのバスを運転させる場合、新たな講習を義務づける「指針改定」を行う方針を固めた(※2.1朝日新聞朝刊参照)ということですが、その講習の実効性を高めるためにも、今回の事故はもちろん、過去のバスによる重大事故等をしっかり検証し、どのような運転操作行動が事故原因になったのかを、科学的具体的に明らかにし、大型バスの運転者にはどのような運転技能等が必要不可欠になるのかをしっかり学び、新たな講習に具体的に反映していくことが必要だと思うからにほかなりません。ちなみに、国交省のこれまでの「指針」では、バス事業者が新たに運転手を採用した場合、原則として6時間の座学などを行うように定めていますが、過去3年以内に同じ事業を営む会社で運転手をしていた者についてはこの講習が免除されており、今回の軽井沢でのバス事故を引き起こし、死亡した65歳の運転手も大型二種免許を持ち、前職も貸切バス事業者の運転手だったため、この講習の対象外だった、ということを問題視した結果の改定というわけです。
★確かに、今回の軽井沢でのバス事故を引き起こし、死亡した65歳の運転手の運転経歴等には、いくつかの問題点が認められます。1月17日の日本経済新聞などの記事によると、この65歳の運転手は昨年12月に「イーエスピー」社の契約社員として入社。本人は面談の際、「大型も何回も運転したことがあるから大丈夫」と話していたというが、前の職場では中型やマイクロバスを中心に運転しており、大型バスの運転経験は数回程度というのが実際だったようですが、「イーエスピー」社は前職場での運転歴等を確認せず、「一般道の運転はさせず、高速道路をやってもらおうと指示していた」と、経験を不安視していたことを明らかにしたといいます。大型バスを15年運転した経験がある運転手によると、「経験が浅いと、ブレーキをかけても重さでバスが減速せず、パニックになることもある。大型バスの運転経験が数回程度だったとすれば、実務に就くにはあまりにも少ない」と話しているとのことです。また、NHKの独自取材(2.15、19時のNHKニュース)によると、昨年12月10日、前のバス会社に在籍中、任意の運転適性検査を受けており、その結果によると、同運転手は9つの検査項目のうち、状況変化への反応をみる「正確さ」や「速さ」などの4つの項目で、5段階で最も低い「1」と評価され、総合的な評価でも5段階で最低の「特に注意」と診断されていましたが、検査が任意で行われていたことや、直後に退社したことなどから、検査結果は会社や本人に手渡されていなかったということも判明しています。同運転手はその後、「イーエスピー」社に入社し、事業者に法令で義務づけられている適性検査を受けないままに乗務し、今回の事故を起こしたわけで、このことから国交省は全国のバス会社に検査の徹底を指示したということですが、あまりにも「泥縄」的すぎる対処のように思えてしょうがありません。
★いずれにしても、今回のツアーバス事故は、運転手やバス会社に多大の問題があったゆえの事故であることは確かですが、それは「氷山の一角」にすぎず、貸切バス会社の過当競争、バス運転手の高齢化、国土交通省の監査態勢の不備、さらには「安全」を軽視した「規制緩和」など、奥深く、裾野の広い問題が潜在していることを見逃してはならないと思いますが、これらの潜在的問題点に比べればいみじくも、今回の事故で大学生の娘を亡くした父親が、その通夜後に、遺族としての深い悲しみなど私的な感情に耐え、冷静に読み上げたコメント、そして、自分のゼミの学生10人が乗車し、うち4人が死亡した法政大学教授で教育評論家の尾木直樹さんが事故の1カ月後、事故現場に足を運び合掌した後、朝日新聞の取材に応じて語ったコメントは、今回の事故の本質を鋭く的確に突く貴重な指摘だと感服しましたので、以下にそれを紹介しておきましょう。

●本日、真理絵の通夜を無事に営むことが出来ました。本当に明るく、誰とでも仲良くできる自慢の娘でした。・・・略・・・。今回の事故については、憤りを禁じ得ませんが、多くの報道を見ていると、今の日本が抱える偏った労働力の不足や過度の利益追求、安全の軽視など、社会問題によって生じたひずみによって発生したように思えてなりません。今回の事故については、警察によって原因と責任の追及がなされ、また行政による旅行業者の問題点の洗い出しや改善が行われることを期待しておりますが、すぐに良くなるものではないと思っています。今日も多くの若者がバスツアーに出かけているでしょう。ぜひ自分の身は自分で守るということを考えてください。優先順位を間違えないこと。安全はマスト(Must)項目であり、費用削減はウォント(Want)項目であることを冷静に考えてほしいと思います。(※以下、略。アンダーラインは雑記子による。阿部真理絵さんの父親のコメント)
●バス会社の問題が次々と明るみに出たが、国土交通省も法令違反を得意げに発表している場合ではないと思う。規制緩和で貸切バス会社が増えたのに、国の監査は追いつかない。いずれ必ず起きる事故だったと思うんです。だから、法政大では、「事故」と誰も言わない。「事件」と言っています。一番感じるのは、日本社会が命を大事にしなくなっているのではないかということ。ハンドル一つに40人の命が乗っているという責任感が感じられないバス会社。誰が乗っていたか満足に説明できないツアー会社。それらを見逃してきた行政。競争原理で他社より一歩でも先んじようとする社会になってきている今、命を大事にする、ゆとりを持つ、という原点に戻る必要があるのではないでしょうか。(※尾木直樹氏、2.16朝日新聞朝刊所載)

★以上が、今回の事故の本質を鋭く的確に指摘した遺族・関係者のコメントですが、これをもって本稿の結びにしたいところではありますが、これら本質的問題点に比べれば、些細すぎることかもしれませんが、もし、この「きわめて偏向的で奇妙な規制」が是正され、バスにも適用されていれば、少なくとも、今回の事故をはじめとする近年の幾多のツアーバス事故の多くが回避されたのではないかと思っていることがあり、一般にはあまり知られていないことでもあると思いますので、敢えてそれをも紹介し、本稿を結ぶこととします。「きわめて偏向的で奇妙な規制」というのは、まず、第一には、高速自動車国道・自動車専用道路における大型自動車の最高速度制限です。同じ大型でありながら、バス(大型乗用自動車)は100キロで普通自動車と同様の最高速度が認められているのに、トラック等(大型貨物自動車、大型特殊自動車等)は80キロに制限されていることです。そして、第二には、1997年10月に、高速道路での大型自動車が絡む重大事故を防止するため、車両総重量8トン以上または最大積載量5トン以上のトラック等(大型貨物自動車、大型特殊自動車等、以下、同じ)は、「通行帯」が指定されている場合、その通行帯を通行しなければならない、という新たな規制が設けられましたが、大型バスはこの対象外となっていることです。またさらには、2003年9月に、車両総重量8トン以上または最大積載量5トン以上のトラック等には最高速度を自動的に90キロに制御する「スピードリミッター」の装備が義務づけられましたが、大型バスはこの規定も対象外になっています。確かに、大型トラックが絡む事故は、重大・悲惨な事故になることが少なくありませんが、数十人もの人命を乗せて走る大型バスの安全性が大型トラックよりも高いとはとても思えません。むしろ、大勢の人命を乗せる大型バスこそ、高速道路の最高速度を低減し、「指定通行帯」の通行、「スピードリミッター」の装備を義務づけるべきなのに、なぜ、除外したのか、その理由が、どう考えても理解できない「きわめて偏向的で奇妙な規制」だと「雑記子」は思い続けてきたのです。先に紹介した今回のバス事故の遺族・関係者の2人のコメントにもあるように、本質的問題点は、いくら指摘しても「すぐに良くなるものではない」と思いますが、この「きわめて偏向的で奇妙な規制」の是正は、関係者が、その気にさえなればすぐにでも実現可能なことのはずです。せめて、この「きわめて偏向的で奇妙な規制」を真摯に、かつ、早急に検討し、適正に是正してもらいたいと切に願っていることを記して本稿を結ぶことにします。240216

 

【2016年1月25日更新】

■2015年、「第9次交通安全基本計画」の目標は達成できずに終わった・・・

★2016年(平成28年)の元旦は、北海道・東北等の降雪・寒冷地域を含め全国的に比較的温暖な天候の下で迎えましたが、正月早々の4日には、昨年秋に開催されるはずの臨時国会の開催を野党の強い要請決議にもかかわらず見送ったこともあってか、第190通常国会が1992年以降で最も早い異例的早期に召集されましたが、安倍晋三首相は同日午前、官邸で年頭の記者会見を行い、今年の夏に実施される参院選挙に関し「憲法改正をしっかり訴え、国民的議論を深めていきたい」、「3年間の安倍政権の実績に対する評価と1億総活躍社会について国民の審判をいただく」のが争点であり、この「通常国会」は「未来に挑戦する国会だ」と述べ、「挑戦意欲」を強く印象づけました。そして、安倍首相は、通常国会の召集日に行われることが多い施政方針演説を、予算審議を優先するため、1月22日に2016年度予算案を提出するのに合わせて行うこととする異例の「通常国会」開会としましたが、1月6日、衆院本会議で安倍首相の外交報告と麻生太郎財務大臣の財政演説に対する各党代表質問が行われようとしているさなか、北朝鮮が朝鮮中央テレビで「特別重大報道」を行い、「水素爆弾」の実験に成功したとの「世界平和」を大きく揺るがすショッキングなニュースが飛び込むなど、2016年の行く末はいくつもの暗雲が漂う不穏な年になりそうな嫌な予感を抱かざるを得ない幕開けとなったと強く感じていますが、この「雑記」の本領である交通安全の状況はどんな具合なのでしょうか・・・。
★1月4日、新聞・テレビ等では警察庁交通局まとめの昨年の交通事故発生状況を報じましたが、それによると、人身交通事故件数(概数、以下同じ)は、全国で前年より3万7,053件少ない53万6,789件で、11年連続の減少となり、負傷者数(概数)も4万6,248人少ない66万5,126人で、こちらは、1985年以来、30年ぶりに70万人を下回りました。一方、懸案の交通事故死者(24時間死者、以下同じ)数は、全国で4,117人となり、前年より4人多く、2000年以来15年ぶりに増加に転じました。しかし、15年ぶりに増加に転じたことは確かですが、前年対比でわずか4人の増ですし、交通事故件数や負傷者数は10年以上にわたって減少傾向をたどっていますので、世界的にみても国内的にも、人々の安全を脅かす深刻なあまたの諸問題を抱えている状況のもとで、少なくとも国内の交通安全問題だけは好転状況にあるといえそうです。ただし、2015年(平成27年)度を最終年度とする『第9次交通安全基本計画』では、「平成27年までに24時間死者数を3,000人以下とし、世界一安全な道路交通を実現する」という目標を立てていましたが、この目標が未達成に終わった事実は厳粛に受けとめるべきです。
※『第9次交通安全基本計画』に掲げたもう1つの「平成27年までに死傷者数を70万人以下にする」という目標は達成できました。
★現に、警察庁交通局まとめの「平成27年中の交通事故死者数について」が公表された1月4日、河野太郎国家公安委員長は、この件について以下のコメントを出しています。すなわち、「昨年の交通事故による死者数は、4,117人で、15年ぶりに増加となりました。第9次交通安全基本計画において掲げた「平成27年までに24時間死者数を3,000人以下」とするという目標についても、これまで達成に向け努力してまいりましたが、残念ながら実現できませんでした。交通事故における致死率の高い高齢者の人口の増加が近年の交通事故死者数を押し上げる要因の一つとなっており、昨年の交通事故死者に占める65歳以上の高齢者の比率は過去最も高くなっております。また、飲酒運転等の悪質・危険な運転による悲惨な交通事故も後を絶たないところであり、いまだ多くの尊い命が交通事故の犠牲となっております。交通事故のない安全で快適な交通社会を実現することは、国民全ての願いであり、政府の重要課題であります。さらに、本年は、第10次交通安全基本計画がスタートする年であります。国家公安委員会としては、交通事故死者数が増加に転じたことを厳しく受け止め、政府が目標とする「世界一安全な道路交通の実現」に向け、引き続き、強い決意をもって当たります。高齢者や歩行者の安全確保を図るための諸対策、悪質・危険な違反の取締り、計画的な交通安全施設の整備など、地域の交通実態に即した総合的な交通事故防止対策をなお一層強力に推進するよう警察を指導し、交通死亡事故等のさらなる減少を目指してまいりたいと考えております。国民の皆様方には、より一層の交通安全の取組や安全行動の実践をお願いします」というのがそのコメントの全文ですが、河野国家公安委員長は、この日の会見で「抜本的に対策を見直していかなければならない」とも述べています。
★なおまた、同日、金高雅仁警察庁長官も、国家公安委員長とほぼ同様のコメントを発していますが、警察として取り組むべき課題について、国家公安委員長のコメントよりは多少具体的に述べていますので、以下にそれも紹介しておきましょう。すなわち、「警察としては、交通事故死者数が増加に転じたことを厳しく受け止め、各界各層との連携を一層強化し、高齢者や歩行者の安全確保を図るための交通安全教育や街頭活動、悪質・危険な違反の取締り、計画的な交通安全施設の整備などの総合的な交通事故防止対策を強力に推進するとともに、昨年6月に成立した改正道路交通法の円滑な施行に向けた準備作業を着実に推進するなど、交通事故死者数の更なる減少に向け、なお一層取り組んでまいりたいと考えております」とのコメントです。
※ちなみに、「昨年6月に成立した改正道路交通法の円滑な施行に向けた準備作業」というのは、平成29年(2017年)の6月までに施行される「準中型免許」や「準中型自動車」の新設に伴う自動車教習所等の受け入れ準備と、75歳以上の高齢運転者を対象にした免許更新時以外での「認知機能検査(臨時認知機能検査)」と「高齢者講習(臨時高齢者講習)」の新設にともなう諸規定の整備や、それらを実施するための体制づくり等の準備作業のことです。
★以上、いずれのコメントも、もちろん、「コメント(寸評)」ということによる必然的な制約があってのことだとも思いますが、今後の課題としてごく初歩的で基本的な対策のいくつかは掲げてはいますが、率直にいえば、交通事故死者数が15年ぶりに増加に転じたことと、「第9次交通安全基本計画」に掲げた目標が未達成に終わった事態を受けての、交通死亡事故等の更なる減少を目指す決意の表明を述べているにすぎないと思います。今年が「第10次交通安全基本計画」のスタートの年だといいながら、コメントで述べた初歩的で基本的な対策を、「第10次交通安全基本計画」にどのように具体化して盛り込んでいくのか、また、具体策を実現していくための年次計画や財源等は全く不明ですから、「決意表明」にすぎないと思わざるを得ないのです。それだけに、この「決意表明」が定番の儀礼的セレモニーにすぎないのかどうか、その真偽は、遅くとも4月の新年度に入る前までには策定公表されるはずの「第10次交通安全基本計画」を見るまでは測りかねるというところです。それだけに、もうすでに進行しているであろう「第10次交通安全基本計画」の策定過程が注目されますが、一部の新聞報道(河北新報、2016.1.10社説)によれば、「第10次交通安全基本計画」の策定作業はすでにその中間案に対する公聴会も開かれ、その公聴会では、交通死遺族の会の代表らから「クルマに対する速度制御装置やドライブレコーダーの装備義務化」「交差点での歩車道分離信号の設置促進」など一歩踏み込んだ対策の必要性が訴えられ、また、専門家からは「対策の元になる事故原因の分析と共有が不十分」という指摘も出されたことが報じられていましたが、今年からスタートする「第10次交通安全基本計画」を、交通事故死者数の更なる減少を図り、「世界一安全な道路交通」を実現するために、「抜本的に対策を見直し」、より一層総合的で効果的・効率的な交通事故防止対策を強力に推進していくための文字通りの「計画」とするためには、関係当局がその策定過程をできるだけ開示し、また、新聞等マスメディアも積極的にその策定過程や策定作業現場で交わされる議論等を頻繁に報じ、より多くのパブリックコメントも求めながら、十分な議論を尽くすことが非常に重要だと切に思います。
★なおまた、有意義な議論を尽くしていくためには、何よりもまず、中間案に対する公聴会で出された専門家の指摘もありましたが、事故原因等の科学的・多角的な分析が十分に為され、「計画」策定作業当事者全員がそれをきちんと共有することが必須条件だとも考えます。とりわけ、確かに、交通事故の発生件数も10年以上にもわたって減少傾向をたどってきましたが、その減少状況以上の勢いで、死者数だけがなぜ劇的・驚愕的に減少してきたのか、その要因等の科学的・多角的な解明はほとんど為されていません。にもかかわらず、「第8次交通安全基本計画」(平成18年度から平成22年度)に掲げた「24時間死者数を5,500人以下にする」という目標が案外容易に達成され、平成22年(2010年)の死者数は4,948人で、5,000人台をも割り込んだ勢いに乗じ、安易な自信を持ってしまった結果なのか、「第9次交通安全基本計画」に、「3,000人以下にする」という目標を掲げたことが「第9次計画」の目標未達成の最大要因だと「雑記子」は考えています。また、それ故にこそ、交通事故の発生件数は昨年も前年に引き続き減少したのに、死者数は15年ぶりに増加に転じたともいえます。もちろん、河野国家公安委員長のコメントにもあるように、「致死率の高い高齢者の人口の増加が近年の交通事故死者数を押し上げる要因の一つとなっており、昨年の交通事故死者に占める65歳以上の高齢者の比率は過去最も高くなったこと」も死者増加要因の1つでしょうが、問題は、「高齢者の人口の増加」ということは、あらかじめ十分に見通されていたはずのことですから、それを踏まえた効果的・効率的な事故防止策が十分に行われてこなかった故の結果ではないか、という反省・検証をこそがきちんと為されることが肝要だと思いますが、進行中の「第10次交通安全基本計画」策定作業でそれが為されたのかについては大いなる疑義を感じています。
★さらにまた、「高齢者の人口の増加」「交通事故死者に占める65歳以上の高齢者の比率アップ」に呼応する効果的・効率的な対策の必要性もさることながら、交通事故死者数の更なる減少を図り、「世界一安全な道路交通を実現する」ためには、「歩行中」の交通事故死者数の減少を図る対策をこそ最重点とする認識が必須です。なぜなら、問題とされた高齢者の事故死者の大半が「歩行中」の事故死者でもある上に、「歩行中」の事故死者の割合が欧米諸国に比べ非常に高い、というのが長年にわたって我が国の交通事故死者の憂うべき大きな特徴になっている、この実態が、いわゆる「交通安全関係者」にも十分共有されていないように思われますし、過去の「交通安全基本計画」においても、この実態を十分に踏まえ、「歩行中」の交通事故死者数の減少を図るための諸対策が集中的・重点的に実施され、成果を挙げてきたという実績が認められないからです。確かに、交通事故死者の総数および「歩行中」の事故死者数も減少傾向をたどってはきましたが、「歩行中」の事故死者が依然として3分の1以上を占めているという状況は基本的に変わっていないのです。この実態が改善されない限り、たとえ、「3,000人以下」という死者総数の減少を達成したとしても、「交通弱者」といわれる歩行者(その多くが高齢者であり子どもである)の事故死者の比率が少なくとも欧米諸国以下にならない限り「世界一安全な道路交通の国」になったとはいえない、というのが「雑記子」のかねてからの主張でもあります。
★だからこそ、国家公安委員会等が、交通事故死者数が15年ぶりに増加に転じたこと、「死者数を3,000人以下とする」という目標が未達成に終わったことを厳しく受け止め、「抜本的に対策を見直していかなければならない」と考えるならば、単に関係当局の取組みへの決意を表明し、国民に安全行動の実践を訴えるだけではなく、まずは、交通事故の発生状況や事故原因等の科学的・多角的な検証・分析をしっかり行い、「第10次交通安全基本計画」を策定するに当たっても、従前通りの過程を踏襲するのではなく、今からでも決して遅くはないと思いますので、策定作業自体も抜本的に改革し、「地域の交通実態に即した総合的な交通事故防止対策をなお一層強力に推進する」というような抽象的・総括的な表現で諸対策を羅列するのではなく、どのような対策を、誰が責任を持って、どれだけの費用と人員、日時をかけて、いつまでに、どのようにして、どれだけ実行していくのか・・・などが具体的に明示され、誰が見てもその実効性が明確に期待できるような「基本計画」を策定してほしいと切に願うものです。そして、あえてつけ加えれば、世界中に、人々の安全を脅かすさまざまな脅威・危険があふれ出している今だからこそ、せめて、国内の交通安全だけでも、それを確実に確保していくために、科学的・多角的検証に基づいた明確な根拠を有する効果的・効率的な諸対策をしっかり打ち立て、着実にその実現を図っていくことを願ってこの稿を結びます。250116

 

【2015年12月25日更新】

■「小樽飲酒ひき逃げ事件」札幌高裁控訴審判決について考える・・・

★12月8日、札幌高等裁判所(以下、札幌高裁と略す)で「小樽飲酒ひき逃げ事件」の控訴審が開催されましたが即日結審し、懲役22年を言い渡した一審札幌地方裁判所(以下、札幌地裁と略す)の裁判員裁判の判決を支持し、被告側の控訴を棄却する判決を出しました。「小樽飲酒ひき逃げ事件」とは、昨年2014年7月に小樽市銭函の海水浴場(おたるドリームビーチ)に出入りする歩車道の区別がない幅員5メートルほどの狭い市道で、酒気を帯びて時速50キロから60キロの速度で運転中、15秒から20秒間スマートフォンを見ていて、進路前方を通行中の海水浴帰りの若い4人の女性を見落として衝突し、3人を死亡させ、1人に重傷を負わせたにもかかわらず、救護義務を果たさず、現場から逃走したという事件(事故)で、当初、札幌地検では、被告(32歳男)が酒気を帯びて運転していたことは明らかだが、飲酒の影響で「正常な運転が困難な状態」であることを自覚しながら運転した―という「危険運転致死傷罪」の要件には該当せず、運転中にスマートフォンを見るため15秒から20秒間も進路前方から目をそらしていたこと(脇見運転)が直接の事故原因とみて「過失運転致死傷罪」と道路交通法違反(ひき逃げ、酒気帯び運転)で起訴しました。しかし、被害者遺族らはこれに納得せず、「危険運転致死傷罪」の適用を求める要請書を地検に提出し、また、署名活動もしてその署名簿を地検に提出し、最高検察庁にも上申書を提出したりして活発な活動を行いました。その結果、被害者遺族らが6回にわたり地検に提出した署名数は累計7万人を超えるものとなり、こうした被害者遺族らの活動を受けての結果なのか、地検は補充捜査を経て同年10月に至り、「危険運転致死傷罪」に切り替える異例の訴因変更を札幌地裁に請求しました。さらに、地検は2015年6月に至って「予備的訴因」として当初の「過失運転致死傷罪」と道路交通法違反(ひき逃げ、酒気帯び運転)の罪状を追加するよう札幌地裁に請求し、札幌地裁はこの「予備的訴因」の追加を許可するという異例の経緯をたどり、2015年6月29日、裁判員裁判の初公判が開かれ、7月9日、裁判長は、検察の求刑通り、2006年に福岡市職員が起こした幼児3人を死亡させた飲酒ひき逃げ事故の確定判決(懲役20年)を上回る懲役22年の実刑判決を言い渡しました。
★この判決の根拠等について、裁判長は、「被告は当日の午前4時30分から正午すぎまでの7時間半近く、・・・略・・・、分かっているだけで生ビール中ジョッキ4杯、缶酎ハイ4、5缶、焼酎のお茶割り1杯を断続的に飲み続け、完全に酔い潰れた。2時間程度寝込んだ後も、・・・略・・・、第三者から見ても、まだ酒が残っているとうかがわれる行動をとっており、運転開始直前も、『まだ二日酔いのような状態で体がだるく、目もしょぼしょぼしていた』というのだから、飲酒の影響による体調の変化を自覚するほどの酔いが残っていたと認められる。・・・略・・・、そもそも、時速50キロから60キロで車を運転しながら、15秒から20秒も下を向き続ける運転態様自体が、『よそ見』というレベルをはるかに超える危険極まりない行動だ」と断じています。そして、被害者遺族らはこの判決後、記者会見で「親としての責任を果たそうとしてここまで来た。良い結果になり、非常にうれしい。被告は真摯に受け止め、控訴しないでほしい」との所感を述べました(北海道新聞2015・7・10朝刊所載)。
★しかし、この札幌地裁の判決をめぐっては、刑法学者など専門家においても、「市民の飲酒運転に対する厳しい感覚が反映された判決で、危険運転致死傷罪の適用は妥当だ」とする見解がある一方で「問題のある判決だ。スマートフォンの操作で前方を見ていなかったことがアルコールの影響と言える根拠が弱い。被告はいつもどんな運転をして、飲酒で運転にどう影響があったのか、行動に着目すべきだ。スマートフォンを操作しながら直線道路を走行していたことは逆に、運転ができていた(運転能力があった)とも言える。そうした点への言及が少なく、感情的な判決だと感じる。福岡の裁判では運転行動に対して危険運転致死傷罪が成立したのに対し、今回の判決は悪い意味で適用の幅を広げた。根拠が曖昧という悪い先例になりかねない」(北海道新聞2015・7・10朝刊所載、高山俊吉弁護士)、また、「危険運転致死傷罪の成立を導くために相当無理を重ねている。福岡事件の最高裁決定の論拠に依拠し、『正常な運転が困難な状態』だったことを裏づける客観的事実に乏しく、主観的に同罪を認定した」(北海道新聞2015・7・10朝刊所載、福岡事件の被告人主任弁護人・春山九州男弁護士)との批判意見もあり、結局、被告側は、7月23日付で、「酒気を帯びていたことは確かだが『正常な運転が困難な状態』には当たらず、運転中にスマートフォンを操作していたことが原因だ」として札幌高裁に控訴しました。
★冒頭に紹介した12月8日に札幌高裁で行われた控訴審判決は、この控訴を受けた結果の判決ですが、争点である「飲酒による危険運転致死傷罪が成立するかどうか」について、札幌高裁判決の要旨は以下の通りです。すなわち、「幅が狭く歩車道の区別がない道路だったことなどを踏まえると、正常な注意力や判断力を保持している運転者であれば、スマートフォンを見ながら運転するだけで、危険だという自覚が伴うはずだ。被告は時速50キロないし60キロ前後という相当な速度で自動車を走行させながら、15秒から20秒にわたり、ほぼ前方を見ることなく下を向き続けていた。交通事故を発生させる危険性への配慮が抜け落ちていたとみるほかない。通常では考えられない運転態様だ。事件当日の午前4時半ごろから正午すぎごろまで生ビール中ジョッキ4杯、350ミリリットルの缶酎ハイ4、5缶等を飲んだこと、事故後の検査で基準値を大きく上回るアルコールが検出されたことなども総合的に考慮し、酒の影響で正常な運転が困難な状態にあったと認定した一審判決の判断過程に不合理な点はない」というもので、「自動車運転死傷行為処罰法は、車を現代社会の『凶器』と捉え、危険で悪質な運転を厳しく罰することを前提につくられた特別法だ。一審の裁判員裁判の判決は立法趣旨を踏まえ、飲酒運転を許さないという強いメッセージを発した。プロの裁判官だけではできない判断だ。この裁判員の『市民感覚』を尊重するのは当然で、高裁判決は高く評価できる」とする意見(2015・12・9発行の北海道新聞朝刊所載)がある一方、福岡事件の被告人主任弁護士を務めた春山九州男弁護士(福岡在住)は、「判決は前後の運転状況の分析を全く行っていない。正常な運転が困難な状態だったかどうかを判断する上で、こうした分析は欠かせない。これを怠ったのは最大の欠陥だ」とするコメントを発しているほか、交通事故の裁判に詳しい高山俊吉弁護士(東京在住)も「処罰感情の高まりという市民感覚に迎合した印象を受ける。被告の運転状況を詳細に検討しておらず、科学的な論拠がない。アルコールの影響だったのか、それとも不注意が原因なのかをもっと追究すべきだ」という批判コメントを発しています。(いずれのコメントも、2015・12・9発行の北海道新聞朝刊所載記事による)
★12月22日、被告はあくまでも「直接の事故原因はスマートフォンを見ながらの脇見運転で、飲酒による危険運転致死傷罪の成立を認めた判決は不服」とし、被告の弁護人も「どの程度の酔いで危険運転致死傷罪が適用されるのか。その基準が示されず、納得できない」として最高裁に上告することを決定したとの報道がありましたので、決着にはまだまだ時間がかかることになると思いますが、最終的な判断は最高裁の審理、判決にゆだねざるを得ないとしても、私どもドライバー一人一人も単なる傍観者であってはならないと思います。事件・裁判の経緯等をきちんと理解し、問題の所在を正しく認識し、あるべき判決に相応の意見を持ち、ドライバーの一人という立場での意見を発信していくことが必要だと思うのです。というのも、「飲酒運転(事故)根絶」や「自動車運転死傷行為処罰法」という特別法そのものがドライバーをターゲットにしたものに他ならないからで、その肝心なドライバーの意見をこそ、「飲酒運転(事故)根絶」や「自動車運転死傷行為処罰法」の適否に反映されるべきだと思うからです。特に近年、いわゆる「悪質な飲酒運転死亡事故」に対して、警察や検察、裁判所では、被害者遺族等の厳しい弾劾意思を受けてか、刑罰を「より重く、より広く」科そうとする傾向にありますが、果たしてその傾向に問題はないのか、仮にそれを支持するとしても、飲酒運転と事故の因果関係を科学的・多角的にきちんと裏づけることが必須で、心情的、感情的すぎる判断は厳に排除されなければならないと考えますが、そのためにも何よりもまず、より多くのドライバーが事の顛末、経緯等に対しきちんとした認識を持つことが肝心だと思うのです。また、飲酒運転の罰則強化や条例での規制等は、一部の飲酒運転常習者を一層潜在化させる側面もあり、飲酒運転根絶の決定打にはなり得ていないという事実にもきちんと目を向ける必要があると思います。事実、この10数年間、飲酒運転にかかわる罰則は次々に強化され、総体的には飲酒運転とその事故は確かに減少してきましたが、その一方で、少なからぬ飲酒運転常習者がより根深く潜在化していることも確かで、彼らには罰則強化もほとんど功を奏しておらず、結果として、ドライバーの大多数が必要以上の規制を受けて窮屈な思いをしたり、飲酒運転常習者との事故の脅威にさらされたりしているともいえるのです。そもそも、飲酒運転常習者は、飲酒運転の罰則強化を知らないのではなく、飲酒運転の危険性を実感的に理解していないことが問題なのであり、特に「アルコール依存症」のドライバーは、たとえ、飲酒運転の危険性や厳罰化を理解していたとしても、そのこと自体は「依存症」という病症の治療には全く役立たないことは確かでしょう。だからこそ、「飲酒運転(事故)根絶」の真の問題点は、飲酒運転の危険性、なかでも「酔い」の自覚・症状がない酒気帯び運転の危険性を、どのようにして実感的に理解させるか、そのための教育指導の手法を開発し、組織的、計画的な教育指導体制を確立することだと思いますが、その面での取り組みがほとんど見られませんし、今度の「小樽飲酒ひき逃げ事件」の裁判でも、飲酒運転や酒気帯び運転の危険性については、「スマートフォンを15秒から20秒にもわたり見ながら運転した」ことが「通常では考えられない運転態様」だとの観念的指摘はあるものの、その科学的な根拠は何ら示されもせず、また、科学的な検証も行われていません。また、「アルコール依存症」のドライバーに対する医療的取り組みもきわめて不十分、というよりは、ほとんど手つかずの状態にあり、「飲酒運転(事故)根絶」のためには、こうしたことこそが問題視されるべきだと思うのです。飲酒運転根絶のためには、こうした問題こそが本命であり、罰則強化、条例の制定や「飲酒運転根絶の日」制定などだけではあまりにも心情的すぎると思うのです。にもかかわらず、飲酒運転根絶対策は厳罰化や条例での規制強化のみに流れている風潮に危惧を抱かざるを得ないのです。だからこそ、「小樽飲酒ひき逃げ事件」の裁判にももっと多くのドライバーが積極的な関心を向けてほしいと切に思うのですが・・・。251215

 

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